無題、クサリ。
言葉は「クサリ」みたいな物だ。僕はそう思った。
人はいつしか野望を抱え、何かをする為に「言語」をあやつる力を手に入れた。
言葉があるから「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しむ」そして「縛られる」
「言葉」の何がそうさせているのか、長く僕は分からなかった。
言葉に縛られてしまうのならば手離してしまえばいい。そう思い手離した。
いや、厳密には手離すことは出来なかった。
そもそも縛られているのか?疑問に思った。
そうか、縛っているのは「言葉」ではない
「言葉は自分自身を縛る」と決めた自分自身か
言葉に壁はあり、ないのだ。宇宙に壁がないのと同じように。
実際は全ての物に壁なんて存在して、存在しないのだ。
言葉との距離感が掴めなくなったら、距離を置き置かない場所に。
言葉は時に「縛り」「縛らない」クサリの様な物だ。
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