私たちは、いつから自分のことをクリエイターではないと決めつけるようになったのだろう
私がnoteにブログを移転してから1年が経ちました。
当時は、自分がまさか1年後に、そのnoteを運営している会社で働くことになるとは全く思ってなかったわけで、人生って分からないものですよね。
で、当時書いたLINEブログからnoteへの移転宣言の記事を読んで改めて思い出したのが、当時自分がnoteに感じていた「クリエイター」という言葉の違和感でした。と言う話を書いておきたいと思います。
noteでは、noteで記事や投稿をしている全ての方のことを「クリエイター」と呼んでいます。
なので、ヘルプページの1番下にある「noteとは」的なAboutっぽいページのタイトルが「クリエイターの方へ」なんですよね。
当然、私なんかは違和感を感じるわけです。
「自分は『クリエイター』じゃないし」と。
noteにブログを移転したばかりの記事にも明確に
私は明らかにクリエイターじゃないし。
ブロガーとしても半端もんだし。
一記事ごとの課金の仕組みとか、サロン的な仕組みとかを見ていると、ますます自分向けな場所じゃないなと思ってしまったりするわけです。
とか書いてるんですよね。
「クリエイター」って言うと、イラストレーターの方とか、マンガ家の方とか、映像クリエイターの方とか、なんか手に技術を持ってて、それでお金もらって食べている凄い人たちを想像してしまう自分がいるわけです。
で、noteを運営するピースオブケイク代表の加藤さんの話を聞いていて、目からウロコだったのがピースオブケイクのこのビジョン
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」って書いてあるじゃないですか。
この「だれもが」って、加藤さんの中では、本気で「だれもが」なんですよ。
加藤さんは元々出版社の編集者だから、加藤さんが言ってる「クリエイター」っていわゆる本を出版できるような著者の人たちのことだろうな、とか勝手に先回りして誤解してたんですけど。
違うんです。
加藤さんは本気で「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」のを目指してるんですよ。
「だってどんな仕事してる人でも、創作とかしてる人生の方が楽しくないですか?」
とか素で言うんですよね。
先月note酒場で、プレゼンをさせていただいたんですが。
その時にも私の前のプレゼンターの方々が、口々に「私はクリエイターじゃないんですけど」とか「私みたいな人間がクリエイターさんと同じ場所で書かせてもらって恐縮なんですけど」みたいな話をされていたので。
アドリブでこの話を追加でさせて頂きました。
そしたら、プレゼンが終わってから、想像以上に多くの人に「救われました」とか「あの言葉で肩の荷が降りました」って言って頂いたんですよね。
いや、私もホント加藤さんの言葉で、変な肩の力が抜けたので、気持ちはとても分かります。
で、改めて思うのは、「私たちは、いつから自分のことをクリエイターではないと決めつけるようになったのだろう」ということです。
「クリエイター」って読んで字のごとしで、「クリエイトする人」。
クリエイトって作るとか生み出すとか創作するって言葉であって、何かを作っていればその人はクリエイターなんですよね。
こうやってnoteに文字を書いている人は、その内容が小説だろうがエッセイだろうが、私みたいな単なるニュースの感想だろうが、少なくとも文章を生み出しているわけで、十分「創作活動」の一種。
スマホで風景の写真を何気なく撮った人も、その写真を誰にも見せずにしまいこんでしまったら、ただの画像でしかないかもしれませんが。
もしその写真をインスタとかツイッターにアップして、誰かがそれを見て「綺麗」とか「行きたい」と思えば、それも十分、見た人にとっては「クリエイター」的な写真と言えると思いますし。
毎日料理をしている主婦の方も、日々の料理が感謝されない単純作業と感じてる方もおられるかもしれませんが。
日々の料理という「創作」を楽しんでいる主婦の方であれば、それも十分「クリエイター」活動と言えるんですよね。
