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これは読むカウンセリング。機能不全家族からの復活を描くライトノベル『婚約破棄された研究オタク令嬢ですが、後輩から毎日求婚されています』

とんでもないライトノベルを読んだ。

もともと本が好きで、数年前からライトノベルも読むようになった。「小説家になろう」の有名作を中心に年間300本くらい。ほのぼのするもの、スカっとするもの、普通の作品……。そのどれもが娯楽としての作品で、それ以上をライトノベルへ求めたことはない。

それなのに、突然、とんでもない作品がですね。
出てきてしまった。

『婚約破棄された研究オタク令嬢ですが、後輩から毎日求婚されています』

タイトルを見たとき、「ふっつー」だと思った。すみません。でも、あまりに最近のなろう小説のテンプレ的タイトルで……。読んだときはかなり軽い気持ちで読んだ。

ら、とんでもない作品である。これは。

まずは、さらっとあらすじを。

主人公のフレデリカは、侯爵令嬢でありながら魔法具の研究にしか関心がないオタク。そんな女性だからかもしれないが、婚約者の王太子も別の女にうつつを抜かし、ついにはフレデリカと婚約破棄してしまう。
しかし、そんなフレデリカへ「結婚してください!」と毎日のように迫ってくる後輩がいた……!

あれ? これだけだと完全に、最近コミカライズ&アニメ化した『魔道具師ダリヤはうつむかない』じゃない?

類似作品でヒット作があると「元作品のオマージュ……かな?」と警戒するのがオタクの常……いや、オマージュでも面白ければそれでいいんだけれども……たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』と『結城友奈は勇者である』とかとか、いろいろ思ったが、実態はまったく異なるのであった。

主人公は明らかに「回避型愛着スタイル」の女性である

主人公のフレデリカは、後輩のエミールから口説かれてもひるまない、どころか反応しない。最初はそれが、アニメによくいる無表情キャラのテンプレかと思った。だが、徐々にフレデリカの過去が明らかになるにつれ、彼女は愛着障害を抱えていることがわかる。

現実でも、親子関係にひびが入っていると恋愛で苦労しやすい。この、相手に対する愛情の抱き方を「愛着スタイル」と呼ぶ。

親の愛情を受けたと感じ、危険や不安を感じにくい環境で育つと「安定型」の愛着スタイルを手に入れる。安定型の人間は、自分が愛情を伝えれば相手も返してくれるだろうと信じられる。嫌われるかも……という不安をいだかず、まっすぐに相手の愛情を受け入れることができるタイプだ。

対して、不安定な家庭に育つといくつかの分岐を迎える。

まず、「回避型」の愛着スタイルを持つ人間は、愛情を伝えても拒否されたり、無視された経験を持つことが多い。そこでなるべく愛情を抱きそうな相手と距離を置き、真剣な関係にならないよう努力してしまう。

次に、「不安型」の愛着スタイルを持つと、見捨てられる不安にふりまわされ、過剰に尽くしたり、逆に相手の愛情がもう冷めてしまったのではないかとパニックに陥ったりする。結果、相手に命がけでしがみつく形となり、相手を壊してしまう。

最後に、回避型と不安型のハイブリッドである「恐れ・回避型」になると、どうせ自分なんかいつかは捨てられるだろうと疑心暗鬼になり、しかし相手へ連絡すると嫌われるかもと不安になるから何もできず……と、心の中で自分を追い詰めるタイプになりやすい。

そして、本作の主人公は明らかに「回避型」である。

後輩から「自分のことを好きになってくれるか?」と聞かれるたびに、彼女はこう答える。
「私には決定権がないから」

それは答えではない。彼女は意思を聞かれているのだ。しかし答えられない。なぜなら、好きだと答えれば、愛した相手に裏切られるおそれとつながるからである。

確かに、設定上貴族であるフレデリカには婚姻の決定権がない。決定権はないが、好き嫌いはそれと別に存在していいはずだ。フレデリカにはその意思がない。というよりも、意思を持たないようにしている。

そして、読み進めるとフレデリカが回避型になった起因であるトラウマ体験が出てくるため、作者は明らかに愛着障害を勉強したうえで小説を書いていることがわかる。

回避型愛着スタイルの人間が、愛する心を取り戻すまで

そして、フレデリカの物語が進展するにつれ、彼女は回避型愛着スタイルから脱していく。人を愛してもいいのだ、そうしても裏切られることはないのだ……と、信じられるようになるのだ。

しかも、きちんと考えられているのが、それが決して王道の「ワンワン系後輩ちゃんが愛を伝えてくれたから」ではないのである。

ある日、後輩のエミールはフレデリカへの態度を変える。これまで挨拶のように求婚していたのに、すっと距離を置くのだ。それにより、フレデリカは急に不安を抱く。

もしかして、私は彼に見捨てられたのではないだろうか。
まてよ、なぜこんなにも距離を置かれるのがつらいのだろう。
もしかして、私は彼のことを好きなんじゃないか?

と、自分の愛に気づくのだ。
ところが。この愛着スタイルはまたしても不健全だ。フレデリカは回避型から、相手へ依存して追いすがろうとする「不安型」にシフトしただけだからである。

現実でもそうだ。回避型の人間がいきなり安定型の、自己肯定感にあふれた愛着スタイルを築くことなんかできない。むしろ、好きになった相手へ追いすがって、怖がられ、また捨てられるのが怖いから回避しているのだ。つまり、回避型の愛着スタイルから真に脱しない限り、フレデリカは無表情キャラからメンヘラに変わるだけなのである。

親子関係に傷ついたままの恋愛を「やめる」

そこで、エミールはある提案をする。それは、彼女の愛着スタイルを根本的に癒すことになる。

この本のすごいところは、フレデリカがエミールを「好き」と言えるようになったとき、読者が全く安心できないところにある。フレデリカはどう考えてもメンヘラちゃんに変わっただけで、エミールを愛せていない。単に、極端から極端に移動しただけだ。極右のアクティビストが「世界の真実に目覚めた」と言って、極左になるくらいの変化である。そこに安心感はない。

だから、物語はそこで終わらない。彼女が安定した愛情を抱けるまで。すなわち、過去の傷つきと対峙してけりをつけるまで。エミールはカウンセラーとして寄り添う。

そして読者は、フレデリカの成長に泣いてしまう。自分の過去とも照らし合わせてしまう。たとえば、母親へカーネーションをプレゼントしたら「なに?このゴミ」と捨てられた思い出。あるいは突然、5歳で全寮制のスクールへ入れられて、母親が遊学中はそこにいるしかなかったこと。もう二度と親に会えないんだと誤解して、毎日ボロボロ泣いていた。

そういう「拒絶」を積み重ねて、実年齢は大人でも、愛着スタイルが崩れたままの人間ができてしまう。私は愛着障害から、医学で立ち直った。そして、フレデリカはカウンセラーとしてのエミールに支えられて変わっていく。その成長、変化に心を重ねて、紙が濡れるまで泣いてしまった。

この本は読むカウンセリングだ。読者すらも「もらった愛情は、そのまま受け止めていいんだよ」と信じられるまで、エミールが寄り添ってくれる。生まれた家庭で傷ついた人をすべて癒してくれる。

これは、フレデリカと、わたしとあなたの物語だ。


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