今年に入ってから、意気込んで本ばかり読んでいる。
ジャンルがかなり偏っているので、おすすめ本などとポップに紹介などできなさそうなやつばかりだけど。私自身にとっての整理もかねて、書き連ねてみようと思う。冒頭からウッとなった方はここでページを閉じてください。
『平等と効率の福祉革命』などは、文章は読み進められても理解に及ぶには時間がかかり、なかなかにページが進まず久しぶりに体力を要する読書だった。
最近は時代の変化が凄まじく、特にジェンダーにまつわる書物は2015年くらいのものであっても多少古く感じてしまうことがあった。だけど、この本はこれからの社会を反映しているというか、私個人としてここ数年感じていたことが書き記されているような気がした。しばらくしたら再読したい一冊。だけどこの分野に関心が強くない人にはおすすめはできない……(笑)。
(以下、編集部のメッセージが、この本がいかなる本かを適切に伝えているので、興味があればご一読ください)
読みやすさでいえば、以下2冊はかなりおすすめ。
2については、フェミニズムが「暮らしレベル」に落とし込まれていて、「そういうことだったのね」とめちゃくちゃ理解が進むので、親や社会との関係に悩んできた女性や男性にぜひ読んでほしい。私は自分の母親に勝手に送りつけたくらいなので……(笑)。なんというか、母の子育て期の苦しみが「あなたのせいだけじゃなかった」と理解してほしかったというか、それを叶える一冊だと思ったから。すると、彼女からは後日こんなメッセージが届いた。
母は私が生まれて間もない頃からずっとフルタイム正社員として働いていたので、ことあるごとに専業主婦になるのが夢だと口にしていた。しかしそれは彼女のないものねだりだったように思う。小学生の頃、母の仕事場を訪れたとき、イキイキと仕事をする母の姿は今でも忘れられない。もちろん大変なことは山ほどあったと思うけれど、自分を保つには必要な場所だったんだと今なら理解ができる。
とはいえ、家庭内では従うばかりの弱い母が「女の象徴」のような気がして、私は幼少期から自分の中のミソジニー(女性嫌悪)とウィークネス・フォビア(弱さ嫌悪)を増幅させてしまった。40代になってようやく過去の私自身に説明がつくようになったのは、生きづらさを軽減してくれている。そして本書の中の上野先生のこの言葉には勇気をもらった。
上野先生はミソジニーを「男にとっては『女性軽視』、女にとっては『自己嫌悪』」と定義している。そして「フェミニズムは女にとって、自分との和解するための闘い」だと言う。この一言がずしーんと胸に響いて、私がなぜこれほどジェンダーの問題に執着しつづけるのか、答えが出たような気がした。
若い頃は、自分の強さを試すかのようにボーダーラインを超えようとしたり、わざと自分を傷つけるような状況に身を置いたり。本当にめんどくさい人間だった。それでも私は自分が被害者だとは思いたくなかったし、何かの答えを見つけるために私自身を痛めつけていることに薄々気づいていた。人が離れていこうが、安全地帯では私の成長はない、見つけたい人生の答えなど見つけられないと思っていた。
とはいえ、「自分が被害者ではない」という思い込みは男性社会の片棒をかつぐようなものだと、若い頃の私はまったく理解できておらず、なんと愚かだったのだろうと今さらながら反省が止まらない。
そんな「自分が被害者ではない」という思い込みとともに「エンコー(援交)世代」という同じ時代を生きていた作家の鈴木涼美さんと上野先生との往復書簡『往復書簡 限界から始まる』も圧巻だった。
研ぎ澄まされ感性と知識が生み出す知性あふれる文章のやりとりは圧倒的で、プロの書き手が「女」を主語に文章を綴るとはこういうことなのだと、選ばれし書き手の腕のすごさを見せつけられたような一冊だった。
この文末までたどり着いてくれる人はいる?
そしたらあなたと少し友達になれたような気分。
そして暑苦しく見苦しい文章を書き連ねた私自身を嫌いにならず、明日も明後日も元気に生きていけそう。ありがとう。