増富温泉 湯治日記③【湯治についての考察】
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三英荘で湯治を開始してから3日目、案に違わず好転反応(快復への過程で見られる一時的な体調不良)に襲われていた。私の場合、首から背中を伝い、身体の裏側を通る様に小指まで痺れが出る。そして、全身に激痛が襲う。
経験上ここが分水嶺であり、ひとたびここを抜けると一気に快復が加速する。湯治場ではよく「出し切る」「炙る」などと表現する。
私 「今、ちょうど激痛出てます。3日目だから」
女将 「頑張りなよ。みんなここを乗り越えるんだから」
私 「分かってるさ。今日炙り切れば、明日から楽になる」
以前は痛み止めを服用したこともあったが、現在は断薬に踏み切り、阿鼻叫喚激痛地獄を自力で乗り越える。峠を過ぎると、湯治前は10分と歩けなかったはずが30分歩けたり、上れなかった階段を独歩できるなど、分かりやすく効験を実感する。
私が最初に湯治をしたのは、「ゆじゅく 金田屋」(群馬)が最初だったと記憶している。原因不明の痛みを抱え、ドクターショッピングに辟易していた頃、何か治療の手立てはないものかと一人で宿泊をした。
連泊で、好きだった湯巡りは控え、近くの共同浴場と宿の湯だけに3日間浸かる。その時、一階の帳場横の本棚に「湯治ノート」と書かれたA4のキャンパスノートを目にした。嘗てこの宿で湯治をしていた方々の日記である(今も置いてある)。
既に逝去されたAさん(仮)。大病を患いステロイド治療に苦しみながら、湯治に励む様子が綴ってあった。序盤は筆跡が震えているが、徐々にそれが治まっているのが分かる。
「手の震えが治った」
「副作用に効く薬はない」
切実に綴られる文章が琴線に触れる。
散々使い続けてきた薬の数々、痛みの原因は分からぬまま、長い年月が経っていた。「こんな治療があるのか、、」それから温泉は一人で連泊が基本になった。
今でこそ仕事の環境が整いノマドが許容されているが、数年前までは週末湯治が基本。その頃は、前轍を何度も踏んできた。
2泊3日の所謂プチ湯治。湯によって差があるが、湯治による快復は必ずと言ってよいほど好転反応を伴い、V字型に回復していく。3日目のV字の谷底、激痛がピークの状態でチェックアウトを迎えるのだ。
一番迷惑をかけたのも「金田屋」。数年前、元々体調が悪い状態で2泊湯治に挑んだ。私は快復を期待したが、その思いと裏腹に峻烈な痛みが襲った。
顔面が真っ青になってしまい、階段を上れない。
手摺につかまり、何とか部屋まで戻る。持っていた「リボトリール」という神経を麻痺される薬を飲み、自力で帰路に着いた。救急車に乗らなかったことに安堵したが、本当に肝を冷やした瞬間だった。
今でも懇意にされていただいている金田屋のご主人と娘さん。心配そうな顔が今でも忘れられない。後に比較的発作が出にくい時期に再訪し、三拝九拝謝罪をした。
現在は基本的には湯治は1週間。今はWi-Fiがない宿の方が珍しく、どこでも仕事はできる。一部の電波不通の秘湯宿は、逆に「デジタルデトックスの宿」としてバリューがあるようだ。
この湯治療法だが、西洋医学に傾倒する医師会から薦められることはまずない。闘病が始まり15年近く、30人以上の医師と出会ってきた。整形外科から始まり、神経、血液内科、リウマチ・膠原病科など、一通りは罹った。
だが湯治に関して肯定的な定見を示したのは、実に2人だけだ。
現在通っている大学病院の膠原病科のH先生と、東京都中央区のYクリニックの院長のみ。熱心に湯治の前後で採血をしてくれて、異常値が治まったことを興味深けに観察してくれた。
闘病仲間であり、湯治仲間でもあるMさん。リウマチの症状に苦しみ、病院通いをされていた。以前長く川渡温泉(鳴子)で湯治をした後、症状が治まった旨を医師に伝えると、言下に「それは気のせいです」と言われてしまったそうだ。
同じく鳴子で出会ったKさん。私同様、一時激痛で動けなくなってしまい、病院に向かうもを然したる原因は分からず湯治を決断したという。次第に症状は収まり、現在も定期的に湯治をされている。
縫合痕が幾つも残っていた80歳を超えるSさん。湯煙が立ち込める浴室で、滔滔と湯治療法の奥義を拝聴した。大病を患った時に、震災で被災した経験もあるという。その時は流石に「もうダメだ」と思ったそうだ。
しかし現在でもお元気で、毎年の湯治を欠かさない。今年もいつもの宿でお会いするはずだ。
会社の後輩のHは、重度のアトピーに苦しみ、私に「湯治に連れて行って下さい」と懇願した。連れて行ったのは磐梯熱海の「湯元元湯」。1週間の滞在、日を追うごとに肌が綺麗になっていき、ゲストハウスのスタッフからも褒められていた。
湯治は非科学的として、このまま切り捨てられて本当に良いのだろうか。
どこも小さい宿は苦境に立たされ、廃業が相次いでいるのは周知の通り。
国を挙げた旅館業への救済策も、豪華なホテルや旅館は潤っただろうが、湯治宿はその恩恵を受けたとは思えない。
「癌が治る」などの喧伝は本当に止めた方が良いとは思うが、我々の体験談は戯言なのだろうか。。私はこれからも「湯治」と向き合い、慧眼を磨いていこうと思う。
枯葉も山の賑い、今後も記録を綴るのみである。
つづく
令和4年8月12日
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