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東京大学2007年国語第1問 『読書について』浅沼圭司

 『読書について』というタイトルにもかかわらず、芸術哲学そのものをテーマとしている。
 きわめて整然とした論理性にもとづいており、近代の芸術と現代の芸術、個別の作品(具体)と全体の領域(抽象、普遍)、自律的な芸術と日常的な世界、歴史的研究と理論的探求など、対照的な概念によって文章が構成されている。
 そのため、一つひとつ丁寧に読みといていけば、的確に解答できると思われるが、東大の現代文においてしばしばあてはまるように、「なぜか」「なぜそのようにいえるのか」という設問では、理由となる要素が何なのか、特に細心の注意をはらって検証することが必要である。

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(一)「芸術のジャンルが、近代の美学あるいは芸術哲学のもっとも主要な問題のひとつであったのもむしろ当然だろう」(傍線部ア)とあるが、なぜそのようにいえるのか、説明せよ。
 傍線部アの直前の文には「近代的な芸術理解にとっては、このふたつの対立し矛盾する――個と全体という――項を媒介し、連続的な関係をもたらすものとして、さまざまなレヴェルの集合体(l'ensemble)を想定することが、不可欠の操作であった」と書かれている。
 また、「個別的ないとなみや作品と全体的な領域のあいだに、多様なレヴェルの集合体(ジャンル)を介在させ、しかもそれぞれのジャンルのあいだに、一定の法則的な関係を設定することによって、芸術は、ひとつのシステム(体系)としてとらえられることになるだろう」ともある。
 以上をまとめると、「近代の芸術は、個別の作品と全体の領域という対立項を媒介する様々なレベルの集合体であるジャンル相互の法則的関係によって体系づけられたから。」という解答例ができる。(68字)

(二)「かつては、芸術の本質的な特徴として、その領域の自律性と完結性があげられ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 
ここでいう「芸術」とはいうまでもなく、近代の芸術である。
 そしてまず、領域の自律性については、第1段落に「自律的な――固有の法則によって完全に統御された――領域」とある。
 次に、完結性については、領域が自己完結しているという意味だと考えられ、直後に「とくに日常的な世界との距離ないし差異が強調されることがおおかった」とあるため、「日常的な世界に依存せずに存在すること」と解釈できる。
 以上から、「近代の芸術は、その領域が固有の法則によって完全に統御され、日常的な世界に依存せずに存在することが本質とされていたということ。」(62字)という解答例ができる。

(三)「欠かすことのできない作業(操作)のはずである」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
 傍線分ウの主語は「分類は」なので、「理論的ないとなみが、個別的、具体的な現象に埋没せずに、ある普遍的な法則をもとめようとするかぎり」、分類が「欠かすことのできない作業(操作)」であるのはなぜかを答えることになる。
 つまり、芸術を統御する普遍的な法則を理論的に求めるために、分類という作業が欠かせないのはなぜか、という問いである。
 第3段落に「いまの芸術状況をみれば、かつてのような厳密なジャンル区分が意味を失っていることは、いちいち例をあげるまでもなくあきらかである」「『分類』は近代という時代を特徴づけるものだったかもしれない」とある一方で、「無数の作品が、おたがいにまったく無関係に並存しているのではなく、なんらかの集合をかたちづくりながら、いまなお共存している」とある。
 さらに、傍線部の前には「理論的ないとなみが、個別的、具体的な現象に埋没せずに、ある普遍的な法則をもとめようとするかぎり、『分類』は――むしろ、『区分』といったほうがいいかもしれないが」とある。
 したがって、今も作品は「無関係に併存している」のではなく、「普遍的な法則」にしたがって「なんらかの集合をかたちづくりながら、いまなお共存している」ということになる。
 したがって、現代の芸術を統御する普遍的な法則を明らかにするには、分類という作業が有効であると考えられる。
 以上から、「現代の芸術でも、個々の作品は何らかの集合を形成しながら共存しており、その集合に分類することで芸術の普遍的な法則が明らかになるから。」(65字)という解答例ができる。

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