ワークショップでギャルピース決めてきた話。または、ギャルマインドとマネジメント。
気がつけば約1年ぶりのnote。
すっかり読む専だなぁ。
さて、先週末は3年ぶり?にリアルで開催されたPMI日本支部のリーダーシップミーティング(通称LM)に参加した。
こちらは、プロジェクトマネジメントの普及団体であるPMIの日本で唯一のコミュニティで(かつ私の昔の勤務先でも)あるPMI日本支部の会員活動の活性化を目的に2015年より毎年この時期に開催されてきた。
私自身もLMには初回から確か2020年のコロナ禍の初回までスタッフとして参加してきたが、この数年は一参加者として楽しませていただいている。
全国から仲間が集まるし、時にはオフレコも含む最新情報は聞けるし、PDUもらえるし、リアルだと食事も美味いしおやつも出る(というか私は配る側だった)し、もう毎年これだけで少なくとも支部年会費(50ドル)の元は取れちゃう無料イベント(懇親会は有料)である。
円安で会費が高く感じる今年も満足度は極めて高かった。
今年は2日間の開催で、初日はPMI-AP(アジア・パシフィック)と若手現役PMによる基調講演から始まり、午後からワークショップが始まった。
我々A班に与えられたテーマ…というか検討の視点は「政治、LGBTQ、インクルージョンなど」の社会的な課題からのアプローチだった。
そこから、1日目の最後に「誰ひとり取り残さない」をビジョンに据えた。
2日目は、そのビジョンとアクションの提言を整理した。ただ、我々は、誰一人の「誰」とは誰なのか?で議論が錯綜し、提言の練り込みは正直甘かったと思う。
最後は、各班の成果を共有する。
今年は解説も含み5分と短めのスキットだったが、皆さん名演技が過ぎて爆笑しっぱなしだった。
我々はA班のため出順が一番手。
お笑い好きとしては、つい「M-1だと不利なんだよな」とか下らないことも考えてしまった。実際に成績は振るわなかったが、それは周囲のレベルが高過ぎたからに過ぎない。
その中で私が演じたのは、内向きの事務局長と、迷える「おじさん」の前に突然現れたギャルの二役だった。
後者はアドリブというかスタンドプレーだったし、そもそも私は四十路も半ばの紛うことなき「おばさん」だ。
それでも私は、どうしても今回のテーマで是非このギャルを登場させたかった。
限られた時間の中のためセリフは最低限に留めたが、ギャルピースだけは何とか決めた。指ハートは70名を超える会場では伝わらなさそうなので諦めた。
実は、あのギャルには実在のモデルがいる。
仮名を、あゆさん、とでもしておこう。
あゆさんは、私が10年以上前に支援していた高校の生徒だ。
この支援先については以前こちらにも書いた。
あゆさんは、典型的な「ギャル」である。
見た目も当時流行っていた大きな花を何個も飾った明るい茶髪と褐色の肌に原色のネイル。
なお、当該校は服装自由なので、その点はご安心いただきたい。
というか、あゆさん自身から「好きなカッコできてバイト先も近い」が選んだ理由と聞いた記憶がある。
進路多様校の常として、このように偏差値以外の理由で入学してきた生徒は比較的モチベーションや学力も高く、何か一芸に突き抜けていることも多い。
あゆさんと初めて話したのは、私が支援に入って2〜3年目の春先だったと思う。
その時期の2年生は、いわばパーソナルプロジェクト、何か個人的な目標を立て、4月から夏頃…文化祭プロジェクトが始まるまでの数ヶ月で取り組む時期であった。
大半の生徒が勉強や進学、あるいは課題研究(高大連携も含むゼミのような科目があった)などに関するプロジェクトを掲げる中を巡回していると、ふと可愛らしいプロジェクト名が目に止まった。
その名も「友達100人プロジェクト」。
プロジェクト憲章のプロジェクト名の欄には、花丸やらハートマークやら数々のカラフルな装飾も踊っていたように記憶している。
「素敵ね!」
そう声をかけてから、コミュ障の私は恐る恐る彼女に訊いてみた。
「だけど『友達』って、どうやって分かるの?」
すると、至極シンプルな答えが明るく返ってきた。
「今回はねー、廊下であだ名で挨拶できるようになったら!」
何とSMARTな定義だろう!
