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2024年9月に読んだ


・フルトラッキング・プリンセサイザ/池谷和浩
・タタド/小池昌代
・肝心の子供/磯崎憲一郎
・眼と太陽/磯崎憲一郎
・指の骨/高橋弘希
・電車道/磯崎憲一郎

10月が終わろうとしていますこのタイミングで急に9月に読んだ本のことが気になってきました、振り返りどきと判断し1ヶ月ほど遡りまして9月読んだ本の話をします。

このラインナップをみて ああとうとうこいつもか などと我ながら思う、ええそうなんです、9月は6冊中3冊がその作家の著書でして、この出会いにより、氏の小説を含め今後一生小説を読んでいくことが確定したような気がしています。

終の住処で一度は度肝抜かされていたんだが、先月読んだ肝心の子供/眼と太陽(文庫)ではなんかこうもっと根本から持ってかれたというか、この小説を読んでからというもの、けっこうずっと小説のことを考えるようになってしまって(磯﨑憲一郎の小説に限らず)、とりあえず磯﨑さんの本は全部買った。

ただ9月は磯崎憲一郎以外も良かった、こういうようなことを毎月言ってるからいよいよ信憑性が問われてくるわけで、いいんです疑ってくれても、とでかい態度で、とにかくめっちゃ良かったんだよね、とでかい声で押し通す。

フルトラッキング・プリンセサイザ/池谷和浩

肝心の子供/磯崎憲一郎

文藝賞を受賞した磯崎さんのデビュー作。私の知り得る数少ない読了本の中ではひとつ違う次元にある小説だった。小説でできることの一つに、時間を軸にして表現できることがあるけどこの小説はまさにそれをやり続けていて、時の軌跡が人の心を代弁し続けていた。

私は風景描写の良さを理解できてない未熟者なんだが、この磯崎さんの小説では風景含めて「そのとき」の切り取り方に圧倒された、小説でしかできへんわの連なりでできている小説で、私はこういう小説が好きなんだと明確に思った。心情を文字に起こさないことで、かえって人生に立体性が帯びていた。

毎日小説を読むようになったのがちょうど去年の今頃なんだが、名作と言われてるような小説ってまだ全然読めていない。焦ったって仕方ないけど生きてられる時間が限られすぎているなあと思う、毎日取捨選択して本を読んでたらもうあっという間に何十年も経ってしまうのだろう、でもひとまず磯崎さんが好きな作家としてあげてるマルケスさん(ガルシアさん?)とかボルヘスさんなどを読んでみたいと思った。

29年生きてきたのにこんな面白い小説に今まで出会えてこなかったこととか、そういうものがまだまだこの世にたくさんあることとか、果てのなさを感じてこれからの人生どうしようかな、などというしょうもないことを思いました。

眼と太陽/磯崎憲一郎

眼と太陽、こんな途轍もないものを書いてくれてありがとうという気持ちで読み終えた。磯崎さんは面白い人なんだろう。というか、面白いと思うこととそうでないものの扱い方が平等?それゆえ、不条理ながらもフラットで奇を衒っていない面白さに繋がってる気がしたけどどうだろう。

全部面白いのに体力消耗することがないというか、筋張ってない、でもちゃんと自分の中にドリップして行く必要があるので読むのに時間はかかる。でもそのドリップする工程ではなんのストレスもなく、読む幸福だけをただひたすらに感じる。

印象的なシーンが数え切れないとかじゃなくもう全部そうなんだけど、誰かに強いて挙げろと迫られるようなことがあればベタだが、ほんの一瞬見えた黒い腋毛の剃り残しに気づいたシーンはやっぱり好きだった。

これ芥川賞候補だったのか、受賞しなかったのですね、小川洋子さんしか推してないのは個人的に意外だった。芥川賞って大相撲の番付発表と同じくらいの運なのかもしれない。良い成績残しても三役に上がれない関取、必死で勝ち越したのに給料がもらえる十両に昇進できない幕下力士。だけど彼らは揃ってまた明日から頑張るだけだと前を向く。その点小説も同じで、賞はご褒美、いい小説を書き続けるだけ、に尽きるのか、と思った。

指の骨/高橋弘希

これは戦争の小説。高橋さんは戦争を体験した年代の方ではない。私もそうだし、ましてやずっと自分のことで精一杯で、戦争のことなんて全然ちゃんと考えられていないマジで甘い人間なんだけど、高橋さんがなんで戦争の小説を描こうと思ったのだろうと素朴な疑問を抱いた。

本当に戦争を体験したことがあるような描写と心情がリアル、洗練されすぎてる。でもこれは小説だからフィクション。実際に戦争を体験してない私はここに書いてあることの何がリアルなのかなんて本当は分からないはずなんだけどリアルだという感想を抱いている不思議な事象が起こっている。

読んでない時間ほどこの小説のことを思い出す。しおり挟んで風呂とか入って一息つくと、直前に読んでた部分を鮮明に思い出す。こんなのを毎日やって5日くらいかけて読み終えた。なぜ高橋さんがこの小説を描こうと思ったのかはわからなかったけどそれを考えること自体が野暮なのがわかった。戦争を描いた小説描いていない小説とではなんの違いもなく、そこにメッセージ性などもない、これはただただ小説、それもとても良い小説だった。

電車道/磯崎憲一郎

小説と比較すると、映像とか漫画とかのほうがやっぱり馴染みやすい分かりやすいのだろうか。実際小説ってめっちゃ時間かかると思う。じゃあ小説の良さってなんだろうね、みたいなのを考えるようになった。でも全然まだ答えという答えが出ていない。
人が書いた文章を自分の脳内に落とし込む必要があるので、予想より遥かに時間がかかったり、最悪の場合は離脱する。だけどその過程こそに小説でしかできないことはあるんじゃないかと思う。読んでいると、自ら想像、思考することが免られない瞬間がある、それ故に感覚的に咀嚼することができて、単純に言葉だけで処理されるのにとどまらない結果、つまり「染みた」「刺された」「くらった」などなどにつながる。

自分という身体を通して想像することでの作用にははかれない威力があると思う。
読者は、著者の言葉を各々の身体を通して濾過し、解釈する。
著者の言葉自体も、もともと、著者の身体を通して濾過されたことばであって、著者にしか発することのできないことば。
濾過に濾過を重ねると、やっぱり誤読も当たり前だし、別にそれは悪にならない。そういう確実なことが何一つ無いのもまたいい気がする。

で、何の話かって、電車道が良かったという話だ。初めての磯崎さん長編だったが、脳から何かがずっと出てて、ああいいなあと何度も思った。


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