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24時間という資産を何に投資するのかで人生が決まっていくという話

私は若い頃から時間を資産として捉えています。
とても貧しかったのでそれくらいしか資産と呼べるものを持っていませんでした。

私にとっては時間だけが平等で、恵まれた家庭の人たちと対等な概念で論じられる唯一のものでした。
それゆえに、24時間を何に投資するかという論点に執着するようになりました。
「気にかける」とか「注意を払う」という表現ではちょっと生温くて、執着と言って良いほど強い感情だったと思います。

今でも時間には割と厳しいタイプです。

一日24時間しかない限られた資産を何に使うのか、という論点を真剣に考えたいので、時間を無駄にするということに強い嫌悪感が発生します。

若い頃はこの嫌悪感が特に強くて、1分1秒を気にしていたように思います。

なぜなら、生活費を稼ぐための仕事に10時間以上奪われてしまうので、その時点でもう自由な時間が一日14時間程度しか残されていなかったからです。
週6日で働いていたので、尚更可処分時間が少なくなります。
そこから睡眠時間を一日あたり6時間ほど確保しないと脳の機能が低下するので、実質的な可処分時間は8時間程度まで減少します。

さらに、家事や食事、生活必需品(トイレットペーパーなど)の買い物、風呂などの雑務をこなさないといけないので、実質的には5~6時間程度しか残らなくなります。
その時間をすべて勉強に投資するというのが理想でした。

仕事が忙しい時期は一日14時間程度の時間を奪われるので、結局睡眠時間を削って勉強するしかなくなりました。
何よりもまずは勉強が重要で、当時は最優先事項だと思っていました。
今過去に戻って同じ状況に陥ったとしても、同じ選択をすると思います。



私達は、意識的無意識的に無数の選択と決断をしています。

本を開く前に少しだけスマホを見るとか、少し離れた場所までご飯を食べに行くとか、見ている映画を見終わるまで勉強を一時止めるなどの些細な選択です。

その些細な選択の積み重ねが、自分の未来を構築していきます。
どのような結果が訪れたとしても、それは自己選択自己責任で、自分で選んだ未来です。
日々の小さな選択、より正確にいえば、日々の小さなサボりが、将来の結果を生み出します。

だからこそ、24時間という資産を何に投資するのか、という論点について、意識的に考える必要があります。
10代や20代の若い人にとってはとても重要な概念です。

おっさんになるともう手遅れであることが多いので、どんなにサボろうと構わないですが、10代や20代の人は未来を変えられるという「選択権」のようなものを持っています。
時間という資産を大量に持っている年齢なので、それをどう使うかで10年後、20年後の生活水準が決まるのです。

稀に強運や豪運を持って生まれている人もいて、サボりまくってもお金持ちになれちゃう人もいますが、9割以上の人は自分で使った時間に比例した生活・生き方になります。

自分の理想像があるのであれば、何に、どれだけの時間を使うのかについて、日々考えるべきです。

周りの中途半端な実績しか出していない大人の言う事に耳を傾けるよりも、自分が理想とする未来を大事にしてください。
その未来を実現するために、十分な時間を持っているといえるのかどうか、一度計算してみると良いと思います。
大抵の人は可処分時間が不足していると気づけるはずです。

勉強の世界で一定の成功を収めるためには、膨大な時間が必要です。
それだけの時間を若い頃に捻出できるかどうかで、すでに勝負が8割ほど決定付けられます。
仮に時間を捻出できたとしても、実際に勉強という活動に専念できる人は少ないです。

日々の自分の選択・決断に注意を払いましょう。
今日の小さな損失が、将来の大きな損失に繋がっているのですから。

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