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土の記憶とグルグル -essay-
湯たんぽがかかせない季節になった。わたしの愛用は2年まえにM子からプレゼントしてもらった陶器の湯たんぽだ。
金色のリース模様がデザインされた包装紙にそれは包まれていた。
「冷え症が年々ひどくなるの」と嘆いていたわたしの言葉を彼女が覚えてくれていたのだ。
「きっと気にいるわ」
M子から手渡されたとき、それまで鉄かポリエチレン製の湯たんぽしか知らなかったわたしは、ズッシリとした重厚感に驚いた。
彼女によれば、作家がひとつひとつ焼いた陶器の湯たんぽの使い心地は特別で、何にも似ていないらしい。
どういうこと?と彼女を見ると、陶器の湯たんぽは寒い夜に人肌のようにそっと寄り添ってくれるようなやさしい温度があり、リラックスして深い眠りが得られると言う。
「人肌とか求めてないし」とムキになりそうになるのを抑えて、包み紙を剥がし、平べったい大きな陶器をぼんやり眺めた。
「あったまるよ」M子は静かに微笑んだ。
夜、ケトルにたっぷりとお湯をわかし、湯たんぽに注ぐ。
キッチンが湯気で白くなり、ゆっくりと陶器がお湯を吸いこむのがわかる。
蓋を閉じるときにキュキュッと小動物が鳴くような音がする。それだけでなぜか楽しくなる。
バスタオルを巻いて両手で抱えるようにベッドまで湯たんぽを運ぶ。
湯たんぽはお湯を入れるとますます重く、ちゃぷちゃぷと波みたいな音がする。布団をめくり湯たんぽを忍ばせる。まるで赤ちゃんをそっと寝かせているみたいだ。
陶器の湯たんぽを使いはじめてから夜中に目覚めてしまうことがなく、朝までぐっすり眠れるから不思議だ。
この感覚はなんだろう。電気カーペットのような皮膚を刺激する温め方ではなく、全身に血液が滲み渡るような、真冬の露天風呂に浸かったときの、いつまでも身体の芯からポカポカする余韻。
なにより原料が土だ。なるほど。自然素材の穏やかなぬくもりは、これまでのわたしの湯たんぽのイメージを変えてしまった。
ほっと眠りに就く。布団の中で陶器の丸みに足の指を添わせる。
ふっくらしたフォルムは、陶芸家が土を練り、成形して釉薬をかけ、乾燥させてから窯で焼くという丁寧なプロセスを想像させる。
それは土を通して太古の時代からつづいてきた人類のぬくもりなのだと想う。土自体が記憶してきた、細胞に伝わる温度。
そうか。だから何にも似ていないんだ。
わたしはベッドから這い出して全力でM子にお礼を言いたくなった。
幼いころ、母が毎晩のように湯たんぽを準備してくれていた。
身体が弱く、しょっちゅう熱を出したり咳がひどかったわたしの血行を良くするため、母はあれこれ工夫を凝らしてくれた。それは時に暑苦しく、わたしを窮屈にした。
女の子は身体を冷やしちゃダメよ。夏でも腹巻き。手首足首は見せちゃダメ。眠るときは靴下3枚。絶対、熱が逃げないようにするのよ。ねえ、わかった?強くなるのよ。
言われるまま夏でも腹巻きと靴下3枚でいたわたしは、あだ名を『グルグルちゃん』と呼ばれていた。赤や黄色の子供っぽい毛糸のマフラーを首にぐるぐる巻きにして登校していたからだ。
4年生になるころ、急に恥ずかしくなってぜんぶやめた。
カラフルなマフラーもレッグウォーマーも母がわたしのために編んだすべてが、なにもかも冴えないダサいものとして映った。
やがてわたしは家の中でほとんど喋らなくなった。それでも相変わらずわたしのベッドにはいつも湯たんぽがあった。それは鉄製で硬く、熱いほどの温度を保ってわたしを待っていた。
布団の中の熱の塊は、わたしを逃すまいとする母そのもののようだった。
真っ直ぐにわたしに向かう母の愛情は、わたしの躰をさらに硬くする引力があった。
その頃の母の歳をとうに越えたわたしは、寒さに耐えられず湯たんぽを求めた。ポリエチレン製の湯たんぽを選んでいたのは、母の準備してくれた夜の塊を想い出してしまうからだった。
頑なに熱を逃さないモノではなく、良い意味でいい加減な質感がわたしを安心させた。それは愛情という名の母の束縛から逃れたかったあの頃の、幼いわたしが求めていたやさしい感触だった。
その母も歳を重ね、随分とやわらかくなった。深かった眉間の皺が消え、話す声もゆるい。
わたしをぐるぐる巻きにしていたあの頃、母は、父の転勤で知り合いのいない土地に移ったばかりで心細かったのだろう。
その不安は、天真爛漫な子どもが眩しく見え、孤独を感じていたのかもしれない。もしかしたら、家を空けることの多かった父との距離感に悩んでいたのかもしれない。
本当のことはわからない。わからなくていいのだと、ひと回り小さくなった母の背を見て思う。
わたしを温めたかった。強くなってほしかった。淋しかった。
その想いをうまく表現できなかった。ただ、それだけだ。
M子にクリスマスプレゼントのお返しを渡した。わたしが通っている陶芸アトリエで創ったマグカップだ。少しだけ曲がってしまったけれど、土の記憶が彼女をいつまでも温めてくれたらと金色のリボンを巻いた。