真夏の温泉ワーケーション③【湯元元湯で交互浴】
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およそ1年振りの磐梯熱海温泉、共同浴場「湯元元湯」へ。
相変わらず圧倒されるその湯量。浴槽横のタイルに円形の穴が開いており、そちらから放たれるのが29度の元湯源泉。マーライオン的に壁垂直に噴流する。
飲用許可書は確認出来なかったが、地元民は大量のペットボトルを持ち込み汲湯する。無味無臭の源泉は癖がなく、飲用は勿論あらゆる生活用水として利用するようだ。本旅の飲水はここで確保。
細い塩ビ管からも源泉が出ており、これはジェット噴射を真下に向けるように湯船を叩く。ものすごい勢いだ。こちらは泉温33度 、温泉神社の境内から湧出している源泉。太い塩ビ管もあり、ここから出るのは50度の市営管理混合泉。恐らく冬場の温度調整のためのもので、この日は湯が出ていなかった。
配合のバランスまでは分からなかったが、浴感は寂光浄土、32~33度ぐらいだろうか。10人以上は優に浸かれそうな浴槽だが、二刀流の源泉は贅沢過ぎるほどの湯量。オーバーフローした源泉が床を舐めるように伝い、排水の金物に吸い込まれていく。神々しい光景に暫し見惚れてしまう。
低体温にならぬ様、時々小さい加温風呂に鞍替え。こちらは結構熱い、44度くらいありそうだ。2~3分でサッと身体を暖めてからまた温湯浴槽へ。これを永遠繰り返す。先日5日間滞在した大塚温泉とほぼ同じスタイル。あの時は1日5時間を3回に分けて入っていた。滞在中は驚くほど体調が良かった。
大塚は宿泊だったが、こちらは日帰り浴場。当然入る度に支払いが発生する。朝は500円、夜250円という具合だ。ここだけは節約することは出来ない。旅館の湯では、この交互浴は出来ないのだ。
今回訪れた湯元元湯や大塚温泉を始め、度々夏に湯治で訪れる「下部温泉(山梨)」など。青々とした無味無臭の冷たい源泉、一見水道水にも見えなくもないが、その効き目は別格。
家でも再現できぬものかと、たまに自宅のバスタブに真水を張る。だがこの「効き」だけは絶対に作れない。自宅から徒歩10分の所にスーパー銭湯があり、サウナと水風呂も備えてある。
幾度となく通ったが、はやり違う源泉と水道水。徐々に身体の熱が抜けていき、やがて内側からじわじわと温まる。不快感のない、心地良い暖かさだ。これを求めて、片道3時間半をかけて訪れたのだ。
かつて鉄道のなき時代。病を患った農民階級は役人から湯治手形を拝受し、関所を超え数日かけて湯治場に向かったという。
10年以上続く闘病生活。数々の病院に掛かり、いつも辿り着くのは薬害と「原因不明」という事実。時間をかけて温泉地に向かい、感謝と敬意を込めて閉眼し湯に浸かる。故きを温ねて新しきを知る瞬間だ。
流石に一回入ったぐらいでは長患いの体調が良くなることはない。16時から入り始め、ゲリラ豪雨の雨音が静まった18時に退湯した。いくらか身体の火照りが抜け、だるさが多少治まったか。
雨が上がったのを確認したのか、入れ替わる様に地元民がわらわらとやってきた。恐らくこれから、毎日ここで顔を合わせる方々。すれ違いざま、「こんばんは」と挨拶。入植の儀式を忘れてはいけない。
磐梯熱海温泉に宿泊するのは初。駅前の雰囲気は良く知っており、コンパクトに旅館街がまとまっている印象だった。だが駆け込みで予約した宿、意外と駅から離れる。これほど広遠なエリアに旅館が点在しているとは存外だった。
メイン通りの「萩姫ふれあい通り」を北上する。
通りの名の由来は鎌倉時代に遡る。公卿の娘であった萩姫、不治の病で苦しんでいた。ある日夢枕に立った不動明王のお告げを受け、この地で湯治をしたという。すると病は全快し、以前にも増して美しさを取り戻したそうな。これも初耳だった。
残念ながら他の温泉地同様、廃墟が立ち並ぶメイン通り。
途中、「日の丸亭」という弁当屋を発見。メニューが豊富で、ワンコインでお釣りが来るものも多い。これは渡りに船の存在だ。
連泊の際にはコンビニに頼ることが多く、ちょっと気になる添加物や保存料。2食付きにすると1泊料金はほぼ倍になってしまい、かと言って毎日外食という訳にもいかない。
初めての鉄道でのワーケーション、いろいろと懸念はあるが、一旦食の不安は解消されそうだ。
宿までの駅から歩いた時間15分。折角身体の火照りが抜けたのに、、また汗がびっしょり。まあじっくり、慌てず。
令和3年7月21日
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