
映画制作記念付録・SUKIYAKI 上を向いて歩こうカバー祭り(色々な言葉編)
63年当時、70ヶ国で発売された、この日本語のレコード。
で各国で、その国の言葉でカバーされていて。
インドネシアからスタート
まずはインドネシアのKarsono Brothers
って方たちのバージョン。
インドネシアバージョンは、グループ名を調べても、プロフィールもわからない。インドネシア語は、サッパリ読めもしないし。笑
英語の説明だと、60年代のカバーだったことぐらい。
日本の侵略・統治時代から、まだ20年ぐらい。それでもインドネシアの人は、曲を好きでいてくれたんだなぁって。感慨深いかなぁ。
42年から3年間だけだけど、日本語とインドネシア語で、教育が行われた国でもあり。
インドネシア語の特徴なのか、日本より欧米のロックなんかが、まだ浸透してなかったせいかは、わからないけど、リズムは、わりと平坦な感じの歌い方。
ゆったりはしてるけど、坂本九のパンチは無い感じの歌唱。笑
この曲はコーラス付けたくなるメロディーやコードなのか?
英語版を含めて、コーラス採用率は、まあまあ高い感じ。
何故?ヘブライ語はイスラエル
曲を歌ってるのは、私の不勉強で、読めません。笑
סוקי יאקי · Tzevet Havai Sadna Gaysit
ヘブライ語のタイトルも読めない。笑
翻訳したら、ヘブライ語表記部分が、『スキヤキ』、アーティスト名をアルファベットにしたら、ツェベト・ハバイ・サウナ・ゲイ。カタカナにすると、そうなるらしい。
大変申し訳ない感じだけど、イスラエルの今の公用語は、ヘブライ語だったんだ!で。
ユダヤの人たちが、2000年前に国を追われ、世界に散らばって行った経緯は、それなりに知ってはいて。宗教の歴史の話として。
が、戦後イスラエル建国に関して、色々あり、まだパレスチナの紛争は続いているのは知っているけど。
あの土地に住んでた人は、建国前はアラビア語の地域。周りの国はアラビア語、だからアラビア語か、移住者が世界から集まってるし、テレビ映像で観るイスラエルの首相なんかは、大抵は英語で話すイメージだったから、公用語も勝手にアラビア語と英語かと思っていて。
が、建国までの2000年間、ユダヤ教の礼拝などで、ヘブライ語は受け継がれていて。聖書は元々はヘブライ語で書かれていたし。
宗教儀式を通して、継承されていたとは!だった。イスラエルの方々、ごめんなさい🙏です。
で、言葉としては、昔のヘブライ語そのままではなく、建国後、現代ヘブライ語が普及するようにになり、公用語に入ってたアラビア語が抜けて、今は公用語はヘブライ語に。
でも、移住者が多いのと、スウェーデン以上に国民が少ないから、国外でビジネスや教育を受けるには、英語が役にたつから、英語教育はかなりしている。
国内のエンタメも数が少ないから、映画も字幕はあるけど、吹き替え無しだから、皆さん英語は耳慣れているらしく。
一部の地域は、スペイン語ドラマが人気だったから、スペイン語話す人が多いとか。
コレって、日本も近年までは、吹き替え無しも多かったけど。最近まではほぼ同じ状況だったけど。あ!テレビで映画やるのは、吹き替えが多かったから、ダメだったのかも?
日本語のドラマや映画があったのが、良くなかったのか、理由はわからないけど、英語力には圧倒的に差はある。笑
で、ヘブライ語は、横書きだけど、昔の日本のように、左から読むのではなく、右から読むらしい。
文字も全く違うけど、見た目は少しアラビア語に似た感じではある。
子音しか無いのも、22文字しか無いのも、全く知らず。世界はまだまだ広かった感じ。笑
全くアーティスト名見ても、何語かわからなかったのが、このヘブライ語で。
まさか、ヘブライ語版が出ていたとは!な感じで。
レコーディング時期も?
