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今年度、「作家の時間」の授業でやってみた5つのこと(と、やってみたい3つのこと)
そういえば、しばらく自分の授業実践について言葉にすることから遠のいていた。2025年は、授業実践についてもどんどん書いていこうと思う。実践するだけで書かないのはダメだ、ぐらいに自分に言い聞かせて。
今年度は特に授業が楽しい。その一つが「作家の時間」。もうかれこれ実践も8年目になる。
子ども自身が作家になり、題材集めから出版まで、書くことについてのあらゆるプロセスを、書きたいことを書きたいように書くことを通して学ぶ、ワークショップの授業だ。(詳しくはこちらの本で)
今回は、今年度、「作家の時間」でやってみたことを5つ紹介してみようと思う。書く前にパッと思いつくのは2、3個だが、書いているうちにきっと5つくらいは見つかるだろう。5つ書くとまた何か見えてくるだろう。書くということは、そもそも、そういう発見の旅なのだ。
ちょっと長くなってしまったので、目次も置いておく。気になるところだけ読んでみるのもありです。
1、毎時間全員と小さく関わる「全員カンファランス」
今年度、カリキュラム上の都合で、4月から、2・3・4年生が混ざったグループで書くことを学んでいいかなければならなかった。そうなると、より一人ひとりに応じた全体でのレクチャーが難しくなる。ミニレッスンが困難極まりない。
そんななかで、まずはじめにしたことは、毎時間、30人全員と小さく関わること。カンファランスアプローチを全員とする。記録のようなものは一切せず、とにかくたくさん関わる。その中で一人ひとりの現在地を感じ取り、できる限り一人ひとりに合った関わりをしていく。当時、同僚のあすこまは、「カンファランスをやめる」宣言をしていたが僕は真逆のアプローチ。
他にも、名簿順に呼んできてもらうやり方やシートに記録して一巡目二巡目とやっていくやり方、同じつまずきの人たちを集めてグループカンファランスなどのやり方もある。
集団づくりのはじまりは、特に、作家の時間に限らず「全員と小さく関わる」は大事だ。一人ひとりに応じた関わりという意味はもちろん、お互いのことを知り合う時期であり、関心を寄せてもらったというポジティブな事実の積み重ねが安心安全の土台をつくる時期でもある。
この時期の作家の時間のある1時間を、同僚のあすこまに授業記録を書いてもらったことがあったが、それをもう一度読み返してみよう。初心忘れるべからず。
2、書いてきたプロセスを語る「作家アウトプットデイ」
作家の時間では、割と出来上がった作品を文集にして出版するところを一区切りにすることが多い。書いてる途中で下書きを発表したり、他の人と随時相談することも多々あるが、書き終えた後にそういうことはあまりしない。
しかし、「作家の時間」の肝は、「書くプロセス」にある。出来上がった作品の方ではない。そう考えた時に、出版のような節目にこそ、「プロセス」を真ん中に取り扱うようにするべきだろう。
そんなことを思っていた矢先、僕は「文学フリマ」というイベントに参加した。あの、書き手が自分の作品について語る熱量とそれが生む場の空気感。これだ!と思って、7月の出版のタイミングで、出来上がった作品のその製作プロセスを公開するイベントを子どもたちに提案。彼らの体験に近いものとして「アウトプットデイ」というものがあるので、それを借りて「作家アウトプットデイ」と名付け、保護者やスタッフにも呼びかけて開催した。
子どもたちは、とにかく書きたものを読んでもらいたい、ファンレターが欲しい。「来てくださーい!」「これはね〜」と、来てくれた大人や友だちに自分の作品を売り込んでいく。手元には作品とその製作過程が書き残されている「作家ノート」。そう、「作家の時間」の本丸は作品ではなく「作家ノート」だ。
具体的に目の前にいる読者が自分の作品へ関心を寄せてもらえた実感があったようで、書き手たちは満足げ。中には、「本当はこう書きたかったのだけど・・・」と言い訳ができる場にもなって、それもまたよかった。
一つの作品を書き上げるというのは、それだけで一つの物語になっている。物を語ることによって、自身の書き手としての歩みを振り返り、自覚することになる。それが書き手としてのアイデンティティをかたちづくってゆく。同僚のあすこまも見に来てくれて、5・6年でもそちらの文脈で「出版記念オーサーズトーク」という名で真似して実践してみたそうだ。
3、一人の声から授業をつくる「作家ミーティング」
