[暮らしっ句]梅 雨[俳句鑑賞]
「怪し」編
埴輪の眼 妖しや梅雨の闇溜めて 中村ふく子
有名な埴輪の顔ってかわいい印象があったのですが、確かに目は穴。埴輪の成り立ちが殉死の代わりだとすれば、その穴の向こうにあるのは死の世界…… ただ、作者はその穴に死を見ずに「梅雨の闇」を見た。
「梅雨の闇」とは何か? わたしに思い当たったのは、それぞれの人が抱えている闇が梅雨の時期に外に滲み出すということ。梅雨の暗さが人の闇を外に誘い出す呼び水の役割をするのではないか。
では「人の闇」とは何か? 決して口に出来ないこと。解決のしようがないこと。でも忘れることも出来ない…… ああ、だから「溜め」るにつながるのか。溜めたくて溜めたわけではない。自然に溜まったものでもない。自分のせいで生じたこと。
生じた…… のに隠さねばならないもの。死ぬために生まれたような存在、それが「人の闇」なら、殉死代わりの埴輪とまさに同じ。
作者がそんな回りくどいことを考えたとはとても思えませんが、直観されたんでしょうね。詩人、おそるべし。
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深梅雨の 指人形に声を足す 甲州千草
雨で外出を取りやめて所在なく一人で過ごしているうちに、つい指人形を遊びを始めたと。指人形があったのかもしれませんが、ただ単に指を擬人化して動かしてみただけかもしれません。はじめはそれだけだった。
しかしそんな日が続くと、それだけでは飽き足らなくなって、声色も加えたと。作者の立場に立てば自然な流れですが、もし誰かが覗き見すれば、ちょっと不気味だろうな、と。そう意識しつつやめられない。
そう、指にはもう別の生命が宿ってるんです~
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過去をすて 舞ひつくしをる 梅雨の蝶 近藤公子
これ自裁の句とも読めると思います。「過去をすて」というのを「人生に見切りをつけた」と言い換えれば、覚悟を決めたことになりますから。
戦国武将の信長は桶狭間の合戦に臨むとき「敦盛」を舞いました。「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり……」の一節は有名です。講談では死を覚悟して舞ったとされています。思えば、その時にも天候は雨でした。
ちなみに、本物の信長は桶狭間で廃人になったと主張する方もいます。まさに燃え尽きたと。『信長公記』にはそれ以降、信長の表記が二つ存在するとか。で、一方は活躍しないどころかなんでもない場面で馬から落馬したりする。あるいは、同じ時期に別々の場所に現れるとか。広い意味での影武者説ですが、本物が抜け殻になってしまったというのが、他の影武者話とは違うところ。
じゃあ、本物が死んでるも同然なのに誰が支えたか? その作家は家康と正妻の二人が主導権を持っていたと推理されています。家康はいいようにこき使われていたと、今年の大河ドラマでもそう描かれていますが、その作家によると反対なんです。家康が裏で織田家を動かしていた。表に立ったのは影武者になることを引き受けた正妻です。正妻の記録がわずかしかないのは、彼女が桶狭間の後に信長に扮したからだと。
余計な話をしたようですが、正妻の名前、何でした?
「帰蝶(歸蝶、胡蝶)」、「蝶」! 妙にこの句に符合するんです…….
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つながれて 目つむりゐたり 梅雨の犬 佐々木市郎
犬がつながれているのは普通。そこに奴隷や囚人のイメージを重ねる人はいないでしょう。しかし、ここではたぶんそのイメージ。
目を閉じているのも、普段なら「また眠ってる」としか思わないところですが、この時の作者にはこんな感情が読み取れた。「お前も、つながれ人生に抗うことをあきらめたのか」と。
自己投影でもあるわけですが、複雑のは「犬」を隷属させているのは作者自身だということ。梅雨は心の闇を外に滲ませるだけでなく、偽りの関係を露わにもする……。
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学生と二人や 梅雨の資料館 小山陽子
たぶん男子学生ですが、若い異性と二人きりになれば落ち着かないというのは普通の感覚。一回りも違えば不純の誹りを免れませんが、でも今の時代はそれも普通の範囲。これがたとえば三回りも違うとどうなるか?
その歳になるとわかりますが、もし少しでも意識してしまうと、そんな自分が化け物のような気がします。
若い方向けに少し解説すると、意識はそう変わってないんですよ。若い頃と。考え方が少し変わった程度。肉体だけが別人のように激変している。それだって、ふだんは受け入れてるんですが、若い人と向き合うと空恐ろしくなるんですよね。年寄りの仮面が張り付いて取れなくなった物語のよう。「そんな目で見ないでくれ、これは違うんだ~」
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梅雨闇の どこかに予約席がある 柳生千枝子
わたしの場合「居場所」という言葉はよく使います。梅雨の時期であれば、あそことあそこ、などと具体的な場所も思い浮かびます。しかしこの句では「予約席」。「居場所」と「予約席」はどう違うのか?
一つは有料か無料か~ わたしの「居場所」はタダの場所ばかり……
それはさておいて、もう一つ思いついたのは「運命」。「予約」した場所がわからないわけですから、自分で頼んだ「予約」ではありません。誰が「予約」したのでしょう? 尋ねられない相手であれば、おそらく人ならぬ者なのでしょう。普通ならそんなところに行きたくありませんが、作者はそこに行かずにはおれないようです。そして探し当てるんですよ。きっと。
「本日、○○様が予約されていたのはこのお席でございいます」
そう、先方はお待ちしてましたとばかりに出迎えてくれる。
そういう世界がある。気づくか気づかないか、そこに行くか行かないかの差。アナタの席もどこかにあるんですよ。アナタが来るのを待っている~
席につくとね、出迎えてくれた人が、上目遣いにこういうんです。
梅雨の闇 本当のこと知りたいかい 田中桜子
出典 俳誌のサロン 歳時記 梅雨
ttp://www.haisi.com/saijiki/baiu1.htm