ヘブライ語翻訳をしたけど、ボーナスが75年〜6年なのに、その前の期間は、69年〜93年で、リリースは2000年になってて、訳がわからない。笑
YouTubeには、2010年にアップされた感じで。
作者名、作詞は何故か永六輔ではなく、永孝雄になっていて、コレは永六輔の本名。
まずは、日本語で歌って、その後はヘブライ語で歌っている様子。日本語はなかなか上手い。巻き舌気味だけど、坂本九もわりと巻き舌だし。笑
語り?の部分はちょっと拙いけど。
サウンドから考えたら、70年代あたり?80年代かも?な感じ。レゲエっぽいリズムだし。やっぱりレゲエ採用率高い感じで、中村八大はちゃんと、ビートがあったって感じがわかるかなぁ…で。
個人的には、聴かない言葉だから、ヘブライ語部分が新鮮だから、もうちょっと多くても良かったかも?な感じで。笑
が、マイナー言語の国の人が、マイナーな日本語に挑戦して、歌ってくれるのは、嬉しい感じもあり。
フランダースの犬の地方の人
『Ik Zal je nietvergeten(SUKIYAKI』と言うタイトルで、レイ・フランキーがオランダ語で歌ってる版。
タイトルを翻訳するだけで、1時間かかって。笑
YouTubeからタイトルがコピー出来ず、ご本人から調べたり、結果わからないなりに、アルファベットで入力して翻訳。笑
訳したら『あなたを忘れません』らしい。
疲れた。笑
私たちの年代は、アニメの「フランダースの犬」が、懐かしいフランドル地方。
何故か、ウチの父が大好きで、最終回?観て号泣ぐらい、泣いてたな。笑
昔からあの地域をフランス・ドイツが支配し、今はオランダの地方に。言葉は、フランドル語もあるらしいけど、オランダ語。
この曲を歌ってる、レイ・フランキーは、第一次戦中にフランスのノルマンディー生まれ。家族が戦争で、避難していたから。終戦後は、フランドル地方に戻り。フランドルの言葉は、フランスの影響もやっぱり強いから、フランス語も話せたか?で。
デビュー曲はバリでレコーディング。
オランダでは、人気の第一人者になったのに、何故かわからないけど、飲食店を経営し始めて、レコーディングもライブも制限せざるを得なくなり。
時期が、この曲が出た60年ごろから。
リリース時期はハッキリしないけど、曲と関係が深い、日本のバラエティー番組『夢で逢いましょう』の、63年6月8日放送分では、このオランダ語版のレコードが流れた記録がある。
アメリカで発売が5月頭だから、オランダ語版は、イギリスでトランペットのインスト版が出た62年に、既に日本語版があるのを知り、オランダ語の歌詞を作って、レコーディングした可能性が高そう。
アメリカ発売から、1か月で歌詞も作って、レコードのリリースは、時間的には難しいし。
ヨーロッパでも、日本発売のレコードを手に入れて聴いてた人が、レコーディングを勧めた可能性はある。サッパリ経緯はわからないけど。笑
オランダ語版には、ヨコハマやフジヤマ芸者?も出てくるから、また日本と言えば…な内容の歌詞なのか?
サッパリ中身は、私にはわからないけど。笑
まあ、江戸時代に、唯一交流した国はオランダだけだし。カステラは有名だけど、コップも元はオランダ語から来てるとか。
全体の意味は、よくわからないけど。
作詞した永六輔は、この番組の作家だし、オランダ語歌詞を、当時はどんな風に思ったのかなぁ…は考えるかなぁ。
同時期にはフランス語版も
曲は、カナダ人の違うバージョン。
『Sous une pluie d'étoiles 』日本語に訳したら、『星のシャワーの下で』って意味のタイトル。
歌ってるのは、カナダのケベックのマーゴット・ルフェーブルって女性。
調べてたら、63年にこのフランス語版を、女性と別に男性歌手も歌ってるらしく。このバージョンのレコーディング時期もおそらく60年代?
