
【読書ノート】「組織不正はいつも正しい ソーシャル・アバランチを防ぐには」
読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、『組織不正はいつも正しい ソーシャル・アバランチを防ぐには』著.中原 翔です。
本を手に取った切っ掛け
最近毎日聞いている『安斎勇樹の冒険のヒント』より、
#47 組織内に"◯◯警察“が蔓延する、ゴールドディガー効果とは?
の中で下記のようなコメントがありました。
実際に、倫理的な組織を目指して「コンプライアンス教育」などを徹底すると、かえって社員の非倫理的行動が助長される、という研究結果があることが、新刊 #組織不正はいつも正しい でも紹介されていました。
このメカニズムのひとつである「ゴールドディガー効果」と呼ばれる現象が大変興味深かったので、組織の"◯◯警察"の対策も含めて本日のVoicyでお話ししています。
「ゴールドディガー効果」という言葉が気になり、この本を手に取りました。
書き留めたところ① 組織は合理的に失敗する
組織論では、菊澤研宗先生が「組織は合理的に失敗する」と説明されています。ここで少し、この考え方を紹介しておきたいと思います。
一般的に、組織は合理的に活動することによって物事を前に進めるのですが、合理的に失敗してしまうのです。なぜでしょうか。菊澤先生によれば、この合理的失敗は次の二つが原因となっているとされています。それらは、次のようなものです。
1.たとえ現状が非効率的であっても、より効率的な状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて非効率的な現状を維持する方が合理的となるという不条理(非効率性の合理性)
2.たとえ現状が不正であっても、正しい状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて不正な現状を維持隠ぺいする方が合理的となる不条理(不正の合理性)
・・・
この二つに共通しているのは、個人がなるべくコストがかからない方法を選んでしまうという傾向です。コストがかからずに、より高いベネフィットを得る方が合理的だからです。これは損得勘定とも呼べます。
「合理的な失敗」状態、よく遭遇します。
組織の場合、評価の仕組みがこれに関連していることが多いですね。
全社的に見ると有益なことが、個人の評価上マイナスになったり、
5年スパンで見ると有益なことが、半年で見る個人の評価上マイナスになったり、
することで、個人の合理的な選択が、全体としての不合理を起こしてしまう。
これを防止するために、マネージメント層が存在しているはずですが、組織が大きくなると、変化の影響を受ける領域が膨大になり、マネジメント層から見ても対処するコストが合わないこと、よく見受けられます。
書き留めたところ② 閉じられた正しさ
燃費不正という問題が企業組織だけの問題ではなく、行政組織と企業組織においてそれぞれ「正しさ」が追求された結果において生じた問題であり、かつその「正しさ」がそれぞれの組織において「閉じられた正しさ」だったということなのです。
「閉じられた正しさ」であれば、それぞれの組織で完結すれば問題とは感じられないものです。しかし、その「閉じられた正しさ」が差異として認識された時、つまり開かれた時に初めて燃費不正という問題が生じるのだと考えられるのです。
「正しさ」とは、特定のコミュニティの中で閉じられたものだと思います。
万人にとって正しいことは、この世の中に存在しないのではないでしょうか。
但し、コミュニティには、入れ子構造で、かつ複層的になっているため、
内側のコミュニティにおいて「正しいこと」が、
これを包含する外側のコミュニティにおいて「正しくない」とされた時に、
外側のコミュニティの「正しさ」が優先されます。
内側のコミュニティから外側のコミュニティへ情報が流通する仕組みや、外側のコミュニティが内側のコミュニティに対してルールの不具合がないか確認する仕組みがないことが、そもそものズレの原因ではないでしょうか。
書き留めたところ③ 時間的な「危うさ」
このように考えると、東芝の不正会計問題に似た事象はどこの組織でも「起こりうる」と考えられます。それは、どのような組織であっても利益(=カネ)を生み出すのはロワーであるにもかかわらず、そこから離れた人たちが短時間で利益(=カネ)を生み出すように命じた場合にはロワーにとっては不正(会計)に手を染めるほかないからです。
これはロワーを責めることによって解決することでもないし、ミドルやトップを責めることで解決するものでもありません。それは複数の「正しさ」によって引き起こされた時間的な「危うさ」というものが、一部の人たちによって生み出されるものではなく、階層を超えて構造的な問題としてあらわれたということです。
