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双極性障害 / 闘病記録【2023年】


こんにちは。
双極性Ⅱ型障害と診断されてからもう6年になりました。

この記事では、睡眠覚醒リズム表を見ながら私の2023年をまとめます。


私が記録に使っている睡眠覚醒リズム表(以下、リズム表)は、日本うつ病学会のものをアレンジしたものです。

双極性障害の主症状である『気分の波』は、リズム表の中央にある、水色の線のグラフです。

〈リズム表の読み取り方〉

・1番上の行が1日、1番下の行が31日
・真ん中の水色のグラフが『気分の波』を表す(左側がうつ、右側が躁)
気分の波のグラフ上で、黄色でマーカーを引いたところは『特に波がヤバかったとき』を示しています。

それでは、よろしくお願いします。





1月

前年11月から実家に帰省中でした。
1月は、実家で病気が大流行。年始はコロナ騒動、下旬には息子が胃腸炎に罹り、上から下から可哀想な状態で、その看病に明け暮れていました。

コロナの抗原検査。息子の分は…あ〜Tにうっすら線が見える😂

当時記録していた気分の波はあまり大きくありませんでしたが、振り返ると10日頃(緑で囲んだあたり)は混合状態と思われます。体調不良でも働こうとしていた父に対して、「私が言ってやらなきゃ」というような思考になり(「〇〇してあげなきゃ」は、私の躁のサイン)、イライラしていました。
躁のイライラっぽいですが過食嘔吐もしていたので、躁よりも混合状態と判断できるのではないでしょうか。

下旬の波も下方修正しています。「後悔」の文字があり、「嫌われてしまったのではないか」「引かれているんじゃないか」、と不安になっていたようです。軽く鬱っぽいですね。




2月

なんじゃこれ、っていうくらいに記録が飛んでいますね。
前月に引き続き、実家で家業のバイトをする日々をガシガシ送っていました

バイトの間、息子は託児所に預けました。

早起きして、託児所に持たせるお弁当作り。アトピーと言われている息子の痒みをもしかして軽減できたら…となるべく加工品を少なめに。


上旬の波が抜けているところですが、点線で鬱側に修正しました。「嫌われているかも」という考えてしまった日があったり、「鬱が回復するまで待とう」とかも書いてあったためです。




3月

月のはじめに、息子を夫がいる北海道へ送り、私は一泊でまた実家に戻りました(そしてまたバイトする)。

今月も半分以上、記録が取れていません。
記録が無い間の気分について、「波は少なかった」と記入してあります。緊張感があるあいだ(etc.仕事中)は気分の波を感じられにくいという現象だと思います。朝から晩までバイトしていた感じだったので。

息子を夫に預けたので自分の世話だけすればよく、その点は楽でした。

飛行機から見た夕焼け。ピンボケ。


嬉しい出来事は、夫がついに大学に合格したこと。
我が家の方向性が定まったことでとてもホッとしましたが、一方で今後必要なお金が具体的になり、私は「稼がなきゃ」モードのままでした。

月末に、私もようやく実家から北海道へ戻りました。
その1週間くらい前から薬(気分安定薬ラミクタール)の飲み忘れが頻発しています(オレンジで印をしたところ)。
また夫と暮らす日(5ヶ月ぶり)が近づき、嬉しい反面、待ち受ける環境変化の影響がすでに出はじめていたのでしょう。

今度は帯広空港へ。十勝だー!




4月

夫が学生になり、やっと身分ができ、保育園に預けられる状態になったので、就活と保活を始めました。
初めてのことばかり。考えること調整することが多くて、精神的にいっぱいいっぱいでした。
負荷がかかっていたことは過食にも現れていると思います(緑で記した期間)。

15日、食事づくりの分担について夫と話している時に、「じゃあ私が消えればいい?」とイライラネガティブな発言。余裕ないですね。ここの波は下方修正しました。

チューリップが芽を出した。極寒の中生き抜いていて、本当にすごい。




5月

仕事は、農家バイトにしました。
保育園に入る要件を満たすために、働かなければ。とりあえずすぐ雇ってもらえそうなことと、急な休みOKだった農家さんを選びました。

十勝山脈に雪が残っている。通勤は車で30分。道中の景色がいいのが良いところ。


そんな中、月後半から、お腹の激痛に見舞われました。
(ちなみに腹痛が起こる直前、保育園に落ちた通知を受け取りました。「社会から嫌われている」とネガティブ思考に囚われ、過食し、お腹がパンパンでした。)