打って変わって9月からは、体制の変更があり、3・4年生での作家の時間になった。2学年複式は例年通り。それでも2学年という年齢の幅はあり、その中で書き手としての現在地もまちまち。4月から一緒に学んできた人と、9月から新しく関わっていく人がいるというイレギュラーな不揃いさもある。そんな中で、この節目にしたことの一つが、「作家ミーティング」だ。
ここ数年個人的にお付き合いのある、徳島で30年続くフリースクール「自然スクール・トエック」で毎朝行われいる「モーニング・ミーティング」を参考にしてやってみることにした。「困っていること」「話したいこと」「やりたいこと」の三本柱で、それぞれについて話したい人がみんなに投げかける。30人近くいるので、短く一人ずつぐるっと一周聞いていくスタイルをとった。
例えば、困っていることとして、「題材集めに困っている。面白いアイデアが出てこない。」みたいなことがまず出てくる。すると、すかさず誰かが、「外に出て歩きながら考えてみたり、ライブラリーの本を参考にしたり、友だちと話し合ったりするといいよ」みたいなことを言う。あと数人からアイデアが出てきて、なんか、少し手がかりが掴めたよう。「そうそう、こうやって困っていることを相談できて、それについてみんな真剣に考えてくれるようなグループになっていくといいよね。いいチームだ。」なんてことも語りつつ。年度当初よりも集団づくりにフォーカスしていく。
あと、「やりたいことがいっぱいあって〜」という人も出てきた。聞いてみると、「みんなで一文ずつ文章を書いて、それを繋げて物語を作る」みたいなことをしたいらしい。それを聞くと、「ほうほう、みんなで何かをつくるとか、そこから生まれる予測不可能な偶発性を楽しんでみたいんだな。題材集め問題にもアプローチができそうだ。待てよ。そういえば、以前読んだ「連句」の本に、「まわし物語」という実践があったぞ。それをもとにすれば、読書家の時間でやった物語の構造を書くことにもつなげてレッスンする機会にもなる。よし、これはミニレッスンでやってみる価値ありだな。」みたいなことがどぱーっと思い浮かぶ(正確には授業後しばらくしてから思いついたかな)。
そんなわけで、他にも、「気分を変えて外に出て作家の時間をやりたい」とか、「盛り上がって集中できなくて困ってる」とか、いろんな声があがってきて、その場で解決したり、聞いてもらえて満足したり、何より具体的にミニレッスンにつながるアイデアがたくさん出てきた。もちろん、もともとの僕の授業プランや願いもあるが、それと子どもたちの声を編み込んでいくかたちで、「まわし物語」のようなミニレッスンが数々生まれて行った。今後も、節目節目にやってみようと思う。一緒につくれるなら、そっちの方が僕も楽しい。
4、フィードバックの質を高める「ファンレター集」
今年度は、「ことばブランチ(国語部会のようなもの)」の場があることが本当にいい刺激になっている。小中の学年や校種を超えた読み書きの実践の共有や相談の場が、安定的に学び続けられる基盤となっている。ここまで、何度か同僚のあすこまの名前が出てきているのも、「ことばブランチ」でのやり取りから交流の機会が増えたことが一因としてある。自分の実践へのフィードバックが返ってくる場でもあるので、自分の手応えとも重ね合わせながら、チューニングの機会になっていて、本当にありがたい。
そんな「ことばブランチ」で、大大大先輩の中学国語りんちゃんの実践から影響を受けてやってみたことがひとつある。それが「ファンレター集」だ。そしてそもそものアイデアの出所は、まずはじめに、紛れもなく子どもたちの姿にある。それはどちらかというと、生活の中で見られる課題感からくるものだった。
子どもたち同士の関係性や飛び交う言葉の端々に気になることが見え隠れしはじめた時期。ちょうど秋が深まり、冬に入っていく11月頃。全国的にも学校の難しい時期の一つとされるこの11月に、僕の関わる子どもたちの間でも様々な問題が見え隠れしはじめていた。
そんな中で、生活の中での問題こそ、教科学習の中でアプローチできるはずだ。こと国語に置いては、言葉を扱う教科として、生活をつくる土台として丁寧に考えていかないといけないと思っている。
そこで、注目したのが「作家の時間」における「ファンレター」、つまり、「手紙のやり取り」だ。
(「ファンレター」とは、作品を書いた書き手に対して、読者から贈られる手紙のこと。子ども同士はもちろん、保護者やスタッフからも届く。この「ファンレター」を楽しみに一生懸命書いているも多い。)
りんちゃんは、作品集をつくった後、子どもたちが振り返りとして書く「あとがき」をさらに集めて「あとがき集」をつくり、それを読み合って互いに批評し合う。その実践がぼんやりと頭の片隅に残っていて、それと、目の前の子どもたちの関係性や言葉の扱いについての課題感とバチっと繋がり、「ファンレター」を集めて「ファンレター集」にして読み合おうとひらめいた。
