湯治場で、年を越す⑩【自炊とお裾分け】
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湯治生活も終盤に差し掛かった。
到着3日目から少しずつ状態が上向き始め、全身の痛みも徐々に引きてきた。毎日の温熱療法と、入浴後のストレッチ、適度な運動が功を奏したか。
一週間が過ぎると、最も厄介な背中の激痛がほぼなくなった。
線維筋痛症の症状は人によって差があるようだが、私の場合端緒となるのは背中の痛み。これが来ると見事なまでに瓦解が始まる。
次第に全身に激痛が走り、不眠や歩行困難、指が動かなくなるほどに症状が及ぶ。酷い方は直射日光を浴びただけでも痛みを感じ、眼球が痛くなる方もいるそうだ。
普段なら多少効用がある薬も、痛みと比例しほとんど効かなくなってしまう。蟻地獄にハマると完全寝たきりに。追い込まれるほど焦りと不安が募り、更に動けなくなる。投薬が続くと耐性ができ、どこかのタイミングで断薬すると離脱症状に陥るという無限ルーレット。
本旅に発つ一週間前、低気圧から体調を崩しまさにその入口に立たされた状態だった。寝正月も頭を過ったが、つくづくこちらに発って正解だった。
回復の要因は、食事も影響しているかも知れない。
長期の湯治で持ち込む自炊材料。いつも行きがけに「ウジエスーパー」か「TRUST」で大量に購入する。レトルト類のご飯にカレー、丼物など。缶詰に保存の効く野菜、卵に納豆漬物etc…
だが今回は、レトルト類の大半は自宅まで同舟となりそうだ。
予想だにしなかったこちらでのMご夫妻との出会い。何度か経験している湯治生活、お裾分けをいただくことは過去にもあった。だがこれほど世話になった方はいない。
私が到着してから2日後にお見えになったMさん。
炊事場で調理をしていると「ご飯食べるかい?」とご主人。毎朝高東旅館の田んぼで収穫された新米を炊くという奥様。
「どうせ2合も3合も変わらないからさ、うちのやつ食べなよ」
流石に最初は「申し訳ないですよ」と切り返す。だがあまり断っても却って慇懃無礼か。。遠慮なくいただくことに。
毎朝7時、調理を始めると丼鉢一杯に盛られた白米をご主人が炊事場に持ってくる。それにとどまらず、青菜に漬物、自家製の梅干しに磯辺揚げまで次々と。
毎日の朝定食は拝受したご飯に漬物、自前の卵焼きと納豆、ウインナーを焼いてフリーズドライの味噌汁。上等な朝飯だ。断り過ぎず甘え過ぎず、数日するとちょうど良い距離間を覚えた。
「食品ロスが出なくてこっちも助かるから」
和合の精神を感じる瞬間。
私からお返しできるほどの物は持ち合わせていなかったが、少々心得のある温泉の知識。旅先でのエピソードをお話すると大変喜ばれた(これで済むならば、、いくらでもw)。
因みに湯治場での自炊の定番は「鍋」。
ウジエスーパーで購入した豚肉バラを冷凍し、期限の近づいてきた豆腐や元気のなくなってきた野菜をぶち込む。一人前から作れる鍋キューブは有難い存在。種類も多く日持ちも良いので、自炊セットとして常に持ち歩いている。本旅でも重宝した。
昼夜も時々タクシーや奥様の運転に便乗させてもらい、買い出しや食事に行くことも。年明けにも再び「焼肉八兆」へ行った。私よりも3日早くこちらを発たれるご夫妻と別盃を交わす。
主人 「またここで会おうよ、多分来年も鳴子で年越しになるから」
私 「恐らく私も。この店もまた来たいです」
旨くて安い八兆の焼肉。一人客も多いことを今回の旅で知った。だがやはり、焼肉は皆で食べたほうが美味い。
いつも沢山注文して食べきれないご主人、それを発端に喧嘩を始めるご夫婦。最初は仲裁したがもう放っておく。この漫才を見れるのもこれが最後だ。
粗食生活で少しダイエットができると思ったが、逆に太るという現象が起きた。発作が出ると数日間絶不眠絶食状態も起きるため、食欲のある時期は健康な状態か。
朝からアルコールを常飲するご主人。小食で米はいつも余るという。
出発の前日、冷凍したご飯を大量に私に譲ってくれた。結局さとうのごはんの登場機会は最初の数日だけだった。
過剰なまでのお裾分け。私はお礼にと高東旅館近くの「竹野酒店」に行き、日本酒「菊水」のカップを2本買い、炊事場でタバコを吸っていたご主人お渡しした。
主人 「ごめんね。気を遣わせちゃって」
私 「等価交換になってないと思いますが」
主人 「春にも来ようと思う、また会おうよ」
私 「ええ、体調次第ですが」
旅先の「また会いましょう」は、ほとんど社交辞令だ。だが高東旅館で出会う湯治客は、本当にまた会えるような気がする。
湯治もあと僅か。
令和4年1月5日
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