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タイムマシンの鉄板に愛をのせて

「私ステーキ!ステーキ宮!」
「じゃあ、お父さんに相談しとく」
「やったー!!」

40年近く前の記憶。

あの頃のステーキ宮は、今みたいなファミレスの様相よりは、もうひとランク上の格式めいたものがあった、と思う。

店に着くと、まず「どうぞ」と椅子を引いてもらえる。
小さな私は、いつものレディであるかのように澄ました顔でストンと座る。
そして料理は、コースで順番に給仕される。


まず、前菜。ええと、これ、全部食べなきゃダメ?
次にスープ。お皿は手前から持ち上げて、手前から掬うのよ。
パンは、四角いバターとジャム、家のマーガリンより美味しいね!
いよいよメインのステーキは、紙ナプキンを広げ自分をガード。
すると、店員さんが、おごぞかにステーキにソースを回しかけてくれる。
ジュワァ〜!!と音を立てて鉄板の上で弾けるソースに「ひゃー熱いー!」と騒ぎながら、音が落ち着くのを待つ。
もういい?大丈夫よね?
いただきまーす!


この一連の流れが、幼少の私をお姫様に仕立て上げてくれた。

私は今、お城に住むお姫様。
お父様とお母様、それに弟のヨシュレイ(仮名)
3人で食卓を囲む時間が好き。
ふふふ、お母様ったらまた明日の舞踏会の話をしているわ(子供会役員)
お父様は普段お仕事でお忙しいから、ヨシュレイが今日はたくさん甘えてる。あ!またジュースこぼして!もう!

なんて妄想もしたりしなかったり。誰よ、ヨシュレイ。

ステーキ宮は、例えばスイミングで合格するとか、例えば誕生日とか。
何食べたい?と聞かれたら、必ず答える店だった。

私たち姉弟が、そろそろお子様ランチじゃないものを頼みたがるようになると、若干渋ってはいたが、それでも
「よっしゃ!じゃあ、久しぶりに行こうか!」
そう言って、奮発してくれた。

ある日、いつものように、ちょっぴりおめかしして久しぶりのステーキ宮に行ったら、なんだか様子が変わっていた。


メニューに寿司がある…
他にも、ポテトフライやら、ピザなど、メニューがやたらと渋滞。
私が大好きだったステーキたちは、一応メインの場所を陣取っているものの、コースのサラダもスープも、ご飯セット、パンセットとして、簡単な食器に盛られた写真になっていた。

スープがカップに入っているだなんて…!!

ステーキにかけるソースも、目の前でかけてくれるのではなく、すでにかけられていた気がする。

私はショックだった。
気分はさながらマリーアントワネットだ。
「オスカル!オスカルを呼んで頂戴!どういうことなの!?」
「アントワネット様、ステーキ宮は経営が苦しく、方向転換をされたようです、ご理解ください」

「ステーキ宮がダメなら、他のステーキ店に行けばいいじゃない」
そんな思考回路は持ち合わせていなかった。

なぜだろう、私にはもう、あの夢のようなステーキは食べられないものと絶望した。


「何食べたい?」と聞かれたときに即答できる店を失って、私はお寿司だとか、スパゲッティだとか答えたけれど、以後、あれほど心躍ることは無くなっていた。
結局、その当時のステーキ宮は、しばらくして閉店になった。



30と数年後。

実家帰省をした日に母が言った。
「久しぶりに外で食べようか。
 何食べたい?」
懐かしのフレーズだ。
私は少し考えてから言った。
「ステーキ宮行きたい!」

ステーキ宮は、全く違う場所で、全く違う外装で新しく出来ていた。
私が愛していた頃とはやっぱり違っていたけれど、
メニューはステーキ、ハンバーグがメインに戻り、サラダバーとドリンクバーが出来ていた。
ソースは「こちらでお掛けしてもいいですか?」と聞かれ、ワゴンの上でかけられる。

致し方ない。これが時代の流れなのだと思う。
値段に見合ったサービスを提供するのならば、効率化も重要だ。

私は、ワゴンの上で掛けられるソースの音を聞きながら子供の頃を思い出す。
ちょうど、今の娘と同じ年頃だ。

「お母さんが子供の頃、ご馳走って言ったらここの店でね、特別な日っていったらここに連れてきてもらったんだよ。正確には、ここじゃないけどね」

娘に話すと「それ何回も聞いたよ」と言いながら、丸々一人前のステーキを頬張っている。
まっ!生意気な!お子様ランチじゃないくせに!

両親は、体も胃もすっかり小さくなって、ステーキを半分食べたところで「お腹いっぱい!」と言った。
「あの頃は、ペロリだったけど、もうそんなに食べられないなぁ」

そうだ。
同じものを、同じ店の提供で食べていても、あの頃に戻るわけではない。
だけど、束の間、私はあの頃に戻っていた。
父がいて、母がいて、今ここにヨシュレイはいないけど、娘が座ってる。

「でもここにくると、やっぱり思い出すねぇー」私がそう言うと、
「そうだねぇ、あの頃までが1番、子育てが楽しい時だったかもしれないよ、大きくなると、親の心配をよそに、好き勝手やり出すからねぇ。言っても聞かないし」
母はそう言って、私の娘の顔を見て笑った。
「お母さん大好き!ってこのぐらいの歳までよく言ってくれたもんよ」

ああやっぱり?
大好き、大好き!浴びせるように言ってくれる娘。
それから、お手紙にも、だいすきの文字が躍る。
そうだよね、もうすぐ、こんなに言ってくれなくなるね。

「でも、ずっと好きでいてくれるよね?」
娘に聞くと、彼女は「うん!大好きだから、ドリンクバーおかわりしてきてもいい?」と目を輝かせた。

あらま、うまいこと育ったこと。

両親と私は、笑いながら、嬉々としてドリンクバーへ向かう娘を見る。

あ。
私、気づいちゃったわ。

あの頃のご馳走と言ったら、ステーキ宮だったけど。
親にとってのご馳走って、ステーキじゃなくて、あの顔だったのね。

そんな照れ臭いことはもちろん言わないけど。
「今も大好きよ」
もちろん、そんなこともここじゃ言わないけどね。

私たちは、久しぶりにのステーキ宮をタイムマシーンにして、お腹一杯の満たされた気持ちで帰ったのだった。




さて。実家帰省話も、(多分)これにて終了。
ゴリゴリの日常が始まって、心も体もついていかないまま1週間です。
やばい!もう9月!?
今年終わる…と焦る今日この頃。

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