日常と蜜蜂と遠雷と私
舞台袖で、白髪をひとつに結え、ループタイをしたお洒落なおじさんが、私の顔をみて頷く。
「楽しんで!」
それがなんだか、恩田陸著『蜜蜂と遠雷』に出てくるステージマネージャーを連想してしまうものだから、私はすっかりその気になって、天才ピアニスト、風間塵のつもりでステージに出て行く。
大阪に引っ越してすぐ、娘のピアノ教室を探すことになった。
家から近い教室の体験に行くことにした。送り迎えは楽な方がいい。
体験レッスン中、待合室で娘がピアノを終えるのをボーッと待っているとチラシが目に入ってきた。
『大人の音楽教室〜ウクレレレッスン〜』
それまでフラを習っていたので、ウクレレをほんの少し齧っていた私は、すぐに食いついた。
フラダンスを辞めてしまった今、日常に何も練習することがないのを、ほんの少しホッとしている反面、やっぱり何か欲しいと思う自分もいたところだった。
ウクレレ…いいじゃない!
その場で申し込んだ。「私ウクレレ持ってるんで!」
「あ…?えと、娘さんのピアノ体験でしたよね…?」
そうだった!
かくして、娘はピアノ、私はウクレレ、2人分の書類を書いて、音楽を愛する親子だねぇなどと、将来のアンサンブルを夢見ながら帰宅した。
ウクレレは、マンツーマンレッスンで先生が、とっても優しい。
とんでもなく優しい。
弦をシャランと鳴らすだけで褒めてくれる。
「そう!ええ音してる、音感あるなぁ、フラダンスやってたからかなぁ?」
指が全然動かなくても
「やってるうちにすぐ出来るようになるよ、集中力あるもん!」
褒めて褒めて褒めて伸ばすタイプ。
ちなみに、フラダンスの方は割とスパルタだった。
「とき子!ちょっと前に出て!自分の骨と筋肉の動き、考えてる?」
それはもう痺れる毎日だった。
練習してない日は瞬時にバレる。
フリが頭に入ってなくてカンニングしながら踊ると、そのコンマ数秒のズレを指摘される。
練習した日、余裕があるなと油断してもバレる。
「何を考えて踊ってる?曲を感じた?なんとなく踊れてればいいの?」
それがたまらなかった、気質がドMだ。
下手は下手なりに食いついて行く自分も好きだった。ひりつく青春の再来のようで、とても楽しかった。
一方、ウクレレの先生はレッスンにさえ行けば褒めてくれる。
褒められたら褒められたですぐその気になってしまう私は、自分はそこそこ音が拾えると思うようになった。
怒られることがないものだから、油断に油断を重ね、レッスンの前日、ちょこっと練習する日々を半年ほど続けた。
もはや、日常にウクレレは存在しない。
4月から始めて半年後のウクレレ発表会の日も、フワフワとした気持ちで会場に入る。
「初めての発表会」そういう言い訳もあった。
下手でも一生懸命やっていたら褒められるのだ。
初めての発表会は、特別な失敗もしなかったが、高揚感もなく終えた。
「あれ、私、ウクレレ向いてないのかも?」
そもそも、向く、向かない以前の問題である。
見てもないくせに向いてないとは、ちゃんちゃらおかしい発言だ。
発表会を終えて先生は相変わらず褒めてくれたけど、そういえばレッスン中に指摘されたところを直せずにステージに立ったと気づいたその時、なんだか無性に恥ずかしくなった。
日常にウクレレを入れよう。
ウクレレを毎日触って、それから向いてるかどうか考えよう。
さて。
1000時間の法則というのをご存知だろうか。
何事においても、約1000時間練習を重ねると、ある程度の腕前になるらしい。
早速計算してみたのだが、これが結構途方もなかった。
1日1時間で2年半。
…ちょいと待て、1日1時間ってハードル高すぎやろがい。
自慢じゃねぇが、撮り溜めたドラマ1時間の消化も厳しいのだ。なぜなら時間の使い方が下手だから。
そもそもそんな集中力あったら、とっくに私は何者かになれてる。
続く予感が一ミリもない。
梅田の母とか呼ばれそうなぐらいガッツリ未来が見える。
「私やっぱりウクレレ向いてねぇわ」
そこでビジョンを変更。
どこを目指すかは重要である。
私はウクレレをかき鳴らすファンキーなおばあちゃんになりたい。
おばあちゃんと呼ばれるぐらいまでにある程度になれば合格としよう。
憧れは高木ブーさん。
ドリフターズというレジェンドの1人でありながら、常に脱力癒し系、寝てるか楽しそうにウクレレを弾いてるイメージの高木ブーさん、あんな風に人から見られたい。
(ちなみに、ウクレレ界では彼は巨匠なので、超失礼発言お許しください)
年間で100時間、10年で1000時間を目指すことにした。
可視化が大事なので、手帳に練習時間を目視出来るようにする。
その際の注意点
・年間で100時間達成は必ず守ること
・練習が出来ない日は受け入れて、己を責めないこと
ハードルを下げに下げた結果、今年の目標100時間を10月に達成!
