カワサキW650 事故で母と再会した思い出【NORAオートバイ9】
人生最大の怪我を負ったのは、ある七夕の夜でした。かなり昔の話ですが、千葉県新浦安の工業団地内は夜毎に走り屋のたまり場になっていて、そこに、カワサキのW650で参加してしまったのでした。
W650は当時、旧ダブワンファンのおじさんたちから大人気でした。交差点で停まっている時やガススタなどでやたらと声をかけられるので、
若造だった自分は、それでいい気になっていたのかもしれません。カッコいいのは自分ではなくバイクなのに。
普段、ほとんどスピードには興味がないのですが、追われたりするととことんまでスピードを上げる癖があります。
レトロモデルの650CCとはいえ、さすがにツインの大型エンジンだけあって、アクセルを捻るとそれだけスピードが出るので、深夜のガラガラの甲州街道で140~150キロくらい出していました。
一度ハイエースに猛攻されたことが記憶に残っています。しかも最終的には抜かれました。
チキンレース
そんなわけで、七夕の日の工業団地です。
走り屋の車が数十台。思い思いにチューンアップした車でレースを競い合っていました。
私の走りとは、要はチキンレースでした。スリルが快感に変わるのを求める。それは依存性があるのでしょう。メンタルが健康でない私は、中毒になっていたのかもしれません。
そしてその日、とんでもないスピードで休工中の工事現場に突っ込み、バイクを破壊して吹っ飛びました。
地面に落ちた私は、どういうわけかその場から逃げ出そうとしました。しかし、足が変な方向に曲がっていて立てず、胸を強く打っていてショック状態で動けませんでした。
そして薄れる意識の中で、走り屋たちが介抱してくれるのが分かりました。
私は走り屋たちを狂暴な人と想像していましたが、それは勘違いで、実のところは普通のやさしい人たちでした。
…当たり前と言えば当たり前なのですが。
首の皮一枚
気が付くと手術室で、もう一度気付くと、酸素マスクをつけてベッドに寝ていました。
怪我の内容は骨が折れて外に出る解放骨折でした。
入院したのはディズニーランドの隣の駅にある大きな病院で、結婚する前の嫁や友人がわざわざ遠くまで見舞いに来てくれました。
「首の皮一枚でつながっている」と、いつも悪運だけは強い私に対し友人は言いました。
何よりびっくりしたのは、母親が病室にあらわれたことでした。2歳の時に父親と離婚して以来音信がなかったのですが、息子が死にかけているとどこからか聞いてかけつけたようでした。
でも、意外と元気だったので拍子抜けしたのでしょう。
「酸素マスクなんかしているから本当に死ぬのかと思ったわ」
彼女はそんなことを率直に言いました。
横浜で再婚相手と暮らしていた彼女とはそれ以降交流が復活し、いまでも時々会っています。
母親との再会は、文字通り怪我の功名でした。