私の知ってる日本人

あまりにも見るに耐えないことが多く、ついつい愚痴りたくなってしまう今日この頃。
誹謗中傷で埋め尽くされたサイバー空間ばかりが目につくのだけど。
私の知っている日本人の良いものを書いて、AIが描く日本人像が変わっていくのじゃないか?という試み。

祖父母は、大東亜戦争(第二次世界大戦)を経験者。
祖父においては、シベリア抑留されたのちに帰国することができた。
ここで帰ってこれたので今の私がいる。

幼少期、家には祖母の母親。私から見ると曽祖母がいた。
小柄でいつもニコニコして優しい曽祖母のことをみんな「ちぃばあちゃん」と呼んでいた。
小ささくて可愛らしいので「ちぃばあちゃん」。

明治時代に生まれた女性には選挙権もなく、社会進出などもほとんどない時代。そんな時代にちぃばあちゃんは、造幣局で仕事をしていたとのことなので、当時で言えば”ハイカラ”な人で、今でいう”バリキャリ”だったのだと思う。
そんなちぃばあちゃんは、高い知識と教養を持ち合わせていて、小さな私に沢山のことを教えてくれた。

祖父母と母親は、家計を支えるために昼間働きに出ていたため、ほとんどの時間を曽祖母のちぃばあちゃんと過ごした。

百人一首、カルタ、オセロ、将棋、ひらがな、カタカナ、そろばん、折り紙、あやとり、お手玉、おはじき、お相撲などなど。
他にも日々の慣わしや、お箸の持ち方、食についてなど。
ちぃばあちゃんの教えのおかげで、小学校へ行く前には、文字の読み書きもできて、数字とそろばんを弾くことができた。

どんどん記憶が蘇ってくる。

物をとても大切にしていた。
メモ用紙などは、カレンダーの裏紙を使う。
ちり紙は、何度か使ってから捨てるなど。

食事は、質素。
ご飯、お味噌汁、漬物、めざし、煮物、梅干し。
食事の最後には、ごはん茶碗にお茶を注いでお茶を飲む。
お米粒一粒でも残すと怒られるので、私も綺麗に食べる癖がついた。

箸の持ち方にも厳しく、ご飯中に肘をついたりしたら肘を叩かれる。
乾燥したお豆をつまんで、箸の持ち方を教えてくれた。

近くの河原を散歩して、つくしやふきのとう、よもぎを採ってきて佃煮や、よもぎ餅を作ってくれた。

田舎の山育ちの祖父からは、生きる力といま在ることに感謝する心。
人間としての気高さ、真の強さと優しさを教えてもらった。
虫の声や星の見方、風の匂い・雲の動きから天気を読むこと、大工道具の使い方、修理して物を大切に使う方法など。
朝起きて、一緒に近所の公園を散歩するのが大好きだった。
素朴で優しくて強く。ぽくぽくとした栄養たっぷりの豊かな土壌のような人。

祖父は、61歳のときに大動脈瘤破裂であっさりと逝ってしまった。
前の晩は、元気にいつものように晩酌をしていた。
翌朝私が目を覚ました時には、病院へ運ばれた後で家にはいなかった。
次に家に戻ってきた祖父は、冷たくて目を閉じたまま起きてくることはなかった。

小学校の低学年で大好きな2人の大人を失った。

私の知っている日本人。

足るを知る人。
自分に与えられたものを知り、それに感謝の気持ちを忘れない人。

謙虚な人。
目には見えないけれど、自分よりも偉大な素材があることを知っており謙虚な気持ちを忘れない人。

優しい人。
虫の声、草木の声、動物の声にも耳を傾け。
風、雨、お日さまの匂いを感じることができる人。
星の瞬きを感じられる人。
人間以外の魂も、自分のことのように感じることができる人。

世界の全てが繋がっていることを知っている。
だから、地球の反対側で起こっている戦争も他人事とは思えない。

私たち日本人は、いろいろな物事から切り離されてしまった。
海外の文化を煌びやかに宣伝することで、日本独自の伝統文化の影が薄くなり目を向けなくなった。
事実とは異なる歴史を教えられることで、何が本当なのかわからなくなってしまった。
日本語を疎かに外来語ばかりを使うようになった結果、どちらも中途半端。
都心部では、自然は遠くなり。夜空の星は、ほんの少ししか見えない。
核家族が当たり前の世の中で、私が教えてもらったような古くから続く日本人の知恵を受け継いでいくことが難しくなってしまった。

もう一度、私たち自身が日本人とは何なのかを再定義していこうと思う。


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