このぐらいのペースで達成なら、60歳前に1,000時間は夢ではないのかもしれない。
ちんまりと練習しているだけなので、上手くなったと実感できることはあまりないのだけど、この設定をしてから、明らかに日常が変化し始めた。
先生は、相変わらずとても褒めてくれるが、前よりももっと細かい音の指導をしてくれるようになった。
そして、本来の年間2回の発表会のほかに、別の発表会やうちわのコンサートにも出演してみないかと声をかけてもらえるようになる。
「ステージに立てば立つほど、楽しめるようになんねん」
下手くそだからと尻込みする私の背中を、先生は笑いながら押す。
「失敗してもいいねん、楽しそうな演奏やなぁって思ってもらえたら大成功や」
初めて弾き語りのステージに立つ前のリハーサル時、ステージマネージャーらしきおしゃれなおじさまが、私のマイクのセッティングに来た。
偶然にも私は『蜜蜂と遠雷』を読み終えたばかりだったので、おじさまにそれはそれは興奮した。
人生で初めて、歌うために、私のためにマイクがセッティングされている。
緊張しきっている私は、そのマイクに向かって「おおお…」と小声で悲鳴をあげ、その音の反響に驚いてマイクから体を引いた。
するとおじさんは私に向かって言った。
「歌ってる時は絶対にマイクから顔を背けたらアカンよ、絶対に」
その目がとても真剣だった。
下手とか上手いとか、ここに立ったらそんなんどうでもいいんよ。
ただ、背かずにまっすぐ歌うことだけが正しいことなんよ。
そして本番、舞台袖に立つ私におじさんは頷いた。
「楽しんで!」
私は、もちろん風間塵でも栄伝亜夜でもない、ただの一般人であるのだけれど、
「まるで今から草原にでも行くような足取りでステージに向かう」ことにした。
(※図書館に本を返してしまったので、文章うろ覚えなんだが、『蜜蜂と遠雷』の天才2人はコンクール決勝であっても緊張を感じさせず、ステージに出向く表記がありまする)
先日、3度目の弾き語りステージに立ってきた。
同じおじさんが私の隣に立った。
私のことを覚えてくれているかは定かではないけれど、マイクのセッティングをしながら
「今日のこの会場で一番いい笑顔をしてるね」と言ってくれた。
「緊張してもステージに背くことはできないので!」と笑って答えると、おじさんはニヤッと笑って、親指を立ててた。
チミチミと練習を重ねて、劇的に上手になるわけでもなければ、歌なんてカラオケが好きなだけというレベルである。
だけど。
日常にほんの少し変化をもたらすというのは、案外、1日数10分程度のことなのだと、私はとても実感している。
来月もステージにも立つ。
まず10分タイマーをセットすると、大抵、そこから20分か30分あっという間に時間が過ぎていく。
日常に、蜜蜂の羽音と遠雷がそっと聞こえる、そんな気がして、今とても楽しい。