でも、私たちは、自分で自分を「私はクリエイターです」とはなかなか言えないですよね。
多分、クリエイターにしても、ブロガーにしても、横文字の肩書きっぽい呼び名にしちゃうと「職業」的な印象が強くなるからだと思うんですけど。
自分で自分をクリエイターだと思えないと、自然とそういった創作活動をすることも少なくなっていきがちです。
「私には文章なんて書けませんよ」とか「私も昔は絵が好きだったけど才能ないんで」とか「写真撮るのは好きなんですけど見せるほどでは」とか。
子どもの頃は、他人がどう思うかとか気にせずに、絵を描いたりお話し作ってたりしてたはずなんですけどね。
でも、加藤さんがピースオブケイクのビジョンとして掲げているように、「だれもが創作をはじめ、続けられる」のが普通になったら、ちょっと世の中楽しくなるんじゃないかなとは、確かに自分も思うんです。
お互いに罵倒しあう未来とかじゃなくて、あくまでお互いの「創作活動」を尊重して、敬意を払い合える未来ですよ。
今の日本のインターネットの雰囲気だと、創作活動を努力している人に対して、心ない人が「クソつまんない」とか「死ねば良いのに」とか「無駄に長い」とか「短すぎる」とか好き勝手言ってきて、心が折れることも少なくないわけですし。
普通の大企業で、ブログとかソーシャルメディアとかはじめたら「なんだ転職するのか」とか「副業はじめたの?」とか「会社に迷惑かけたらどうするんだ」とか、出る杭扱いされやすい企業も少なくないと思うんです。
でも、誰もが創作をしているのが普通な世の中で、お互いにお互いをクリエイターと思って、お互いの創作活動を尊重して応援し合うような雰囲気になったら。
たぶん、そうやって創作活動やらずに批判してた人たちも、他の人を批判するんじゃなくて、自分の創作活動を楽しむ方に時間を使ってくれて、もっとネット全体の雰囲気が丸くなったりしないかな、と。
そんなことを妄想してしまうわけです。
で、note酒場のプレゼンでも宣言させて頂いたんですが、まずは「誰もがnoteのアカウントを持っているのが普通の未来にする」ことに貢献することに、しばらく注力してみたいと思っています。
例えば11月7日(木)にはCOMEMOさんでスマートニュースの川崎さんと一緒に「ビジネスパーソンが発信を武器に変えるには?」というテーマで、イベントしたり。
例えば11月18日(月)には、会計ソフトの会社で仕事をしながらnoteで旅行記を書いている岡田さんと一緒に、会社員にとっての旅行記とかエッセイを書く意味を議論したり
12月にも似たようなイベントをいくつか予定していたりします。
(noteはじめようか悩んでたり、続けられなくて悩んでる方は是非ご参加下さい。)
noteで連載すると言っていたブログの書き方連載も、すっかり更新が止まってしまっていますが、まずは基本的なところをもう少し早めに書き終わってしまっておきたいなと思ったり。
きっかけがないと、後回しになって書けないので、こういうことに悩んでるけどどうすれば良いか?とか、ブログとかnote続ける上でここに引っかかってるんだけど、どうすればいい?みたいなご質問があれば、是非コメントなりメッセなりで頂ければ幸いです。
オレはブログなんて書くつもりないよ、という方も、是非noteのアカウントだけ作って、自分が気になるnoteにスキしてみたり、フォローしたり、コメントしたり、是非してみて下さい。
単純にツイッターで気になった記事だけ読んでるよりも、ちゃんとnoteのアカウント作って、(できれば自分の名前で登録して)、知ってる人をフォローしたり、興味のあるテーマの記事を読んでるだけで、少し自分なりの創作活動のヒントが見つかると思うんですよね。
みんなが何らかの創作活動をやるようになったら、ほんときっと少しいろんなものが違って見えてくると思うんです。
もし、皆さんが1年前の私と同様「クリエイター」という言葉にハードルを感じているのであれば、是非その言葉の重みは1度忘れて、是非一歩踏み出してみてください。
一緒に創作活動楽しみましょう。
追伸
加藤さんがツイートで補足してくれたので貼っておきます。