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noteを3週間毎日書いた。完璧はなく、完了だけがあった。
個人の「書く」に寄り添いサポートするパーソナル編集者、セトショウヘイさん(@setoshohei)のポストから拝借したこの言葉。本当にそうだよなあと首が取れそうなくらいうなずいてしまった。
3年ほど前に書いた自分の文章を読んでます。「もっとこういうふうに書いたらよかった」と思う部分が山のようにあります。「ってことは最近書いた文章も3年後読んだら直したいところが出てくるんじゃね?」と気付いて、完璧な文章など存在しないと結論づけました。あるのは「完了」とにかく投稿すること
— セトショウヘイ|書くに寄り添う (@setoshohei) October 7, 2024
そして、背中を押された。
私は根っからの完璧主義。それでも33年間生きてきて、生活の中にある抜きどころの見極めや、ものごとを客観視する方法はだいぶ身についた。
ところが、自分の胸の内を文章にして世に放つという、なんとも特殊なnoteの世界ではどうしても悪い癖が出る。目指したところで完璧なアウトプットができる自信もないくせに。
誤字脱字ダメ絶対。
何文字くらいが読みやすいと聞いたぞ。
18時が読まれるらしいからそこで出したい。
待って!写真もあったほうがいいよね。
フリー素材じゃなくてオリジナルの写真がいいよね。
…クライアントさんが覗くかもだよねコレ大丈夫?
こんなもん、全部クリアしようと思ったら投稿に100年ぐらいかかるで。その間に私も読者も年老いてまうで。
✍️☑️
noteの連続投稿を始めて3週間たった。
めちゃめちゃ作り込んで投稿した日もあれば、息も絶え絶え、つぶやきだけで勘弁〜という日もあった。
誤字脱字もあったし、稚拙な表現しかできない日もあったし、写真がない日もあった。
それでも、毎日その日に強く感じたことを投稿してきた。完璧ではなかったが「完了」を積み重ねてきた。
結果、読んでくれた方のリアクションは想像以上だった。「ストレートに伝わってきた」と言われることが格段に増えた。
やっぱり、生きた文章ってあるんだな。完璧を捨てて完了を重ねたことで実感できた。
それに、想いをこめて完了を積み上げていけば、質も上がるんだろうなとなんとなくわかる。野球少年の素振りみたいなものだろう。(野球わからんけど)
明日も書く。