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題:ヴァージニア・ウルフ著 杉山洋子訳「オーランドー」を読んで

本書の裏表紙には次のように紹介されている。『オーランドーとは何者? 36歳にして360歳の両性具有者、エリザベス1世お気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学賞を受賞した詩人、そしてつまりは・・何者? 性を超え時代を超え、恋愛遍歴を重ね、変化する時代精神を乗りこなしながら彼/彼女が守ってきたもの。奇想天外で笑いにみちた、再評価著しいウルフのメタ伝記』と書かれていて、興をそそられた。即ち、両性具有者と書いてあるから、ウルフならきっと「アントナン・アルトー著 多田智満子訳 ヘリオガルバス」のような晦渋に満ちた哲学風で重みに満ちた記述と思い、でも奇想天外で笑いとは何なんだろうと疑問を持って読み進めたのである。

その結果、ヴァージニア・ウルフの作品には珍しく文章が走っており、深刻さがなく滑稽であり、時間は瞬間ではなくて奇妙に飛んで幻覚的でもある作品である。ウルフにこうした滑稽さが潜んでいるとは知らなかった。ウルフの写真が結構掲載されているが神経質そうで、最後には自殺もしているから、滑稽さと彼女は無縁だと思っていたことが、読み進めるうちに覆させられたのである。写真とは瞬間的な真実を暴きながら、決して人格の全体を表現するものではない。なお、本書にはさまざまに変身したオーランドーの画が挿入されていて、読む者を楽しませてくれる。

なお、本書は伝記作家が記述しているという方式を採用している。簡単にあらすじを紹介したい。「隠し絵のロマンス――伝記的に」と題して杉山洋子が巻末に解説を行っていて、章ごとの内容を紹介している。雑になるけれどもっと縮めて示したい。第一章では、オーランドーはエリザベス1世の寵愛を受ける。ロシアの姫君なるサーシャ―と恋に陥るが結局逃げられる。第二章では、詩人を目指すオーランドーは作品の評価を願ったグリーンなる作家に会い、彼の話を面白いと思いながら歓待する。でも、逆に自らを引用されて出版される。背の高いルーマニアの皇女に付け狙われ逃げ出す。第三章ではオーランドーは女になる。いや男の力強さと女の優美さを兼ね備えた両性具有者になる。ただ、男女両オーランドーの自己同一性は少しもゆるがない。第四章では、ルーマニアの皇女は大公殿下なる男になってしまい、求愛されるが逃げ切る。社交界に出入りする。第五章で、オーランドーは結婚する。夫は海の男である。第六章で館に戻り詩集「樫の木」を完成させる。オーランドーが暗く静まり返ったことで、このオーランドーは単一の主体、真の自我となる。女王陛下が館に訪れる。

「樫の木・詩」とラベルを張ったノートに詩を書き続けている姿が印象的である。最後には賞も取るのである。隠し絵のロマンス――伝記的に」と題した杉山洋子の解説には、本書「オーランドー」と作者ウルフの実体験の関係などが割と細かに記述されている。ウルフには実際に男性役のヴィタなる女性がいたとのこと。またシェイクスピアの両性具有の影響も受けているとのこと。これらのオーランドーの何者なのかに対する回答を与えていて、かつウルフの経歴や当時の文学的状況、女性の文学的状況も含んで簡潔に記している。この解説を読むとおおよその事が分かるのでぜひ読むことをお勧めしたい。なお、本書「オーランドー」は「ダロウェイ夫人」や「灯台へ」と異なる系統の作品であることには注意が必要である。ウルフのおしゃべりで辛辣で道徳的など多様な性格が滲み出ている作品である。なお、ウルフは一生涯精神病を患っている。

なお、ウルフは「後期印象派」の絵画展覧会を見て性格を一変させたらしい。『それまでのストーリー中心、ハッピーエンドさもなくば破局で終わり、人物創造に関しては外面的客観事実を描くことに傾いてきた小説に反旗を翻した』のであって、普通の日の普通の人の心をちょいと調べれば、心は数知れぬ印象を受けているとウルフは言い、日常の内面を描き始めたらしい。なるほど、これが「灯台」や「ダロウェイ夫人」を生み出して、今までの小説の筋を壊してしまったのか。これらの小説がなぜ書かれたのか、その原点が分かってくるようにも思われる。ウルフについては「波」を読んでひとまず終えたい。

以上

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歩く魚
詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。

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