【読書ノート】「正欲」朝井リョウ
読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、
『正欲』
著.朝井リョウ です。
誰もが抱えるズレが描かれている。
そんな風に感じた本です。
✅本書を手に取った切っ掛け
Amazon Primeで「桐島、部活やめるってよ」を見返して、朝井さんの本が読みたくなって手に取りました。
同調圧力
目に見えないヒエラルキー
秩序が壊れてしまうことの恐怖
「桐島、部活やめるってよ」で感じたテーマは、この本にも流れていると感じました。
✅書き留めたところ① 美人投票が分からない
逆に、自分の指向を認識してしまう不幸もあるのではないでしょうか。
私は経済学部でしたが、大学生になってから、しばらく「美人投票」という言葉の意味が分かりませんでした。
「美人は、誰が見ても美人だろ」
大学に入るまで、自分の見方と大きく異なる見方があることに気が付くことが出来ていませんでした。
自分が好きなタイプの美人が、
他人が好きなタイプの美人と異なることに、
私は気づいていませんでした。
おそらく、高校生の時まで、あまり他人と本当の意味でのコミュニケーションをとっていなかったことが原因だと思います。
大学に入って、寮での生活を始め、
今までに経験がなかった体育会の運動部に入部して、
初めて、自分とは異なる見方があることに気が付きました。
趣味が違うというよりも、本質的に異なる考え方の人がいること。
自分が心から面白いと思う
「映画」「ゲーム」「本」を、
友人に見て貰っても、
「まるで面白いと感じない」という回答を貰ったり、
そもそも、言葉が通じない。
そんな経験は、大学に入って初めてでした。
「まるで面白いと感じない」
という言葉には、
全く悪意がなく、
心からそう思っている、
ということが伝わってきます。
社会人になっても、この傾向は続きましたが、
世の中、そんなものだっと思っていました。
このズレが個人の中で完結している場合は、
「正」「誤」
は発生しないが、
繋がりを求めて、外と繋がった時、
そこに、コミュニティが生まれ、
「正」「誤」
が発生する。
だったら、他者と繋がらずに、
自分が好きなことは、自分で完結させればいい。
そんな選択肢を自分の中でとっていたように感じます。
✅書き留めたところ② "性的"とは他者を前提にすること
”性的なこと”は
コミュニケーションを伴う、
他者の存在を前提としたものであることが
この本の興味深いところです。
二人以上の人間が集まって
コミュニティが出来上がってしまうと、
そこにコミュニティとしての「正」「誤」が生じる。
コミュニティを分断させることで、
従前の「誤」を「正」として捉える
新たなコミュニティを生むことが出来るけれど、
結局は、
二人以上の人間が集まってできたコミュニティがある限り、
どこまでいっても、細かい差分の先に正誤の判断は現出する。
規制をかけることは、
コミュニティを分断し続けることで、
それって、限界があり、
不可能なものではないでしょうか。
✅書き留めたところ③ 幻想を共有する
私たちは、集団を形成して生き残ってきた生物です。
集団は「正」「誤」の判断を共有することで成り立つ。
だからこそ、私たちは、集団内で幻想を共有します。
この幻想は、「物語」や「ルール」という言葉で呼ばれますが、
この「物語」や「ルール」の中で、
コミュニケーションをとるからこそ、
お互いに分かった気になり、コミュニケーションが成立する。
しかしながら、ITC技術の進化が、
コミュニティを細分化し、
かえって生きづらい世の中にしてしまっている。
そんなことを感じました。
✅読後メモ SNSの存在
この本では、SNS、特にyoutubeの存在が鍵になっています。
ひとりひとりの指向が、
SNSで外に開かれた時、
そこに「正」「誤」の判断が生じてしまうこと。
特に、SNS上での「動画」や「画像」として開かれた時、
そこに誰かの欲望が投影されてしまうこと。
その投影された「欲望」は、
情報の発信者からはコントロールできないこと。
そして「欲望」を持つ主体者自体にも
その「欲望」がコントロール出来ないこと。
そこに規範を導入しようとすると、
生きづらさが発生すること。
倫理的なものは、
生得的なものであるように感じられるけれど、
それは、社会規範に基づくもので、
過去から人が作ったもの。
であるにも関わらず、
そこに慣性が発生することで、
人は、正しい、間違っているを
人に押し付けてしまう。
もしかしたら、
その状況は対話によって
変えていくことができるかもしれないけれど、
正、誤
を決めようとすると、
コミュニティを分断し続けるしかない。
SNSの発展は、
コミュニティの分断を可能にしたが、
これが、かえって、
大きな世界との分断を生んでしまう。
分断を続けても、
コミュニティ内での凝集性は高まるが、
外の世界からの疎外感からは逃れられない。
結局、人は、
大きな物語を許容せずには、
疎外感から逃れられない。
そんな雑記を書き留めておきます。