酉島伝法『奏で手のヌフレツン』、シェパード『美しい血』、ル=グィン『赦しへの四つの道』…紙魚の手帖vol.15(2024年2月号)書評 渡邊利道[SF]その1
【編集部から:この記事は東京創元社の文芸誌〈紙魚の手帖〉vol.15(2024年2月号)掲載の記事を転載したものです】
酉島伝法の『奏で手 のヌフレツン』(河出書房新社 二四〇〇円+税)は、二〇一四年のアンソロジー『NOVA+ バベル』で発表された同題短編をもとに書き下ろされた、待望の長編小説だ。
凹面の大地を五つの太陽が歩いて巡り、その恵みを受け周辺で生活する落人と呼ばれる単性生殖で繁殖する種族たちの世界。彼らは太陽が歩みを止め、後ろからくる月に追いつかれ死ぬのを恐れ、さまざまな危険を伴う作業に日々を費やし、苦痛を功徳として積み上げ太陽の衰えを防ぐという信仰を持っている。
物語はそのうちの一つの太陽が滅し、逃げのびたリナニツェが移り住んだ新しい集落で差別されながら育てたその子ジラァンゼと、またその子ヌフレツンとまたその子ヌグミレの四代にわたる人生を描いたもの。ジラァンゼは食材でも資材でもある蟹を解体する作業に従事し、ヌフレツンは太陽の歩みと深く関わる音楽の奏で手となったが、ついに彼らの太陽も衰滅の兆しを見せはじめる……。
激しく身体を苛む労苦の痛みというのは著者がデビュー作「皆勤の徒」以来一貫して書き続けるモチーフだが、本作ではそれに崇高な意味合いが与えられ、さらにそれを相対化する視点が加わって世界を二重化する。漢字の形態と音の二重性を利用した造語で彩られた文体や、ハードSF的な設定を隠した異世界的な物語世界の二重構造など、〈二重であること〉は本作の方法の根幹を為す。重層的に織り上げられた言葉の網を潜って小説世界を探索するように読む、というとまるで前衛的で難解な作品を連想させるかもしれないが、その特異な言葉遣いに慣れてくると、浮かび上がってくるのはきわめて生々しい匂いや光や音や熱に満ちた身体感覚であり、感情の揺らぎと爆発なのだ。物語そのものはシンプルな世界の終わりと対峙する人々の奮闘を描く年代記で、いったんその世界に摑まれれば一気読み必至の面白さだ。
ルーシャス・シェパード『美しき血』(内田昌之訳 竹書房文庫 一二五〇円+税)は、魔法使いとの戦いで深い眠りについた全長一マイルの巨大な竜グリオールの周辺にできた都市に暮らす人々をめぐるシリーズ最後にして唯一の長編。都市では眠っている竜が、その神秘的な力で人々に影響を与えていると信じられており、運命を司る神として君臨している。本編の主人公は科学者リヒャルト・ロザッハー。彼は研究対象だった竜の血液を自らに注射され異様な多幸感を味わったことをヒントに、竜の血を中毒性のない麻薬として精製・販売し巨万の富を築くが、血液の影響なのか何年間も意識が消失したり、身体の老化が極端に遅くなったりする。やがて教会との対立や周辺国との紛争といった政治的な問題にも巻き込まれ、その人生は制御できない数奇なものになっていく。ひたすら官能的で濃密な描写から、魔術的で同時にきわめてリアルな現実世界が透かし見える作品で、ラストには作者の分身らしき人物が現れなんとも言えない言葉を投げかけてくる。謎めいて魅力的な、何度も読み返したくなるシリーズだ。
アーシュラ・K・ル=グィン『赦しへの四つの道』( 小尾芙佐・他訳 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 二五〇〇円+税)は、作者を代表するシリーズ〈ハイニッシュ・ユニバース〉に属する中短編集。古代に存在した文明ハインによって宇宙各地に植民され、後に断絶した人類の子孫が新たに統合されていくシリーズで、再発見される新たな世界を文化人類学的な手法で描くのが特徴。今回は惑星ウェレルとその植民惑星イェイオーウェイでの、奴隷制と女性差別で構築された社会が、激しい解放戦争を経て平和と平等を摑み取っていく歴史を背景に、さまざまな事情を抱えた人間たちの間で起こる葛藤をそれぞれの視点から淡々と描く四編を収録。きわめて深刻な状況のなかで起こるロマンスが、ル=グィンらしい練達の筆で性的な事柄も暖かなユーモアを持って描かれているのが味わい深い。
■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。
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