東京大学2018年国語第4問 『緑の色鉛筆』串田孫一
筆者が伝えようとする主題が明確には示されておらず(少なくとも問題文中には)、読解の難しい文章である。全体を精読し、さりげなく言及された部分も必要に応じて活用し、筆者の意図をくみとっていく丁寧な作業が求められる。
(一)「お膳立てのでき過ぎた与え方は効果が薄れ、時には逆の効果の現われる虞れもある」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
傍線部アのなかの「お膳立てのでき過ぎた与え方」は比喩表現であるため、理由説明に先立って、その意味を把握し、解答に盛りこむ必要がある。
続く第7段落に「子供はある機会に、動物の生活の一部分に出会うことが必ずあると信じよう。その時には余計な口出しをしてはならない。たとい、いきなり残酷に見える行動に出ても、それも黙って見ている忍耐を養っておかなければならない」とあることから、「お膳立てのでき過ぎた与え方」とは、子供が動物に対し残酷に見える行動に出たとき親がそれに介入すること、という意味だということがわかる。
そして、第8段落には、「親の眼に残酷に映る子供の行動には必ず何か別の意味が含まれている。残酷な行為だと親に教えられるよりも、自分からそれを感得する方がどれほど値打ちがあるかをまず考えることである」とあるので、設問の求める理由は、子供の行動には別の意味があるにもかかわらず、それを親が単に残酷だと教えると、子供自身がそのことを感得する貴重な機会が失われるから、ということだということがわかる。
以上から、「動物に対する残酷に見える子供の行動には別の意味があるが、親が介入し残酷だと教えると、子供自身がそれを感得する貴重な機会が失われるから。」(67字)という解答例ができる。
(二)「人間性の匂い豊かな舞台で演じられた芝居のように書かれている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
傍線部イの前に「動物と子供との間には、特殊な対話がある。だが、それを題材にして大人が創った物語」とあり、これが傍線部の主語にあたると考えられる。
傍線部中の「人間性の匂い」にあたる文中のことばは「動物愛護の精神」である。そして、その反対の概念が、設問(一)にもあった、「動物に対する残酷に見える子供の行動」である。
以上のことから、「動物と子供の接触について大人が書いた物語は、大人から見た動物に対する子供の残酷な行動が描かれず、動物愛護の精神に基づく創作だということ。」(68字)という解答例ができる。
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