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ビブリオフィリアからビブリオマニアへの進化条件とはなんだろう

私は活字中毒者だ。
(書籍も電子もたしなむし、読むものがなければ取説もおいしくいただける)

寝る前に本を読まなければ違和感で眠れないし、たとえ寝不足になろうと本を手放せない。


「あと10分」が正常に機能したことはない、典型的な本好きだと思う。


本好きに拍車をかけたのは、まぎれもなく父だ。
子どものころ、一緒に本屋へ行くと必ずほしい本を聞かれたものだ。

あるとき「これがほしい」とシリーズ小説の2巻を指さした。

「1巻は読んだのか?」
「うん、クラスの子から借りて読んだ」
「そうか。なら全部買おうか」
「???」
「読み終わったら続きが気になるだろうし、何度も読み返すんだろう?」
「まぁ、そうなるだろうね」
「いずれ全巻買うことになる。それなら今まとめて買ってもいいだろう」

こんな感じでどんどん手持ちの本は増えていったし、私はますます本を読むようになった。


自由人な父はよく母に注意されていたけど、「お母さんにまた怒られるな」と笑いながら本を買ってくれた。

(母は本を買って読むことに否定的なわけじゃないし、むしろ好きなだけ読めばいいというスタンスだけど、父のあまりにも大雑把な買い方に「経済回すのも結構だが家計のことも考えろ」って釘をさしたんだと予想している)


そもそも、家族が引くくらい母が好きな父のことだから「本を買う→怒られる→かまわれて嬉しい」みたいな図式ができていたんだろう。

つまり、本を買ってもらいたい私と母にかまわれたい父はWin-Winの関係だったわけだ。

そんな父のおおらかな教育方針?のもと、私は引き返せないほど本へとのめり込んでいくことになる。


「どんな内容の本を読もう」だけでなく「こんな装丁の本があったら買うのに」という思いを抱くようになるのは、ごく自然な流れだったように思う。

羅列された言葉やそこに描かれた世界も好きだけど、「本」という存在そのものが心を惹きつけてやまないのだと気づいたからだ。


本屋へ行って好みドンピシャな本を見つけると嬉しくなるし、そのときは正直本の内容なんてどうでもいい。

心がざわめく、まるで一目惚れだ。


すぐに連れ帰って自分だけのものにしてしまいたい衝動と、誰かに奪われる前に大切に大切に囲っておかなくてはという焦燥が体をかけめぐる。


綺麗な水にじわじわと墨が広がるような心地よい狂気。
途方もない所有欲は、“普通の人”に擬態している私のベールを剥がしてしまう。


あぁ、表情を取り繕えない。


視線がそらせなくて、触れたい欲で指先が痺れる。舌が乾く。
そんな一冊に出会うために、今日も本屋を渡り歩く。


所有欲、狂気、強迫観念。


さて、ビブリオフィリアからビブリオマニアへの進化条件とはなんだろうか。

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