「読点を変えると文章も変わる」難しさと面白さの実験
文章を書く上で「読点(、)をどのタイミングで使うか」って、結構切実な問題だと思っています。
・文学作品など、読点の使い方をもひっくるめた「文章全体の雰囲気」もまた、作品の一部として成立する文章
・完全に自分のために書く日記
以上ふたつを除外した「他者に届けるための文章」を書く上で。
要するに「noteにいつも書いている文章」における、読点の使い方です。
読点の少ない文章は、読む側に「まくし立てる」ような印象を与えるので、読みやすさを重視するなら適切なタイミングで使うべき……という意見を見かけたことがありまして。
私の文章は、普通に書いたままの状態だと読点が少ない方なので、読み返しながら足すことがよくあります。
試しに、以下は2024年2月11日の日記の一部です。
(冒頭で「日記は除外」と書いたものの、適切な例文が思いつかず…)
この内容を「noteに公開する」こと前提で書き直すならどう書くか。
言っている内容は同じですが、読点のつけ方に沿って、語彙も全体の構成も変わりました。
個人的には、もともとの文章を濾過(あるいは漂白)したような、多少のよそよそしさも感じます。
その「よそよそしさ」はおそらく「読みやすさ」と同義で、ついて回る以上バランスを考えるべきもの。
文章に「感情」を込めたい、という意欲を燃やした翌日に気づくのも難儀なものです。
スマホもパソコンも無い、原稿用紙に手書きだった時代の文豪たちってすごかったんだな……なんて思ったんですが、よくよく考えたら小学生ぐらいの頃に書いていた作文や日記も、条件は同じでした。
それに今だって、便箋に手書きで書く手紙なら、同じように一発書きですね。最近全然書いてないけども。
noteを通じて「文章の書き方」の奥深さを知るばかりです。
お読みいただき、ありがとうございました。
今日も良い日になりますように◎