YouTubeには、何故かGÉRALDMAKAMURAのクレジットもあり。コーラスの人かも?詳細がわからないので、申し訳ありませんが。
オランダ語版を紹介した、同じ日に番組「夢で逢いましょう」で、フランス語版も紹介されてるけど。
流れたフランス語版は、YouTubeにも、 Spotifyにもなくて。カタカナだと、ティッキーって人。
今、フランス語で、この曲を聴けるのは、カナダ人のこの人しか出て来ない。これも、ジャケット写真からも、かなり昔の、日本語版がヒットした時代に近そう。
フランスにいる人だと、今のカナダのフランス語映画を観ると、かなりフランス語が色々違うらしく。
訛ってるとかのレベルではなく、言い回しなんかが違うから、観ていると気になって仕方ないとか。
私なんか、フランス語みたいなのを、話してるか?ぐらいしかわからないけど。笑
が、まあフランス語を話す人は、もう移民して何世代?だし、イギリス連邦にまだ入っているから、未だに英語とフランス語が公用語だけど、フランス語も変わるよね〜な感じはある。
やっぱりかなり離れていると、そうなるだろうし。言葉は不思議でもあるなぁ…な感じ。2000年前からの言葉も出てきたし。笑
他にヨーロッパだと、イタリア語とかもあるし、ドイツ語は男子グループ版や、来日して、坂本九とも会ったって言う女性歌手版も。
イヴォンヌ・カレって女性。映画にも出てたり、最初はクラッシックのオペラのアリアを、イギリスの舞台で歌って、デビュー。
生まれは、イギリス領のバミューダ諸島。で、20ヶ国語ぐらいで、歌を歌ってたらしく。日本語の芸者をテーマにした曲もあるらしい、経歴だけでもビックリな感じの人。コスモポリタンな感じ。
スロベニア語は発見したけど
大好きな、モドリッチのクロアチア語版も探したけど見つからず。64年にはリリースされたようだけど。
当時はまだ、スロベニアとクロアチアは同じ国、ユーゴスラビアだったから、スロベニア語版とクロアチア語版を間違えたのか?
レコード会社は、クロアチアレコードになってるから、混同したのか?
よくわからないけど、この音源はスロベニア語なのは、多分正解。
歌詞を作った人が、スロベニアでは有名な詩人、スロベニア語で書いてた人。Strniša Gregorカタカナだと、グレゴール・ストルニシャって人なので。
タイトルは、『Sukiyaki』歌ってるのは、Marjana Deržajって人。カタカナ表記が無いから、どう読むのかわからない。笑
詳しいプロフィールはわからないけど、生まれた場所も、亡くなった場所も、スロベニアの首都だから、おそらく歌ってるのは、スロベニア語かと。
歌詞には、長崎、芸者、すき焼きが出てくるから、オペラの『蝶々夫人』から、連想して歌詞を書いたのかも?だけど、内実はサッパリわからない。笑
世界史を勉強し直しても、複雑過ぎてわかりにくい、中欧・東欧地域。
ユーゴスラビアが、どっちになるのかさえ、おぼつかない私には、民族の対立や国の独立で、別々の国になったことだけは、知ってるけど。
ちなみに、今の世界の言語人口ランキングも調べたけど、ヘブライ語同様に、30位以内には入らず。
23年調べの人口は、212万人。クロアチアは、386万人。
少ない人口でも、世界で戦えるサッカーのクロアチア代表は、やっぱり凄い!
