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【落ち込みやすい人へ】悩んだ時は人生絶好の機会

「小さなことで悩むな」
現代のインフルエンサーの多くはこぞってこの言葉を使う。

「誰もあなたのことなんて気にしていない」
「悩む時間は無駄」

このアドバイスは正論であると同時に、つまらない。
悩みやすい人はすでに、「誰も自分のことを気にしていない」という言葉を人生で嫌というほど聞いている。

人が他人のことを100%理解するのは不可能というのなら、「誰も自分のことを気にしていない」ということを本当の意味で理解して生活するのもまた難しいだろう。他人の視点を主観的に見ることはできないのだから。

「悩みやすい人」が全く悩まないようになるのは相当ハードルが高いという前提のもと、それでも「悩む自分が嫌だ!」という人に対しては、悩むという行為を少しでも生産的なものにすることを推奨したい。

病んだ時の負のパワーほど強力なものはない

自分は心が弱った時にnoteを始めていくつか記事を書いたが、見返すと恐ろしいほど病んでいる。おそらくIQは10くらいになっていて、怒りのままに書き殴ったから書き上げるのに10分もかからなかった。表現の仕方なんてなんだっていいから、とにかく胸の中にあるものを吐露したくて必死に書いた。

ただ、人間の忘却能力というのもまた恐ろしく、負のパワーも長くは続かない。気持ちが落ち着いた今、表現したいもの、伝えたいもの、吐き出したいものがなくなって、noteを前ほどの勢いで書けなくなった。

落ち着いて理性的になった今、書きたいと思えるものはHowTo系のような「誰かのためのコンテンツ」になった。誰のためにもならない、人間のドロドロとした感情を表現することは逆に難しくなり、書きたくても書けなくなった。
人間は理性的になると、まぁありがちなことしか言えないものだ。どこかで聞いたような言葉、よくある自己啓発、そんな内容に着地する。

だからこそ、病んだ時は絶好の創作活動のチャンスだ。
「小さなことでも悩みやすい」という人に、悩む機会があるのは得なことですよ、と声を大にして伝えたい。

今回はフェーズ別にどんなステップを踏むと、「悩むこと」を生産的な活動に繋げられるかを紹介したい。

病み期:創作活動の絶好のチャンス

病んだ時は、なにくそと思って自分の感情を何かしらの形にしておけばいい。日記でも、noteでも、絵でも、歌詞でも、ポエムでもなんだっていい。上手さなんて一切いらない。あとから見返して恥ずかしいと思えるくらい、ありのままの感情を記録してみたらいい。誰かのためではなく、自分のためだけに表現したらいい。

私の場合はnoteと日記だった。理性的な時の自分からは想像もできないような言葉で、煩悩の塊となって書き殴った。
自分にもし音楽の才能があれば、この苦しい時間が名曲につながるのにと思った。自分には音楽の才能も絵画の才能もないため、一番身近な執筆という形に落ち着いたのだと思う。


回復期:「悩む」→「考える」へのシフト

「悩む」と「考える」は似ているようで違う。

「悩む」は、ひとことで言うと「ぼやっとしている」状態です。 「どうしよう、どうしよう」と思考が堂々巡りになっているだけで、具体的なことは頭の中に出てきておらず、このままでは解決の方向には向かいません。 一方、「考える」は、何か課題を抱えている時に、自分なりの解を出そうと頭を使っている状態です。

グロービス経営大学院


病み期は思いっきり悩んで堂々めぐりになっていればいい。
そもそも、悩んだ方が得なのだ。

悩む=課題=ニーズ

自分が悩んだ時、同じようなことで悩んでいる人がきっといる。自分が悩んだ時は、この世に存在するニーズを発見できたと思えばいい。

そして、課題やニーズを発見したら、解決策を探る「考える」という行為にシフトする。堂々めぐりの時間は気が済むまで取ればいい。そのあとは、どうしたら解決できるかを「考える」という行為に移す。

その際、紙に書き出して論理的に整理することを推奨したい。悩むという行為が感情的なものであるなら、考えるという行為はとことん論理的であるべきだ。

感情にはとことん論理的に向き合う

なぜ悩んだのか、原因は何か、どうしたいのか、どう行動するべきなのか、紙に箇条書きや図を用いて書き出してみる。その時の自分の負の感情を書き出す時、自分を客観視して第三者視点で書くことが重要だ。

「嫌だった、苦しかった」

ではなく、

「この時私は嫌だという感情を持っていた」

小説の主人公の感情を説明するように、自分の感情を第三者的に描く。自分を客観視することで、これからどうすべきなのかがわかってくる。人間は自分とは無関係のことであれば、自分なりの正しい選択や見解を見出せるものだ。主観的に見るから思考が整理されず、いつまでも堂々めぐりになる。

正直、これを正しく実行すると、自分の悩みがなんともありふれた、他人にとってはどうでもいいことだと分かることが多い。ここで初めて「他人は自分に興味ない」ということが本当の意味で分かってくる。

自分の客観視に成功すると、「こう対処すればいいじゃん、そんなに難しいことじゃないじゃん」と思えてくる。自分ごと化しなければ責任感を持つ必要もないので、恐れなどがなくなり、すごく冷静で合理的な結論が見つかってくる。

「こういうことに悩んでいたんだ」
「その理由を分解するとどんな思いや背景があったのだろう」
「これについて心配しているけど、起こる可能性って本当に高いのかな?起ったとしてもそんなに大きな問題になるかな?」
「起こる可能性を最大限低くするには、こうしたら良いのではないか?」
「じゃあこのように行動してみると良いのではないだろうか」

こんな風に整理すると、次にどうしたら良いのかが浮かんでくる。その行動が、いつか自分のように悩んでいる人の助けになるかもしれないし、何より自分のためになる。

悩むという行為はニーズの発見であり、考えるという行為にシフトすれば、そのニーズに対応するものを生み出せる。そうすることで、悩むという行為を少しでも生産的な活動にできる。悩むことは悪いことではない。むしろチャンスであり、悩んだ方が得なのだ。

人生でドン底まで悩める機会はそんなに多くない。全く悩まないという人もいる。そんな中で、悩みやすいという特徴を持って生まれてきた人は、「好転のチャンスをもらえる機会が多い人」とポジティブに捉えてほしい。



最後に:「他人は変わらない」ということ

「全ての悩みは人間関係」とアドラーが言うように、あなたが抱える悩みはほぼ100%で人間関係にまつわることだろう。

最後にこれだけは覚えておかなければいけない。他人は変わらない。もっとちゃんと言うと、「他人はあなたのためには変わらない」。人が本当の意味で変わる時は自分のため以外に他ならない。

だからあなたが導き出した解決策が、少しでも他人に変わってもらうことだとしたら、それは「期待」であり、最も危険な行為だと思う。
取るべき行動がわかったら、それは自分だけで行動できるものか、ということを確認すると良いだろう。


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