比較との対峙【頭の整理】
※本記事では今までと少し趣向を変えて、「うつ」や「精神疾患」に囚われない、「今の僕の頭の中」を整理する手段としての記事を投稿する試みを行います。
興味のある方のみ覗いてみてください。
路地裏の皆さんから「あのセリフ」が出てきそう(笑)
うつ病になってあまりいいイメージを持つことのなくなった、「比較」という言葉。
とある方の記事で思うことがあったので、比較をテーマに頭の整理として書き殴りたいと思います。
まずは、比較とは何ぞや?
比較は毎日無意識にごく当たり前にやっている行為です。比較せずには生きていけません。
昼飯はカレーにしようか、ラーメンにしようか?
昨日より寒いな。
お、こっちのブランドのほうが安い。
などなど。
そんな中で、僕が最近「比較」にネガティブな印象を持つのは以下の場面です。
①自分を基準とした優劣の判断
→自分が劣る存在だ(自己肯定感の低下)
②比較するベクトル(方向)を間違う危険性がある
①については
「自己肯定感の低下」、僕がうつ病になったきっかけのひとつだと思っています。
劣るなら努力で追いつき追い越せばいい。
別の領域で自分を高めればいい。
そう考えることができるのは気持ちに余裕がある時です。
気持ちに余裕のない時はネガティブに捉えがち。
例えば、ライバルの〇〇さんに昇進の先を越された、というような場合。嫉妬とも言えます。
それなら最初から他人との「比較」は意識してやめよう。
自分が置かれている状況に集中したほうがよほどマシです。でないと過去の僕のようにメンタルを冒されるきっかけになります。
そして②。
これも①と関連することですね。
例えば、あるnoterさんに憧れて同じように活躍したいと思うとします。その方と自分との間で足りないのは「伝えるテクニック」だと判断して、一生懸命その方の記事を読み込み、そのまま自分の中に取り込んでみる。
でもこの判断、行為は本当に正しいのでしょうか。
noteを登録し、執筆される方は皆さん一定レベル以上の文章力をお持ちで、強い意志や思いを込めて投稿されています。
それが、憧れのnoterさんのテクニックと自然に融合できるのか?
はっきり言って難しいと思います。
違う人生を生きてきて、違う経験を積んできた人の思想は相容れないことも多いです。
仮にうまく融合できた(と思った)として、多くの方の興味を引くかどうかはテーマにもよりますし、閲覧・フォローいただけるか「運」の要素も出てきます。
①②のいずれにしても、大事なのは「自分軸で物事を見られるか」ということだと思うのです。
他人のいいところは自分にいいのか噛み砕いた上で受け入れを判断する。大事なのはそれを鵜呑みにするのではなく、「自分」に活かせる落としどころはあるか?という考えです。
今回は「比較」について考えてみました。
比較は物事の結論を出す上で有効な手段ですが、自分の関係する比較は自分軸をしっかり置いた上でやらないと、痛い目を見るかもよというお話でした。
やっぱり回収されないのに「あのセリフ」をつぶやきたくなりますね(笑)
本記事を読んでいただき、感謝申し上げます。
スキやコメントをいただけると小躍りして喜びます。
by とことこてー
以前の記事は自己紹介記事から参照下さい。
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