モドリッチが現役やめても、彼に憧れた子供が、多分活躍してくれそう。笑
スロベニアもオリンピックなんかで、スキーで凄い選手がいたり、プロテニス選手もいたり。
人口が日本の50分の1しか、いない国なのに、有名な詩人がいたり、歌手がビジネスとして、成り立つのはビックリはあるかなぁ。
リリース当時は、国は社会主義国だったのに、この曲が発売されたのも凄い。
リリース時期はハッキリしないけど、歌手の女性も、36年生まれだし、冷戦真っ只中の60年代〜70年代のレコードのようだし。
社会主義、共産主義の壁も破るのは、音楽の力か?って。
中国語版はパス!笑
中国は今や本当の意味では、共産主義じゃない感じ?笑
土地は国の物にして、皆んなの生活の面倒をみる、分配するのが、共産主義だと、昔に理解した私は、間違えてたのか?笑な感じ。
中国語バージョンは、北京語、広東語、台湾語の違いが、全くわからない上に、マレーシアの中国語版もあり。
マレーシアの中国語は?って、調べたたら、やっぱりマレー語と混ざったりして、新中国語と言われたりするぐらい、違うらしく。
昔知り合いに、マレーシア人の人がいて。彼は裕福な中国系の人だから、北京語と英語は話せて、日本に留学したから、日本語はペラペラ。
お隣のシンガポールは、公用語が英語だし、色々とチャンポンになるのは、わかる感じで。彼はマレー語は、話せるか聞いてないから、わからないけど。
私には聴き分けも、使う漢字から推測するのも、怪しいから、中国語関係は、今回は保留で。笑
チェコも共産主義の時代の曲
チェコは、ヨゼフ・ジーマさんが64年にリリース。タイトルはスキヤキではなく、『白いカラス』らしい。
歌ってるヨゼフ・ジーマは、俳優出身で、この時代はポップス歌手として成功。司会なんかもやっていて。
80年代には、チェコの民俗音楽の、ブラスバンドと言うのをを広めて、普及に貢献したらしく。まだ、90歳超えて存命なようだけど。
このチェコ版は、何だか出だしから、コミカルな感じになっていて、あの『おらは死んじまったた』って、曲を思わせる感じで。笑
楽しいアレンジで、楽しく歌ってる感じだけど、当時のアレンジでは、かなり私は好きなタイプで。元気が出る曲になってる感じだし。
が、Googleさんに歌詞を翻訳して貰ったたら、何だか意味不明な歌詞に。
彼女が出てくるし、カラスは出てくるけど、恋愛の曲なのかすら、私には判断が付かず。カラスが何故関係ある?タイトルにもなってる理由もわからない。
で、noteのお仲間で、私がチェコと言えばの、らいとるらいとるさん。記事はこちらから。↓
元は野球絡みとかで、記事を拝見していたんだけど。広島カープファンの方。
が、チェコだけでなく、ヨーロッパ各国も回られたり、色々と旅行の楽しい記事もあり。
あのWBCで人気になった、チェコ野球にもお詳しい方。
リリースは64年だから、冷戦の真っ只中。鉄のカーテンが、ガツンと降りていた時代。
キューバ危機の後で、プラハの春と呼ばれるチェコで共産主義が、一時的に緩和される、4年前の時期。
まさかの『上を向いて歩こう』から、昔の冷戦時代の、あれこれを復習するハメになるとは!だった。笑
当時は、スロベニア含めて、共産主義圏が、東側と呼ばれていた時代。
そんな国でもこの曲は愛されて、国の言葉で歌ってくれるとは!だった。
西側から、レコードが入ってなかったら、西側のラジオだけで耳コピーして作ったのか?楽譜が入って来てたのか?
事情はサッパリだけど、日本語の歌詞は、政治的な意味は無いけど、人を励ますような内容だったから、発売出来たのかも?で。
永六輔の心中はちょっと違うし、彼は赤旗にも関係してたから、共産主義国の政治家からしたら、仲間だと感じたから、リリース出来たのか?内情は、全く不明だけど。
で、今回チェコ語を、らいとるらいとるさんに、無理矢理協力していただき、歌詞を読んでいただいた。笑
古い曲だから、彼もチェコ版があったのも、ご存知なくて。
あの時代だと、まだらいとるさんも、生まれてなかったぐらい。
チェコの前にはアメリカにもいらしたらしいから、知らないのは当然で。笑
で、社会主義だから、政治的な意味が裏にあったかは、歌詞からは何とも言えないらしく。チェコ人じゃないから…って。笑
が、美しい詩、って感想が。
Google翻訳したら、ちんぷんかんだったけど、言葉のわかる方が、美しいと感じているなら、変な歌詞では無いことが、確かめられて良かった。笑
素敵なチェコ語の歌詞に、楽しいアレンジ。めちゃくちゃ良いカバー曲になったのでは?って。
北欧ではテレビ番組が放送
曲は、デンマーク語のバージョン。
ノルウェー語版は、記事の最終回でも紹介したけど、何故北欧圏では親しまれてたのか?
