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ネコノオテパン屋
仕事で広島を出張中のことだった。商店街を歩いていると、外れた道の向こうに何かがいるのが目に入った。よく見ると猫だった。しかも、こっちおいでと言っているかのように手招きしている。私は自然とその猫のほうへ歩を進めていた。
私が近づいても猫は座ってじっとしていた。猫に見惚れていると、その猫が私に右の前脚を差し出したので私はその手をとった。一瞬、視界が虹色に変わった。振り返ると雲海のような景色が広がり、商店街が消えていた。
訳がわからず向き直ると、さっきまでいなかった猫がいる。しかも一匹や二匹じゃない。いつのまにか私はたくさんの猫に囲まれていた。見たことがある猫もいれば、今まで見たことのない鮮やかな青と黄の毛が半々の猫もいた。まるでウクライナの国旗のような見た目のその猫に私は妙に惹かれた。やがて猫たちが一斉に動き出し、ついてこいと言わんばかりに一列になりどこかへ移動し始めた。最後尾の「ライナ」——青と黄の毛の猫に私はそう名付けた——に着いて、細く入り組んだ道を進んで行った。
石の階段を登り、何度か角を曲がると一軒のパン屋があった。猫たちは店の前で立ち止まった。私はおいしそうなパンの匂いに釣られて店のドアを開けた。
「ネコノオテパン屋へようこそ」
私は息を呑んだ。店員は猫……のように可愛らしい少女だ。さらに店内のスペースは客一人がやっと入れるほどしかない。狭い陳列棚にびっしり並んだパン。私は大好きなメロンパンとカレーパンをトレイに乗せて店員に渡した。
「猫に導かれたのですね」
店員が言った。
「ここ、地図には載ってないんですよ」
「そうなんですか?」
「異世界というべきですかね」
おいおい、聞いてないぞ。あのときか。視界が虹色に変わったあのとき異世界に来たのか。
「あ、でも安心してください。猫が元の世界に連れて帰ってくれますから」
店員からパンを受け取り、店を出た。店の外ではライナが座って待っており、私の姿を見るや立ち上がり、歩き出した。石の階段を下り、何度か角を曲がるとライナが急に走り出した。見失ったら元の世界に戻れないかもしれないと思い、私は必死に追いかけた。しかし、次の角を曲がったところでライナの姿が消えた。どうしようと真っ直ぐ歩いていると、商店街が見えた。どうやら元の世界に戻ったようだ。
ホッとしたところでスマホが鳴った。妻からだ。
「どうした?」
『あなた、玲奈が……玲奈の意識が戻ったわ』
「ほ、本当か! すぐ帰るよ」
玲奈は先月生まれた娘だ。予定よりもかなり早く生まれ、NICUに入っていた。何日間も生死の境を彷徨っていたが、漸く意識が戻った。
玲奈……レイナ……ライナ……。あの猫はもしかしたら……ってまさかな。
今はただ一刻も早く娘に会いたい。私は買ったパンの袋を握りしめて、駅に向かって走った。