増富温泉 湯治日記⑤<最終話>【さよなら三英荘、10年後の夏も】
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一週間に及ぶ増富温泉での湯治、とうとう最終日を迎えた。
どこの宿でもそうだが、やはり帰り際は哀別の情が沸々と。だがこちら三英荘はまた特別、ホームステイを終えるように寂寥感が心緒を覆う。
娘さん夫婦も同居しているが、日中は外に出ているのでほとんど会うことはない。女将さんとモモと三人の共同生活、今回も滞在中は他の客は誰も来なかった。
帰り際玄関に立つと、瞼をグッと掴まれるように、目頭が熱くなるようようだ。
女将 「寂しいもんだね、元気でいるんだよ」
私 「うん、女将さんも。また来年」
女将 「あんた、インターネットにうちのことを書いたろ?」
私 「なんだ、知ってたんですか。ごめんなさい今まで黙っていて」
女将 「いいんだよ。オタクさんの客がたまに泊りに来る。みんなモモを可愛がってくれてね。ありがとう」
私 「そうですか。皆さん源泉に入れますか?」
女将 「足だけ浸けて入らんのもいる、冷たくて驚くよ」
私 「ははは、私もここは八月しか入れないから」
私 「でも怒らんでしょ、ここはモモがいて、ご飯も美味しいから」
女将 「でもたまに怒る人がある。アンタの客じゃないけど」
私 「そんな人いますか(苦笑)」
女将 「色んな人がいるよ」
女将 「あんたみたいなの珍しいよ。毎朝5時に散歩に出て行って、1日3回、一分一秒違わず風呂に入りに行くんだから」
私 「身体を治すためだよ。女将さんが一番分かっているじゃないか」
女将 「そうだね」
私 「一昨年発作が出て車椅子になって、去年は階段を手摺で上がって、今回はリーゼン(※みずがき山リーゼンヒュッテ)まで歩いた。効くんだよ温泉は。薬をいくら飲んでも、駄目だったんだから」
女将 「昔は正月でも一杯になった。雪の中を来るんだから」
「末期の人でね。押入れでもいいから泊まらせてくれって。断れなかったよ。オタクみたいに一生懸命入ってた。一人で入れてはおけないから、私が付いて行って一緒に浸かった」
私 「心臓が止まっちゃいそうだ」
女将 「みんな真剣だったよ。何事も一生懸命にやらなきゃいかん」
私 「次入院して出た来た時は、真っ先にここに来るよ。冬じゃなきゃいいな」
女将 「私が先に死んでるかも分からんよ」
私 「何言ってるんだい、85歳になって五十肩が診断されたんだろ?130歳まで生きるさ」
女将 「そんなに生きてたまるか。ぽっくり逝きたい」
私 「みんなそうだよ」
女将 「これ持って行きな。漬物好きだろう?」
私 「ありがとう。漬物美味かった、味噌汁も」
女将 「うちは味噌も漬物も自分で作る。保冷剤入れておいたから」
とっくにチェックアウトの時間を過ぎていたが、私は帰るタイミングを失い、女将さんと数十分話をしていた。次第に私の身体の方が、ビリビリと痺れてきた。とうとう帳場に背を向け、駐車場へと歩いて行く。
「じゃあ、行くね」
「モモ、バイバイ。いい子にしててね」
「気を付けて帰るんだよー」
帰宅して渡された袋を開けると、漬物とキュウリが2本入っていた。
これは旅館の横の家庭菜園で、女将さんが無農薬で育てたものだ。滞在中、私がモモを抱きかかえ、女将さんはホースで散水をした。
宿を出てから数日経つが、まだ残っている梅干を毎朝食べる。その度に、愛らしいモモの姿と、女将さんの豪快な笑い声と、金気臭を帯びた強烈な冷鉱泉のことを思い出す。
令和4年8月15日
『増富温泉 湯治日記』 おしまい
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