東京大学2009年国語第1問 『白』原研哉
2009年第1問の『白』は、私が以前書いていた東大現代文過去問ブログにおいてアクセス数がダントツだった問題である。
問題文そのものは読みやすいが、解答するのはそれほど簡単ではない。特に、設問(一)から設問(三)は、うまく書き分けないと、同じような内容の解答になってしまいかねない。筆者が話題と論理をどう展開しているかを精確に読み取る必要がある。
設問(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
傍線部ア中の「人間の心理」とは、(いずれかを決めかねる詩人の)「デリケートな感受性」と(微差に執着する詩人の)「神経質さ、器量の小ささ」に起因する「逡巡」や「決めかねて悩む」ことを指す。
どのような場合に、そのような心理を持つかといえば、言うまでもなく「定着」あるいは「完成」という状態を前にした場合であり、さらに言えば、第1段落中に言及されている「不可逆的な定着」が成立する場合であり、「未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはならない」場合である。
傍線部には「人間の心理」とあるが、人間一般ではなく、ここでは「詩人」あるいは少し一般化して芸術的表現を行う人のことと限定的に解釈すべきである。第2段落では詩人のエピソードについて述べられているし、どんな人でも表現の微差に思い悩むわけではないからだ。
なぜ、このような場合に表現の微差に執着するのかは、第2段落中にヒントがある。「選択する言葉のわずかな差異」によって「詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり得る」からである。
以上をまとめると、「未成熟さが許されない芸術的表現の最終選択にあたっては、わずかな差異が大きな変容を起こし得ることから、過剰なほど思い悩むということ。」(65字)という解答例ができあがる。
設問(二)「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
傍線部イの「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ち」とは、第2段落で説明された「推敲」せざるを得ない表現者の心理のことであることは明らかであり、したがって、設問(一)の「人間の心理」と同義である。
問題は、その心理の背景にある「白という感受性」とは何かである。傍線部の直前を読むと、それは「不可逆性」に関する感受性のことであるがわかる。「白」という言葉が現れる理由は、「白い紙の上にペンや筆で書く」ことや「(白い紙の上に)活字として書籍の上に定着させる」ことが不可逆な行為だからである。そして、「不可逆」は文中の別の言葉で言えば、「後戻りが出来ない」ことであり、「訂正不能」である。また「感受性」は、第2段落に「デリケートな感受性」「神経質さ、器量の小ささ」とあることから、取り返しがつかないことに対する恐れと言い換えることができる。
では、どのような場合に、「不可逆」であることは都合が悪いのだろうか。それは言うまでもなく、「未成熟なもの、吟味の足らないもの」が定着する場合である。もはや修正の必要がないほど十分に吟味された言葉であれば、定着し不可逆となっても不都合はないからだ。
以上から、「表現の微差を巡って思い悩む心情は、吟味が不十分で未成熟な言葉を白い紙に記すと取り返しがつかなくなることへの恐れから生じるということ。」(66字)という解答例を導くことができる。
設問(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
傍線部ウは、「推進力(のようなもの)」が、「推敲という意識をいざなう」とともに、「紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」と読み替えることができる。
まず、「推進力」に当たるものは、「取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念」と「白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けること」であり、次に、「推敲という意識」とは設問(二)で答えたように「表現の微差を巡って思い悩む心情」である。
問題は「紙を中心としたひとつの文化」である。「紙」とは当然「白い紙」のことだから、「文化」とは、設問(二)で答えた「白という感受性」によって育まれてきた文化と考えることができる。そして、この「文化」が最初に言及されたのが、第1段落の「紙と印刷の文化」であった。しかも、この文化に関係する美意識は、「文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している」とされていることに注目すべきである。
さらには、「ひとつの文化」とあるが、これは個別の文化のことと狭く捉えるのではなく、文化の基盤となる価値観のことであると広く解釈すべきである。なぜならば、問題文全体が特定の文化のことを述べるのではなく、文化のあり方と関係する「美意識」「暗黙の了解」「新たな知の基準」「諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎」などについて述べるものだからである。
以上をまとめると、「取り消せない失敗の累積への悔恨が、表現の微差を巡って思い悩む意識を形成し、完成度の高さを追求する文化的価値観の根源となったということ。」(67字)が解答例となる。
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