自分自身に贈られたファンレターはもちろん、別な人に贈られたものも全部一覧にして読むのは、これがはじめて。そもそも他の人のファンレターが気になっていた人が多かったみたいで、子どもたちは食いつくようにして読み込む。
そして、自分自身に対して贈ってもらったファンレターには、「お手紙だから、一方通行じゃあ悲しいよね。どんな返事が返ってくると嬉しいか想像しながら書いてみて」と、その返信を書くことがひとつ。もうひとつは、「他の人へのファンレターでも、いいなと思ったものにファンレターを贈ってみよう」と、ファンレターそのものへのファンレターを書くこと。この2つをやってみた。
「きっと、ファンレターにも『いいファンレター』があるはず。どんなものが嬉しいだろう。」そんなことも語ったが、後である子にインタビューをした時に、「ただ長く書いてくれたものよりも、短くても具体的に読んでくれてることが伝わるものが嬉しかった。その方がためになる。」と言っていた。「実は、〇〇のを真似して書いてみたんだよ。」「えー!そうだったの!」「ふふふ」みたいなやり取りもあり、自分の贈る言葉に対して、贈ってもらった言葉に対して感度を高めて、少しは自覚的になってくれたかなと思う。
ファンレターの質が上がると、書き手同士のフィードバックの質が上がる、つまりは、書くことの質の向上にもつながってゆくだろう。そして、もともとの生活場面での課題感についても、お互いに贈りあう言葉やそれの積み重なりの結果としての関係性にもどこか良いきっかけになっていれば嬉しいな。届くかどうかはわからないけど、そういう願いを込めて授業をつくっていくということは、大事なことなんだと思っている。
5、書き手自身に聞いてみる「20分間インタビュー」
さきほどのように、ファンレター集を読み合ってみてどうだったか、書き手自身の実感の声を聞けたのは、12月末に行った、「20分間インタビュー」をやってみたからこそのことだった。
きっかけは、僕が今年度、風越での研修日で自主研修として立ち上げた「授業記録」の会に向けて、子どもたちに授業のことをじっくり聞いてみることをやってみようと思ったこと。結果として、授業記録に関わらず、授業をつくっていく上で、節目節目にやっていきたいことの一つとして手応えを感じることになった。作家ミーティングのようなかたちとは、また違った質感で、でも大事なやり取りだなと思える時間になった。
男女それぞれ2人ずつのペアで20分間ずつインタビューをした。ペアにしたのは、改まってインタビューの場を設けると緊張感が生まれちゃうだろうから、個別に聞くよりも、ペアの方がリラックスして、より自然体で本音を話せるかなと思ったから。20分間は、結果としてこれくらいがよかったというサンプル2の結果。
1組は、割と書き手としてのはっきりとした自分の考えを持っているであろう女子2人。もう1組は、おちゃらけだけど、ぐっと話を聞いてみたいと思った男子2人。
結論、どちらも予想以上に、「こうしたい」「こうなりたい」と、書くことについての持論を持っていて、書き手としての自分自身がよく見えていて驚き。プロセスも丁寧に語る語る。どうやって作品が生まれるのか、自分はどうなりたいのか、どんなことに困っているのか。思いの外、もうすでにいろんなことがよくわかっていて、ちょっと反省したくらい。(その重要性を伝えてきたのは自分なのに笑)
さらに言えば、そこに対して僕がまだまだ応えられていないなということもはっきりわかった。もちろん、僕の授業に対してのフィードバックもあって、良い点もたくさんあげてくれた(僕より大人な関わりw)。でもやっぱり、書き手としての悩みは切実だ。1月からの最後の3ヶ月は、僕に残された最後のチャンスだと思って、精一杯応じていきたい。できる限りのことやっていきたい。
来週からはじまる3学期の作家の時間は、本人たちに相談して、このインタビューを書き起こしたものをみんなに読み語るところからはじめようと思う。
ここからは、残りの3ヶ月でやってみたいこと
さて、ここまでは、4月からやってみたことについて書いてきた。が、書いてみて沸いててきたのは、残りの3ヶ月でやってみたいことだ。主な3つをメモ書きとして書いておこうと思う。やるかどうかは、まあ、来週以降はじまらないとわからないな。準備とはそれくらいの感じでいいと思う。
1、なりたい書き手になる本気の挑戦「マイ本づくり」
先ほどのインタビューで、4人ともに共通して強く僕に訴えかけてきたのは、「こんな作家になりたい」「もっとこうしたい」という具体的な願いだった。おちゃらけているように見える男子二人は、実は、「小説家になりたいんだ。デルトラクエストみたいな200ページとかいくぐらいの長いものを本当は書きたい。でも、文集だとページも限られてくるし、時間も足りない。」とめちゃくちゃ具体的な理想像を描いていた。
