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17 もっと読み手に聞いてみよう。

アドベントカレンダー企画8日目。続けているからか、読んでくれている人がじわじわ増えている。いや、ハッシュタグの問題か。こちらが昨日の記事です。ここからさらにさかのぼっていけます。

もっと読み手に聞いてみよう。

今朝、7月から開き続けているライティングの会があった。当初からかなりカタチは変わり、最近では、書くことにまつわる相談会だったり、書いたものを読み合ったり、本の紹介をしたり、ライティングの授業実践の共有だったり、いろいろやる会になっている。

そこで今朝は、ある女性が自分の書いた文章に対して「この文章にどうやってメッセージ性を込めたらいいかわからない」というようなことを漏らした。「書き留めておきたくてただ書いただけの文章なんです」とも。それを聞いて、関係あるかわからないけど、ふと、昨年参加した西村佳哲さんのインタビューのワークショップの告知文の文章を思い出す。

「インタビューのワークショップ」の副題に、最近「きく・はなす」という言葉を添えています。

このワークショップには、「わたしはひとの話をきけているのかな?」「もっときけるようになりたい」等の動機を手にした方々が集まる。「なんとなく(勘で)」という方もいる。職種・活動領域はさまざまです。

プログラムが始まって二日目の頃、「きけていない…」と凹んでいる姿を見かけることがあります。けど、自分がきけているとかいないでなく、目の前のひとが「話せているかどうか」の方が大事なんじゃない?と思うんですよね。計測ポイントはそっちだと思う、と伝える。

きけていれば、「はなす」ことが可能になるはずだから。年々、私の中で「ひとにとって〝話す〟ってなんだろう?」という問いが大きくなってきました。呼吸と同じくらい日常的な「きく・はなす」体験の解像度を上げる、5日間の試みです。どうぞお集まりださい。

インタビューのワークショップ告知ページ(2023年6月15日)より

この太字の部分に近いようなことが言えるのでは?と思ったのだ。つまり、書き手側が思うようにメッセージ性を込められているかというよりも、「読み手がどう読んだか、何を受け取ったか」の方が大事なんじゃないかということ。

そしてそれは、書き手がどうにかコントロールできることではない。もちろん、どんな文章にも書き手の意図がある。しかし、どんな文章でも本質的には手紙と同じ。届け先の読み手がどう受け取るかが最終地点で、そこが計測ポイントなはず。

だったらもっと、「今」書いていることの手応えや納得感の方に集中すればいいんじゃないか。僕もあまりできているとは思えないけど、そっちを目指したいとは思っている。そういう文章は、なんか信頼できる。メッセージ性が強すぎるのは、何だか怪しい。

うーん。ちょっと違うかな。どうかな。

あとは、読み手に「読み手がどう読んだか、何を受け取ったか」を聞いてみる。自分の文章のことは、自分が一番わかっているつもりでも、実際、そんなことはない。僕も基本的に自己評価が低い方だけど、だからこそ、実際はどうなのかを人に聞けずにいたりもしちゃう。もっと読み手に聞いてみよう。

そうだよな。これは納得感ある。

ちょっとまだ生煮えだけど、今日はここまでで保留ってことで、捨てずに書き終えてみることにする。

そんなわけで、今日の記事はどうだったか、何かしらの方法で聞かせてください。



ちなみにこちらは、昨年の西村佳哲さんの「きく」にまつわるインタビュー記事。すごくいいです。おすすめ。

あと、おまけに書くことについて一つお知らせ。

僕が編集長を務める『ハコール』で、原稿を募集しています。表現の場を求めている人、新たな可能性、出会いを求めている人は、ぜひこちらのフォームを覗いてみてください。

では!

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30代になったばかりのぼく、「とっくん」こと片岡利允が、「きょういく」と「はたらく」にまつわる、日々の気づきや関心ごとについて綴っていく雑…

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