思考の癖を取り去りたい。
歩き方が違うように
歩く人々、雑踏を。
それぞれの歩幅で、歩く速度もまちまち。座り方も立ち方もその人の癖って必ずある。その人が生きた年数がしっかりと身体に染み込んでいる証拠でもある。
同じ様に人の思考にもその人の癖が現れる。
1から段階的に2、3、と考える人。10から考える人、8まで行ってそのあと3へ帰る人。
無意識に浮かぶ言葉、感情、思考ってやはり生きてきた年数が染み込んで、高野豆腐のお出汁みたいに溢れ出てくるものだと思う。
「癖」の良し悪し
思考の癖があることで、私を私たらしめてきたのも事実で、そうすることで自分の核心が出来上がっていった事も事実であったりする。
でも、それがゆくゆく柔軟性を失い、順応できなくなり、事実を湾曲させて無理矢理自分の形に当てはめて満足させてしまう要因になってしまうこともある。
まずは自分を疑ってみる
「こうだ!」と決定した瞬間、一呼吸置いて自分に問うてみる。
「本当に?」自分のことをしっかりと自分が疑ってあげる。
ネガティブな考えこそ、思考の拡散は早い気がする。1つの事実からあれよこれよといらないことばかり考えて。
そうしてたどり着いた結論は意外と事実とはかけ離れたものになっていることもある。
人間の果てしない脳内迷路は犬を猫に変えてしまうこともあるのだ。
だから、疑ってみる。果たしてそれは本当、なのか。
他人の意見は受け入れて流す
自分の思考を変える為に時に他人を真似たり、意見を聞き入れることも重要だ。空気の入れ替えを行って循環をよくしたい。
けれどこれも調整が必要で、受け入れすぎてはそもそもの自分がいなくなるし、流しすぎては自分でしかなくなってしまうのだ。
受け入れつつ流す。容量をしっかり守って。
肩の凝りがほぐれるように
長年染みついた癖を取り除くことはなかなかに難しい。少しずつ少しずつ私の根本は失わぬよう、正しい姿勢を保っていきたいのだ。
姿勢が治れば肩の凝りがほぐれるように、私の思考のくせも少しずつ少しずつほぐしていきたい。