確かに、作家の時間は自由度が高いとはいえ、こちらで決めた時間的な物理的な制約の中でこれまで書いてきている。その理由もちゃんとあって、制約の中でこそ、試行錯誤が生まれ、工夫が生まれ、学びが生まれるということがあるからだ。
でも、本当にこれでいいのか?ということはいつも見直されるべき。例えば、出版までの時間も、出版できる物理的な制約も外して、自分の納得のいく理想の本づくりができるとすれば?もしかしたらうまくいかないけど、本気で小説家のように長編物語に挑戦してみるということを年度の最後にやってみれたら?これはきっと彼ら二人だけの話ではないはず。
どんなふうに実現可能かはもう少し考える必要がありそうだが、自分が作ってみたい本気の「本づくり」をそれぞれでやってみるというのはひとつ可能性がありそう。ここまで1年生から3、4年たっぷり書く経験を重ねてきた彼らだからこそ、大きな挑戦をここでやってみるのはいいかも。よーし、もう少し考えてみよう。
2、書くプロセスの質を高める「作家ノート集」
これは、「作家アウトプットデイ」と「ファンレター集」のアイデアを掛け合わせたようなものだが、「作家ノート集」をどこかでつくってみたいなあと思う。そもそも、「作家ノート」はプライベートなものなので、大人の僕も、本人の許可なく勝手に読んだり、勝手に紹介したりしない。それは権利侵害だ。
でも、やっぱり、この授業の本丸は「プロセス」、つまり、「作家ノート」にこそある。全て公開することはせずとも、ノートの一部分、こだわりがあらわれているような部分だけでも、集めてみんなで鑑賞してみる機会を持ってみたい。
書き手に直接話を聞く、ということもやってみて良かったのだけど、実際に、書き手自身がまだ自覚していないが、ノートにはあらわれている技術みたいなものもあるはずで。そこを他の人に見つけてもらって、書き手自身が自分の強みとして自覚するというプロセスもきっと価値あるはずだ。
何より、子どもたちに改めて、プロセスの重要さ、作家ノートの価値を共有し直す機会にもなる。これはこちらの願いベースだが、そこをためらっていてはダメだ。残り少ないからこそ、改めて、やってみたいことである。
3、次年度につなぐ、わたす「作家の教科書づくり」
最後に思いついたのは「作家の教科書づくり」。作家の時間には、そもそも教科書がない。モデルはあちこちにいるが、僕のミニレッスンやファンレターなどのように学びや気づきの機会もたくさんあるが、こうして、こうして、こうすべし!みたいな教科書はない。
だったら、自分たちでつくればいいじゃないか!
その学年には、その学年に応じた書くことの悩み方や楽しみ方がある。その時にしか紡げない言葉がある。毎年、新しく3年生、4年生になる人たちはいて、毎度毎度同じように悩んでいる人がいる。
だったら、どうせ自分の書き手としての1年の学びを振り返る時期でもあるこのタイミングに、「教科書」のようにまとめるというのがいいんじゃないか。そうすると、自分の体験を後世に受け渡すことができる。
そもそも、「書くこと」の意義のひとつは、「書き残せる」ということにある。そして、書き残したものは、「後世に受け渡す」ことができる。それを実感できるかどうかはわからないが、そういう意識で書くという体験は、子どもたちにも経験してほしいことの一つ。これもこちらの願いベースだけど、確信を持って大事なことだと言えそうだ。
「来年、3年4年になる後輩のために、自分の経験をふまえた作家の教科書を作ってみよう!」みたいな感じか。どんなものつくるだろう。読んでみたい。きっと、僕がつくるよりもよっぽどいいものをつくるだろうな。
風越ではあまり見ない光景になりそうだが、やるとしたら、みんなで教科書を読み漁るところからだな。面白そう。
やはり、書くことは発見の旅だった。
ここまで書いてみて、書く前に気づかなかった、思いもよらなかったこととたくさん出くわすことになった。やはり、書くことは発見の旅だ。
逆に、授業についてしばらく書いてなかった僕は実践家として引きこもり状態だったということだな。脱引きこもり!冬眠期間もそれはそれで大事だったんだけどね。
ようやく、旅を再開できそうだ。
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「きょういく」と「はたらく」をぼんやり考える
30代になったばかりのぼく、「とっくん」こと片岡利允が、「きょういく」と「はたらく」にまつわる、日々の気づきや関心ごとについて綴っていく雑…
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