で、一つの鍵は、日本でこの曲が歌われていた、バラエティー番組の『夢で逢いましょう』は、他の国でも放送されてたらしく。
日本を代表するバラエティーとして、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの北欧でも放送。
時期がわからないから、この曲が歌われた回が、放送されたかも不明だけど。
ノルウェーのチャートで1位になったのは、この番組から日本に親しみを持ってくれたのも、理由だったかも?で。
基本は音楽バラエティーだから、映画音楽特集とかの回もあったりで、ほぼラジオもスウェーデン語の曲しか、流れなかったらしいスウェーデンでは、アバのメンバーも観てたかも?で。
ぐるっと回って、アバとも繋がったか?な感じ。笑
日本では61年4月放送開始だから、アメリカで『スキヤキ』がリリースされた、63年ごろには、北欧なんかでも放送されてた可能性はあり、
日本では66年までだから、途中の63年あたりは、可能性が高そう。
デンマーク版最近のオシャレな
ノルウェーだけでなく、デンマーク語でも出ている。60年代にデンマーク語版があったかは不明。
この音源は時代がかなり後の、99年リリース。タイトルは『Sukiyaki 』で、歌ってる女性は、Ann-Mette Elten、カタカナだと。アン・メッテ・エルテン。
まずは、86年にバンドの
På Slaget 12のボーカルでデビュー。
並行して出した、ソロアルバムに曲が入っていて。
曲を選んだ基準が、現代的な子供や若者が歌う 曲から、個人的にお気に入り曲をチョイス。
で、参考にしたのが、戦後の46年に始まり、デンマーク最古のラジオ番組の、Giro 413 。
番組のタイトルは色々変わったけど、恵まれない子供のための…とかがタイトルになった時期もあるようだから、若者も対象だけど、リスナーには子供たちも想定した番組だったようで。
童謡まではいかないけど、若い層をターゲットに、愛されてた曲、彼女が気に入った曲の中に、この曲が選ばれていることが嬉しい。
世界で発売からは、35年以上経っているし、彼女が以外にデンマーク語で歌ってた人は、見つけられなかったけど。
おそらく、昔に誰かがデンマーク語の歌詞を作ってた可能性は高そう。日本語のまま親しまれてた可能性もあるけど。
ポルトガル語はブラジルから
日系人も多いから、日本語の『スキヤキ』も売れた可能性が高いブラジル。
アメリカに移住して、苦労した日系人の人が、60年代にラジオから、坂本九の日本語の歌を聴いて、涙が出たって話もある。辛かった、戦前・戦後時代の色々が、浮かんだりしたのかなぁ…って。
で、ブラジルでは、ポルトガル語版も出ていて。
リリース時期はアルバムは、63年。
歌ってるのは、トリオ・エスペランサと言うグループ。
デビューが62年、マリオ、レジーナ、エヴィーニャ・コレイア・ホセ・マリアの兄・妹・小さい妹の、リオ出身のボーカルトリオ。
アルバムの写真では、年齢的には上の兄と妹は20歳以上?小さい子は10歳ぐらいに見える。
詳しい活動歴は、今一つわからないけど、最初はブラジルで活動。どこかの時期に、マリオが抜けて、アカペラの女性グループに。
メンバーは、エヴァ、マリーザ、レジーナのコレア3姉妹に、マリアとマリーザが同じ人かはわからないけど、多分同じ?笑
コレア家とコレイヤ家はおそらく同じ。2つグループがあったか、探したけどわからないし、女性3人組も結成時期は、61年になってるから、多分皆さん家族だから、テキトーな時期に変わったのか?な感じで。
ポルトガル語とか、ブラジルで検索しても、詳細はわからない。めちゃくちゃ労力と時間かかったけど、色々サッパリわからない。笑
