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コメダ珈琲店と僕の休職

休職中なので毎日やることがない

体調不良なのだから療養に専念するのが仕事といえば仕事なのだけれど、さすがに月単位で休みとなると持て余す
うつの塩梅が悪いと一日中ベッドから出られないということもあるのだけれど、けっこう元気な日も多い
元気とはいっても、どこか温泉でも泊まりに行こうか、というほどの元気でもない
せいぜいのところちょっとした散歩かドライブ、日用品の買い出しくらいが関の山だ

担当医は「まあ焦らないでくださいよ、ちょっと良くなったくらいで慌てて復職したっていいことなんかないんだ」などと言う「少し休みすぎかなってくらい休むくらいでちょうどいいんです」

そんな怠惰な生活をしているから、曜日どころか時間の感覚も失う
うとうとと眠りについて目を覚ますとぼんやりと薄暗く、時計を見ると5時
朝の5時なのか夕方なのか区別がつかない
そんなことがしばしばある


時々無性に何かを食べたくなることがある
だれにだってあるでしょう?
カレーライスが食べたいなとか、甘いケーキが食べたいなとか
このところ僕は無性にトーストを食べたくなる
食パンを焼いた、あれだ
バターをたっぷり塗って、できれば熱いコーヒーとともに

最後にトーストを食べたのはいつだったろう
考えてみるともう食パンなんて何年も食べていない
第一、僕の家にはトースターがない
ついでに炊飯器もない
電子レンジにも「トースト」というボタンは見当たらない
さて、トーストってどうすれば食べられるんだっけ
近所のスーパーマーケットに食パンは売っているけれど、多分トーストしてはくれない
コンビニだってそうだ
あれ?トーストってどうやったら食べられるんだろう、トースターを買いに行くよりほかに手立てがないのかな
そんなことを考えているうちにどんどんトーストを食べたい気持ちが高まってくる
カリカリに焼いた厚切りの食パンにバターをたっぷり塗ったやつだ

ベッドに寝転がって午前5時の寝ぼけた頭でトーストを食べる方法を模索する
僕はどうにもうつになると頭の回転が悪くなる、ただでさえもともと回転が良くないのに
そしてようやく僕は思い至った
喫茶店だ

幸い、僕の家の近所にはコメダ珈琲店がある
そう、少し高いけれどおいしくておまけに豆菓子がついたコーヒーが飲める、あのコメダ珈琲店だ

朝の5時に目覚めてからずっとトーストを食べる方法を考えて、コメダ珈琲店に思い至ったのが5時半
あの店って24時間営業なんだろうか
スマホで調べると朝7時開店とある
のろのろとベッドから這い出て、薬を飲んで、シャワーを浴びて、床に落ちている服の中から一番マシなやつを適当に身に着ける
朝はもう寒いからユニクロで買ったヘロヘロのパーカーを着る
髭を剃る気力はない
ここまでで既に7時を超えた
行動にとても時間がかかるんだ

自宅のマンションを出てよろよろと頼りない足取りで徒歩5分ほどのコメダ珈琲店に向かう
近所の中学生だか高校生の女の子が登校してくるのとすれ違う、随分朝が早い
彼女は背筋を凛と伸ばしてイヤホンをつけて歩いている
急に自分のヨレヨレの服と無精髭とたるんだ腹が恥ずかしくなってくる
これは最悪の場合、彼女に警察に通報されたら、僕は不審者として何らかの罪に問われて逮捕されるんじゃなかろうかという気さえしてくる
考えてみればスマホと自宅の鍵しか持っていないから身分を証明する術もない
それで僕はなるべく気背を伸ばして、スマホをいじったりなんかしながら彼女のことなんて見えていないような感じでやり過ごす
一体どうして、たかだか喫茶店に行くのにこんなにもどぎまぎしてしまうんだろうか、心底嫌になる
それもこれも僕の生まれ育った環境と周囲の理解が足りないから云々かんぬんと考えているうちにコメダ珈琲店にたどり着き、なんだか良い香りが鼻を突いた
それで自虐的でネガティブな僕の妄想はすっと立ち消え、すぐに頭の中にトーストの絵と香りが立ち上がってきた
すごくおなかが減った

だいたい3分の1くらいの席が埋まっている
朝から結構人が入っている
4人掛けのテーブルに座って、一通りメニューを眺め、コーヒーを頼んでモーニングをつけてもらうことにする
モーニングはトーストだ
厚切りのパンが縦に半分に切られた形をしている
でも、ちょっと少ないかな、1枚まるまる食べたいな、あれ、単品のトーストもあるのか、でもな、朝からこんなにいっぱい食べるのもな、いや余裕で食べられるんだけれど、周囲の目もあるしな、などと、いつもの長考に入る
何のためにコメダ珈琲店に来たのだ、トーストのためじゃないか、初心を忘れるなと自分を奮い立たせ、やはり単品のトースト(量が多いけど無料じゃない)を注文することを決意する、着席からここまで悩むこと5分
いちいち優柔不断だ
呼び鈴を押すと店員さんがやって来る
柔和な顔をした爽やかな男性だ
「コーヒーとトーストをください」
と僕が決意に満ちた声で言うと、彼は
「でしたら、今のお時間はモーニングにすると無料でトーストと卵がついてきますので、そちらがおすすめですよ」
という
「じゃあそれでおねがいします…」
僕は蚊の鳴くような声で応える

だいたいにおいて僕の人生ってこんな感じだ
押しに弱い
そのくせ後でぶつぶつ文句を言う

でもまあいいんだトーストとゆで卵とコーヒーだ
当たり前だけれど、コメダ珈琲店のトーストはとてもおいしい
食後にもう一度メニューに描かれた単品のトーストを眺める
どう考えたってもっと食べたい
まあいいさ、また次の機会に頼めばいいじゃないか

なんだか癖になってしまって、それ以来時々朝早く起きるとコメダ珈琲店に行く
もう結構な回数通ったのだけれど、いまだに単品のトーストを頼むことができない
毎朝店にいる快活な店員さんはマニュアルに則って必ず僕に「お得な」モーニングセットを勧めてくれるし、いつも僕はそれを断ることができずに「じゃあそれで」と言ってしまう

「コーヒーとトーストが食べたい」
その願いを叶えるために、うつの重い体を引きずって準備をして家を出て、通り過ぎる人に劣等感を感じながらコメダ珈琲店に行き着き、本当に食べたいものよりもずっと量の少ないメニューを注文するし、敗北感を感じながらまたとぼとぼと家に帰る
実に厄介なことだ

こんな風にして僕は少しずつ社会の理不尽さに身を慣らすことによって、きたるべき社会復帰に向けたリハビリに勤しんでいる

もし僕が無事復職したら、それはおおむねコメダ珈琲店のおかげなんじゃないかと思う

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