目標に対して未達成となった時、次にどのように未達成を埋めていくかを時間とセットで約束していくことが管理です。
時間とセットで約束するにあたり、未達成を埋める施策に実現可能性があるかどうかを管理者が自らの責任において確認し、承認する手続きが必要です。
管理が形骸化していることに、階層を超えての構造的な問題があるように感じれます。
書き留めたところ④ 倫理を脅かす四つの力
この論文においてカプタインは、組織が様々な規範や教育などによって倫理的になるとそれと並行して組織の倫理を脅かす四つの力(=勢力)が出現するとしています。それらの四つの力は、次の通りです。
①組織がさらに倫理的になるべきだとする力。これは「組織はもっと倫理的になれるはずだ」という信念の下で、組織を「上向き」に押し上げようとするもの。
②組織は倫理的になるべきではないとする力。これは「組織が倫理的になれるはずがない(倫理的になるものではない)」という信念の下で、組織を「下向き」に押し下げようとするもの。
③組織が倫理への投資を削減すべきとする力。これは「より少しの投資で倫理を達しよう」という信念の下で、組織を「後ろ向き」にしようとするもの。
④組織は将来も同じである続けるべきとする力。これは「組織は現状維持すべきである」という信念の下で、組織を「前向き」にしようとするもの。
カプタインは、これらの力がそれぞれ増えていくことによって、組織の倫理的実践に矛盾を来す影響が出てくるといいます。
・・・
カプタインが主張したのは、まさに倫理的な組織ほど非倫理的な実践が行われてしまうという「倫理のパラドクス」だからです。
「組織が倫理的になろうとするほど社員の非倫理的行動が助長される」という研究結果は、非常に興味深いです。
組織は個人の集まりである以上、個人の揺らぎが、倫理規範を揺らがせるということでしょうか。
個人的なまとめ
損得勘定による判断が起こす組織不正
複層的なコミュニティにおける判断基準のズレが起こす組織不正
階層構造における管理手続きが形骸化されることで起こす組織不正
組織内の個人の規範に対する力学が起こす組織不正
この本では、このような組織不正が書かれていると理解しました。
読後メモ
私たちは、小さい頃から
「決められたルールに従いなさい」
というよりも
「周りの人に迷惑をかけないようにしなさい」
という教育を受けきました。
「組織不正はいつも正しい」という言葉にあるように、この本で扱われている不正は、
「これをしないと、仲間に迷惑がかかる」
「これをしないと、経営層に迷惑がかかる」
「これをしないと、組織に迷惑がかかる」
といった、ルールに基づく価値判断ではなく、自身が認識しているコミュニティの利益に基づく価値判断で行われおり、「自己利益のために不正を働く」という利己的な姿勢は薄いものだと感じました。
そして、自身が認識しているコミュニティの外側に判断軸が開かれてしまった時、コミュニティ間の正しさのズレが、不正として現出してきます。
そして、そもそも論ですが、
「これは正しい」という発言自体が、正しくないものが存在する前提でなされる以上、正しさは常に個人の選択の意思を内包しているはずです。
「正しい」という線引きが、「不正」を生むため、
「不正をなくす」という言葉は、「正しさをなくす」こととなり、そもそもの矛盾を抱えています。
正しさとは、コミュニティに依存することを理解した上で、
自分は、どのコミュニティに所属しているのか?
所属しているコミュニティの判断軸と自分の判断軸は合致しているのか?
これを自身に問い続けることが求められていますが、コミュニティの入れ子構造が複層的な場合、あるコミュニティの判断基準が、外側のコミュニティの判断基準に反するという認識のズレが起きます。
これにより不正が現出してくるのです。
自分
<自分が所属しているチーム
<自分のチームが所属している部署
<自分の部署が所属している会社
<自分の会社が所属している業界団体や地域や国
<自分の業界団体が所属している国や諸機構
これら複層的なコミュニティの存在は、複雑に枝分かれし把握しきれず、これらの判断軸が全て揃っているか、確認することはとてもコストがかかります。
複層的なコミュニティに対して、人の所属の認識が追いつかないことがあり、人の所属に関する認識の限界が、正しい組織不正を引き起こしてしまう。
複層的なコミュニティに所属することが避けられない現代において、複層的なコミュニティの判断軸を全て揃えることのコミュニケーションコストは高く、このことで、構造的に組織不正は常に起こりえる。
この本を読んで、そんな感想を持ちました。
コミュニティの概念、興味深いです。
いいなと思ったら応援しよう!