が、女性3人のアカペラになってからは評価が高く、ポール・モーリアに気に入られて、フランスへ。
その後、フランスで4枚アルバムを作り活動休止。また活動を始めて、今度はシャンソンのアルバムを作っていて。
後の20周年には、メンバーは3人とも女性だし。
曲は、63年リリースのアルバム
『Nós Somos O Sucesso』に、この曲が入り、他に4曲入りのシングルにもなって、ウチ1曲はこの曲。
どちらも、3人の写真のジャケットだけど、このYouTubeの画像は、日本語混じりのイラストだから、また別で作られたか?日系人をターゲットにしたか?なジャケット。
アルバムは、アメリカで流行ったボサノヴァ調の曲を逆輸入したり、ブラジルの曲も入って、この曲もあり。
この当時のブラジルのポップスを、集めたアルバム。
曲のアレンジは、ほぼ日本版と同じ。小さい妹の幼い声も、微笑ましい感じで、ホッコリ系で、懐かしい感じ。
スペイン語はペルーでも
スペイン語版は、他に先に出てかも?だけど、67年以前には、このバージョンが。ココ・モンタナって、ペルーの男性が歌ったアルバムがリリースされて。
ベストアルバムだから、曲はおそらくその前の時期には、レコーディングされてた可能性は高そう。
国がどこかさえ、なかなか出て来なくて、やっとペルーの人だとわかった。笑
素朴な感じで、けど何となく哀愁が漂う声だから、明るさ控えめ。
同じラテン系でも、ペルーまで行くと、デンマークや、ノルウェーに近い雰囲気になる?お互いに、南極と北極に近い世界の端っこな感じだけど。
セレーナ版はテハーナ
スペイン語版だけど、歌うのはアメリカ生まれ、テキサス出身のセレナ。メキシコ系で、スペイン語。
テハーノってジャンルに、全然詳しく無いけど、テキサスの歴史とも関係があるようで。
19世紀にドイツやポーランドやチェコからのヨーロッパ人がテキサスとメキシコに移住。
ヨーロッパ音楽と、ダンスのスタイル、アコーディオン、ポルカ音楽なんかを持ち込み。
それにメキシコのコリードや、マリアッチなどメキシコの伝統的な音楽と、融合したジャンル。
まだまだ、世界にはよくわかってなかった音楽もたくさんあったわ〜!で。笑
特にアコーディオンは、人気に。
で、彼女は71年生まれ。曲のリリース時には生まれてない。
その後はもう波瀾万丈の人生だから、映画化、ドラマ化、Netflixでの再ドラマ化されてる人。
キャリア的には、父などと組んだバンド、セレナ・イ・ロス・ディノスで81年から活動。活動開始した時期は、彼女はまだ10歳。
レコード会社契約前に、自主制作したレコードが、テキサスだけで、8万枚売れたとか。
ピルボードのメキシコ地域アルバムで賞を取り。その後に出した、89年の初のソロアルバムに、曲が収録されていて。
ピルボードにメキシコ地域のジャンルがあるとは!だったし。笑
85年に出来たジャンルで、アメリカで1番売れてる、ラテン音楽がわかるチャートらしく、25位まで。
で、アルバムで、8か月連続1位を獲得したよう。
本来テハーノも、メキシコ音楽も、音楽をやる、歌うのも男性だったらしく、彼女が活動することに、色々批判もあったらしく。
人気が不動になり、ラテン系のアイコン、「ラテンのマドンナ」になった。
そんな人が、わざわざこの曲を取り上げてくれたのも、また嬉しい。リリース当時は、まだ18歳。
サウンドは、テハーノ色がない、テイスト・オブ・ハニーっぽい、バラードな仕上がりを、スペイン語で歌う雰囲気。
この年齢で、これだけ歌えるって、やっぱり、神様からのギフトな感じはするかなぁ。
が、彼女は僅か23歳で、友人でファンクラブ会長だった女性に、銃殺されて亡くなった。
友人が横領し、それを突き止めるために2人で会って、そんなことに。
やっぱり、銃は反対!それしか言うことは無い感じ。