意味が分からない方は是非こちらを読んでほしい。
当該校は1学年は約240名、1学級は約30名である。
つまり、100人ともなれば、クラスを超えて友人関係を結ぶプロジェクトとなる。
あゆさんはバイトが忙しく(詳細は後述するが、むしろバイトがライフワーク)部活には入っていない。
それでも持ち前の明るさ…いわばギャルマインドで「基本ガンガン話しかけ」でも「そーゆーの苦手そな子にはコソコソ話して」友達になるそうだ。
なお、ギャルマインドについては、こちらの定義が私の実感にも近い。
目標も手法も素晴らしい。
そうなると、次の興味は進捗管理である。
「今、何人くらいか分かる?」
「わかるよー、ほらーっ!」
そう彼女が勢い良く見せてくれたのは、薄くて大きめの手帳だった。ギャルは私の時代から手帳が好きである。
一見では極彩色に目がチカチカするばかりの月間カレンダーだが、よく見ると所々に「まゆっち」「ケンケン」などと書かれた星型かハート型だったシールが貼ってあり、右端(土曜か日曜)の同じシールには「13/41」と言った数字が書いてある。
もうお分かりだろうか?
つまり、あだ名が友だちになった日、そして週ごとに今週の成果と累積を記録していたのだ。
完璧である。ここまで正確な進捗を自発的に記録できるプロジェクト・マネジャーがどれだけいようか!
感激した私が一頻り褒めちぎると、あゆさんは「だって数えとかないと分かんなくなっちゃうじゃーん」とケラケラ笑った。
思わず私が「テーラーか!」と突っ込んだら「何それ?」と返ってきたので(そらそうや)、ごく簡単に科学的管理法の話をした。
すると、さらなる衝撃的な反応が返ってきた。
「マジでー!テーラー、あゆと一緒じゃん!!」
そうなのである。
彼女に言わせれば、テーラーがあゆと一緒なのだ。
あゆがテーラーと一緒、ではない。
この違いが伝わるだろうか?
それから事ある毎に彼女は「やばーい、プロマネ好きー!超楽しー!」と言ってくれた。
ある日、バイト先のアパレルの“ショップ”の“セール”(どちらもギャルは発音がフラット)のWBS書いたんだー、と見せてくれたこともあった。
「あゆ、バイトリーダーなんだよ。すごいっしょ!」と誇らしげに。
アパレルのこともセール(発音はフラット)のこともサッパリ分からない私でも、あゆさんがバイトリーダーなのは何となく分かる。
あゆさんには、つい「大学とかどうするの?」と訊いてしまったことがある。
少なくとも当時は、私が支援するくらい独自色の強いカリキュラムの効果か、高校入試の偏差値からプラス20以上の大学に進む生徒は毎年数人いた。
その中で、これだけ地頭の良い彼女なら、きっと進学それも結構な有名大に進むだろうと決めてかかっていた。
すると「行かないよー、大学なんて」と、またもケラケラ笑われてしまった。
「あゆ、卒業したら社員になるんだぁ。すごいっしょ!」と、またも誇らしげに。
思うに、我々が育成すべきなのは、こういう人材ではないだろうか?
また、プロジェクトマネジメントの普及というミッションに照らしても、こういう人材にこそプロジェクトマネジメントを届けるべきではないか?
