誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち 黒川祥子
大学生の時、発達心理学の講義で虐待の話を聞いて、読んだもの。
19歳、ただただ自分を無力感と、焦燥感で埋め尽くされていたとき。
当時読後に書いた文章の正直なまま。殴り書きのよう。
読んでいる途中、何回も辛くて泣いてしまった。殴られるたびに、暴言を吐かれる度にそのときの心情を想像してみるけど、わからない。
それは私がその経験をしたことがないからじゃなくて、家族は抱きしめ合って、暖かくて愛に溢れる存在だってことを知っているからだと思う。
私が勉強できるのも、誰かと友達になるのも、恋をするのもこの基盤があるからなんだ。
物語じゃない、ノンフィクションだから1人1人の言葉が重くて痛い。
5歳の子が、小学生が、私の知らないことばかり体験している。心を殺して生きている。
どうにかしなきゃって考える。願望じゃなくて、何か出来ることは無いのって考える。そこに踏み込める勇気はなかなかないけれど。
私は幸せなんだな、沢山愛を貰ったんだな、可哀想、だなんてそんな感想では終われない。
誰かが手を差し伸べないといろんな可能性がゼロになってしまう。
まだまだ未熟で、私は苦しんでいる子に何もできないけれど、「知っている」だけでは終わらせてはだめだ。
でも生半可な気持ちで踏み込んじゃだめだ。
私、何が出来るんだろう。
結局私ができていることは、このころから数年たっているけれど何もない。
19歳の私よ、ごめんね。数年経っても未熟なままだ。
どれだけ色々な経験をしてみても、思いを行動にすることってとても難しい。
19歳の私が思った感情を、どうか昇華できる私になりたい。