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「遠野物語」のカッパ(3)足跡【河童文献調査考察】

はじめに

私、戸高石瀬のライフワークは、全国各地の河童伝承を収集することである。既に数多の民俗学研究者によりしゃぶりつくされた「河童」という怪異。現代においては一般化されたイメージが定着した上で、忘れ去られようとしている。
これまでのローカルな活動(ZINE等)では、文字数の関係で原文を引用掲載できなかった。しかし本音では、原文を正確に蓄積し、いつでも参照できるようにしたかったのだ。
超ローカルな文献をあさっていると、河童伝承がメインでなはないもののほうが多い(〇〇地区の昔ばなし、など)。これら膨大な量の書籍を個人所有するには限界がある。そこでNOTE活用を思いついた。
このシリーズ【河童文献調査考察】では、原文から引用し、客観的考察と個人的感想、内容に応じて話題を広げていく。
* * *
まずは第一弾として、王道中の王道、遠野物語青空文庫に公開されているが、個人的には出版書籍を読んでいただきたい。縦書き・明朝体・組版された紙面。淡々と記載される怪異と生活の混沌。戦慄。京極夏彦による現代語版の書籍や絵本も面白い。

「遠野物語」とは

明治43年(1910年)に発表された、岩手県遠野地方に伝わる様々な逸話、伝承を記した説話集。民話蒐集家兼小説家の佐々木喜善きぜんが語った内容を、柳田国男が筆記・編纂した。日本の民俗学の先駆けと称される。佐々木喜善は「日本のグリム」と呼ばれ、民話収集オタク学者を語る上で欠かせない存在である。

カッパのあしあとの話

川の岸のすなの上には川童の足跡あしあとというものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指おやゆびは離れて人間の手のあとに似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという。

柳田国男 「五七」『遠野物語・山の人生』岩波書店 1976年

客観的考察

今回の河童定義ポイント~何にも該当しない足跡~

河童伝承において興味深いのは、地元民が何をもって「それ」を河童と判断したのか、という点である。河童伝承それぞれで定義が違う。また、河童自身が「おれはカッパだ」と名乗る話はきわめて少ない。

今回の伝承においては、カッパの足跡に関する報告である。

  1. 川岸の砂に足跡が見られる。

  2. 雨の日の翌日が多い。

  3. 猿や人と同じで親指が離れており、長さ3寸足らず。

  4. 指先の形状は不明確である。

1.川岸というロケーションが河童を連想させた可能性は高い。
しかし川には、あらゆる生物、あらゆる怪異が潜むためロケーションだけで判断するのは早計である。

2.オオサンショウウオのような出現条件だが、岩手県遠野には生息していないはずである。

3.~4. 当時の遠野の人々は、地元野生動物の足跡の知識があるはずで、猿なら猿、鳥なら鳥だと言うはず。
彼らに判別できない外来種……特徴からアライグマの足跡が近いと考えたが、国内でアライグマが野生化したのは1962年以降だと言われている。
遠野物語が発表されたのは明治43年(1910年)。さすがに時代が合わない。

アライグマの足跡

ちなみに3寸=約9センチメートル。1歳前後の人間の手のサイズに相当する。人間の赤子が雨上がりの砂地を独り徘徊し、手形だけを残すことは不可能である。
また、タヌキ、ハクビシン、アナグマ、水鳥などの足跡も調べてみたが、今回の特徴には当てはまらなかった。

個人的感想

二足歩行のオオサンショウウオよりは河童のほうがいい

雨上がりの川岸に、オオサンショウウオが流れ着く報告は京都、大阪、広島など岐阜県以西の本州、四国、九州の一部にある。
オオサンショウウオの前足は4本指で、後足が5本指である。
仮にレアケースとして遠野に生息していたとしても、9センチほどの足跡をくっきりと残すには、巨大なオオサンショウウオが二足歩行で徘徊する必要がある。

想像してみたところ気持ち悪いし、異様に怖い。単純比率で考えると体長は1.5メートル以上になる。山椒の名の通り独特の臭気があるだろう。小さな瞳は全く意思疎通できそうにない。二足歩行で近づいてきたら恐怖で漏らしてしまう。
対してカッパのほうが話が通じそうだ。撃退法もよく知られている。皿の水をこぼすとか、交渉するとか諸々ノウハウがあるのだ。

妄想を膨らませたが、個人的な感想として、我々は案外カッパという存在に頼っており、カッパと思えば安心していられるふしがあるのだ。
名もなき怪異、名もなき亡霊のほうがよっぽど恐ろしい。



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