「noteネタ切れしたんやけど」と彼氏にぐちったら自分のnoteの価値に気づけた話
noteを連続投稿しはじめてもうすぐ1ヶ月。楽しくやっているし書きたいことはまだまだあるが「今日のテンションで書けるネタ」ってなかなかないねんな。
仕事における学びの備忘録とか、育児についての重めの感情とか。ほろ酔いの日曜の夜には、ちょっと、ごめんなさい。
今日のnoteどうしよう。はよ書いて映画観たいのにネタ思いつかへん。煮詰まった私は「私のnoteの個性ってなに?」と電話中の彼に助けを求めた。そしたら、心の中をさらけ出すことで誰かの力になれることに気づいた。
🤔💭
「チカちゃんのnoteはせきららやな」
これが彼の第一声。もっと詳しく聞かせてくれ。
彼いわく、私がnoteにつづるのと同じような感情を抱く人は他にもたくさんいると思うが、その感情を表に出す人・出せる人は少ないように感じると。
たとえば、外食だらけの育児、子どもに八つ当たりしたこと、息抜きにお金を使いまくったこと、ひとり親の葛藤、仕事の悩み。
みんな経験しているけれど、「ダメなこと」「うしろめたいこと」として心の中にしまっている。それを私はせきららに言語化して発信していると彼は言う。
「たしかに私は心の中身をオープンに伝えるのが苦ではない。でもそれが何になるん?」と私。
私にとってnoteは感情の変換器だ。嫌なことや悲しいことや投げ出したいことを書くことで、「そういうこともあるよな」と受け止めてなんとか前を向くことができる。ある意味自分のために書いている。
「その言葉たちが、思っているけれど言葉にしない・できない人にとって、心を軽くする材料になるんやない?等身大やから刺さるんよ。だからスキが増えているんやない?」と彼に言ってもらった。
勇気を出して自分の気持ちを吐き出し整理することで、同じ辛さを持つ人の代弁者になることができるのか。そうだとしたらうれしいな。
自分のために書く一方で、読者の力になるnoteを書くにはどうすればいいだろうと毎日考えてきたが「心の中をオープンに言語化できること」は、人の役に立つ能力の1つなのかもしれない。
そういえば、どうにもならない気持ちを吐き出した…と伝わってくるような脈打つ感情が詰まったnoteに励まされた経験、私にも何度もある。書きたいことを書けば届くべきところに届くってそういうことなのかもな、と気づいた夜。
大切な気づきをくれた彼が「お気に入り!」と言ってくれた私のnote⇩