私と温泉と湯治⑫<完結>【高東旅館~地獄から這いあがる】
<前回はこちら>
東鳴子のいさぜん旅館での1泊を経て、次の御宿が結果的にラストダイブとなりました。お隣の温泉地「川渡温泉 高東旅館」です。これまで私が最もお世話になっている御宿です。
予約をする時はいつも電話で。御主人も女将さんも受話器を取り、私と分かると「あれから身体は大丈夫ですか?」と応えてくれます。
この時は1週間の滞在でした。正直この時も何をしていたか、痛みの状態がどうだったかなど、ほとんど記憶にないです。と言うより、何もしていなかったのだと思います。
入りたい時に湯に浸かり、お腹が空いたらご飯を食べ、テレビでも見ながらボーっとしていたのでしょう。今は湯治の際は起床や食事の時間、入浴の回数など執拗なほど規律を守ります。考えてみれば、この時が最も湯治らしかったと言えるかもしれません。
毎日変わる薄グリーンの湯。熱い源泉がドンと効きます。表現が拙いのはご愛敬。長く記事を執筆していますが、私の記事では、細かい泉質名称や成分量が〇〇㎎であるとか、触れたことはありません。
昔取った杵柄で分析表は読めますが、本来温泉は心と身体で入るもの。目と耳で湯を判断するのは、少々滑稽に感じられることもあります。
高東旅館は湯だけではなく、他の宿ではなかなか体感しない「仁心」に触れることができます。
長期滞在をすると、経営者がどれだけ湯と客を大切にしているかが良く分かります。客が出払ったあとの掃除や宿の手入れ、浴槽の清掃などから感じるのです。
客の多寡にかかわらず熱心に湯を清掃する息子さん。廊下のストーブの燃料をマメに補給する女将さん。泥だらけになりながら田圃に入り、宿泊客に振舞う一等米を育てる御主人の姿は本当に美しいです。いくら高級なリゾートホテルでも、この光景は見ることはできません。
成人の日を越えたころでした。ふと「そろそろ帰ろうかな」と思い、長い湯治を終えたのでした。片道切符を覚悟した旅、私は生きて還ってきたのです。
その頃仕事の状況はというと、長年貯めていた有給を僅かに残し、首の皮一枚で雇用は保たれました。復帰への不安は勿論あります。元々白血球が低く免疫力が弱いため、不用意な出社はできません。
そんな時、同じ部署の後輩の「H」が時々自家用車で自宅近くの喫茶店まで来てくれました。彼も長くアトピー性皮膚炎を患っており、云わば戦友でもありました。
病に伏せていた時、多くの同僚や上司が励ましのメッセージや電話をくれましたが、凄絶なまでに精神的に追い込まれた状態だと、同情されることが煩わしく感じられることもありました。
流行病で行動制限が最盛期の頃、定期的に足を運んでくれた彼の行動は復帰への大きなアシストとなりました。
私が何とか復帰と言う体裁を整えた半年後のことでした。今度はHが窮地に立たされます。長年続けていたステロイド治療、効いていた薬は耐性がついてしまい効用が落ちます。この時点で彼が使用していた薬は云わばステージ4の段階でした。
治療法を変え、断薬に踏み切ったのです。極度なまでの糖質制限も痛々しいほど、そして離脱症状の様な症状が襲い、容態が一気に悪化してしまいました。痒みで睡眠がまともに取れないと彼は言いました。
夏の終わり、彼からヘルプのlineが来ました。「湯治に連れて行って下さい」と。これを断るのは蛮行としか言いようがありません。
「必ず治してやる」そう思いました。
私が連れて行ったのは福島県、磐梯熱海温泉の共同浴場「湯元元湯」です。皮膚病への適応症が非常に高く、多くの患者を救ってきた名湯です。
駅前のゲストハウスで1週間の湯治。歩いてすぐの元湯に毎日通います。
人肌よりも少し温い程度の湯、毎日1時間以上浸かります。そして、ストレスという目に見えない化け物から逃れるように、私は行程を組みました。
二人で山に登り、釣りをして、サイクリングをします。自然に触れて、彼の食事制限の範囲内で好きなものをお腹いっぱい。炭水化物は全てダメでしたが、肉や魚はOKという具合で、毎日焼肉ばかり食べていました。
彼の肌は次第に回復し、見る見るうちに綺麗になります。ゲストハウスの女性スタッフも驚くほどです。私もここまで覿面するとは思わず、背中の写真などは撮っていません。証明するものがないのでちょっと後悔です。
この頃私たちが所属していたのは新規事業を立ち上げる部署でした。
メンバーは20名いません。うち二人が「湯治」により復活を遂げたのです。
私の配置転換により、現在彼とは違う部署に分かれましたが、会社でたまに顔を合わせると温泉の話ばかりしています。
少々厄介な病を患いました。
線維筋痛症が完治したという話はあまり聞きません。薬を付けて治るなら私もそうしますが、残念ながら長くそれには出会えていません。
激痛も心の傷も数値に現れません。見えないダメージへのアプローチで最も有効だったのが「湯治」でした。
「民間療法」「時代遅れ」、ネガティブイメージがつきまといますし、本当に効くかどうかの議論はどこまでいっても小田原評定です。ですが私はやるのです。「湯治」は瀕死の状態の二人を救った窮余の一策、絶対に離していけない一本の命綱。
今宵もまた、私は旅に出るのです。
『私と温泉と湯治』おしまい
令和4年10月22日
<磐梯熱海温泉での湯治記録です>