今年のワークショップは、不満の共有を起点としたこともあり、困っている人に沿うアプローチが中心となった。
そうした課題解決(ここではマイナスからゼロ)は、確かに組織の未来のあり方を考えるうえで大切ではある。
ただ、それらはプロジェクトマネジメント以外の技術領域(例えばカウンセリング)でも進められる。
本来プロジェクトマネジメントの価値は、価値創出(ここではゼロからプラス)にあるのではないか。
ならば、取るべきアプローチは、あゆさんのように、決して困ってはいないけど頑張っている人を応援することではないかと思う。
少なくとも私は、そう信じている。
話はそれるが、常々「プロジェクトマネジメント“だけ”で飯が食えない」と嘆く私の抱える問題は「とがえりんちゃん永遠の『若手』または『ひな壇芸人』問題」とでも稿を改めるとして、そのことを初日の夜の懇親会で、とある大先輩から気遣っていただいた。
この方は数々の要職を国内外で歴任され、今も特にPMOに関しては世界でも屈指のトップランナーである。
その方からのアドバイスは「やっぱりATP取ったら?」であった。
ATP (Authorized Training Partner)とは、ごく簡単に言えばPMPやCAPMなどPMIの各種資格試験の受験対策講座の講師と業者をPMI本部が認定する制度である。
ここでATP制度の是非を議論するつもりはない。
様々な伝聞から確かに改善の余地はありそうだが資格提供者としてのPMI本部の意図は理解できるし、私が未取得の理由は英語力不足と個人事業者として特定企業との契約が億劫…つまりは怠惰が理由である。
しかし、それらの事情をすべて飲みこんでもなお、その発言に私は失望を禁じ得なかった。
念のため補足するが、私はその大先輩に失望したのではない。むしろ私には想像もつかない程のご活躍から察するお忙しさの中でも、私のような半端者を片隅にでも気にかけていただけている証左であり、その後進に対する優しさには尊敬と感謝を深めるばかりである。
それでも、その世界的な第一人者さえも、資格試験の講師かマネジャーとして現場に立つか、その2択しか見えない現実に打ちのめされたのだ。
上手く言えないが、あまりにも創造性に欠ける選択肢しかプロジェクトマネジメントの世界には残されていないように感じてしまったのだ。
こんなとき、あゆさんなら、どう考えるだろう?
平成初期、私もポケベル・たまごっち・ルーズソックスの量産型女子校生(コギャルなどとも呼ばれた)として、だいたい毎日センター街か歌舞伎町のどちらかにいた。
世代的には、ギャル文化の牽引役だった安室奈美恵さんは2歳上で浜崎あゆみさんも1歳上、ほぼ筆者と同世代になる。
さらに都内中受組だったこともあり、繁華街デビューは一般的な同世代より数年早かった(詳細は特に秘す!笑)
そのうちギャル文化と通信技術の変遷についても整理したいが誰かが既にしてそうな気もするし、それにそれは今の本題ではなく私の専門でもない。私が体験しているのはベルとプリクラ(というかプリ帳だね)文化くらいだ。
ともかく、あの頃、街に行けば誰かいた。
閑話休題。
あゆさんは約10年前に高校生だったので、今はアラサーに差し掛かっている。
きっと元気な店員さんか「20代のうちに子供が欲しいけど、その前には本社勤務になっておきたい」とも言っていたので偉い人になってるかもしれないし、他の生き方も彼女ならきっと素敵だろう。
そんなあゆさんに、私はプロジェクトマネジメントの世界に戻ってきて欲しいのである。
そして、我々がプロジェクトマネジメントのコミュニティを自負するならば、プロジェクトマネジメントの世界において、あの頃のセンター街にいくつかあった(安全な)溜り場の役割を果たしていくべきではないか。
もちろん当時も今も繁華街には危険な溜り場が付き物だが、それは現実社会も同じだ。
だからこそ、その中で我々は、誰もが行けて行けば誰かがいる安全な溜り場であるべきではないか。
それが、あの2日目の最後のスキットのギャルピースに込めた提言である。
一瞬のギャルピースに随分と冗長な解説をつけてしまったが、特に先週末ご一緒いただいた皆さま、ご理解いただければ幸甚である。