過食が慢性化していたので、激しい腹痛の原因は「食べ過ぎ」なのかな?と思いました。
この思い込みが、後に状況を良くない方へ…。

夫と「今度食べ過ぎで体壊したら自費(お小遣い)で」と話していたようです。いま見るとゾワっとしますね。脅しで精神疾患の症状を抑えるのはリスキーです。

忘れていましたが当時、息子の発熱も重なっていたようです。なんだかもう、大変だったなぁ…。




6月

前月に起きた激痛がまだ尾を引いていました。
夜間救急→胃腸内科→総合病院CT→産婦人科で卵巣嚢腫(しかも茎捻転&破裂疑い)発覚。さらに後日、MRIで悪性(ガン)の所見を指摘されました。
手術のため、下旬のピンクで囲んだところで入院していました。

体がしんどいと精神も病むようですね。メンタルはかなり不安定になっていたと思います。ちなみにリズム表の中で、青いアンダーラインを引いたところは鬱を感じさせる言動で、頻発していました。

激痛の渦中からずっと、「仕事行かなきゃ」とすごく切迫して焦っていました。茎捻転の痛みは救急車を呼んでいいレベル。あんな状態で仕事だなんて、アホだなぁとも思いますし、でも一方で、それほどまでに私は自分の『痛みを認識する』こと『SOSを出すこと』が下手でした。

食欲が長いこと落ちていたので、成人して過去イチ痩せました。
(痛みがあって食べられなかったのもありますが、「また食べすぎてしまうのがこわい」「今までの食生活だとまた卵巣嚢腫が再発してしまうんじゃないか」といった不安に囚われていました。)


病院食。野菜たっぷりで好きだけど、これが私にとって適量だとしたら、こんなに少ないのか…。

◎卵巣嚢腫が悪性かもと言われてから、闘病YouTuberの動画を見て、良い影響を受けました。特に、がんサバイバーのミミポポさんの『ネガティブな言葉はキャンセルする』という方法がとてもいいなぁと思います。
ミミポポCH→https://m.youtube.com/@CH-mimipopo/videos



7月

しんどい1ヶ月でした。

夫とうまくいっていない(ストレスを感じる)日も多かったようです。頓服のロラゼパムを久々に服用していたようですが、薬を飲むまでいくのは相当です。

退院して2週間で農家バイトに復帰。
振り返れば、ちょっと早すぎたかもしれません。

なんでこんなに必死に生きていたんだろう、と今では思います。
体調不良→気持ちが落ちる(鬱症状)→不安症状も出る→お金稼がなきゃ→また無理してしまう→…。という悪循環の中にいました。

夫の合格と誕生日祝い。久々の外食。



8月

少し波が安定してきたような兆しがありますね。


農家バイトが無い日も単発のバイトを入れたりして、結構な量働いていました。それでも波が抑えられたのは、農家バイトは『運動』として考えれば、メンタルにはプラスだったのかもしれません。
体をたくさん動かすから、めっちゃよく寝れますし。

夫が夏休みになって、我が家になんとなく余裕があったのも精神的に良かったのでしょう。

山盛りの野菜のおみやげをもらうと、キツかったことも忘れ、また農家バイトに行きたくなる。


◎この頃から、『精神科医がこころの病気を解説するCh』の動画を、通勤の間などに聴くようになりました。目先のストレス(人間関係など)を少し俯瞰できる時間が増え、メンタル安定にいい効果がとても感じられました。精神病当事者にもそうでない人にもおすすめです。




9月

低めに推移。
「なんとなく」鬱っぽい、とか、原因がはっきりしない日もちらほら見られます。夏が終わり寒くなり始めて自律神経の影響もあったのでしょうか。

仕事面では、メインで行っていた農家さんが野菜の不作で一時出勤が減り、代わりに他の単発バイトを探したりして不安定でした。
動きすぎるとお腹の傷が痛むので、そちらにも常に気を配っていなければならないのもストレスでした。

余談ですが、違う農家さんでも遅い遅いと怒られる私。どんだけどんくさいんだろう…。ダメージをくらっていました^^;




10月

充実感がある日が多く出てきました。躁までは上がりませんでした。
(そういえば、躁っぽくなる波はずいぶん減ったなぁ)

農家バイトも終わりが見え、その点も気が楽になってきたのだと思います。手術の傷の痛みも完全に消え(体内の縫合糸が溶けた?)、思いっきり肉体労働ができるようになったので嬉しかったです。私の農家バイト全盛期でした。

筋肉と体力がつくと、生活が充実し、なんだか自分にも自信が持てました。筋肉は、素晴らしい。大きな学び。

収穫シーズンももうすぐ終わりという日の作業中、虹が二重になってる!


次の仕事探しはすんなりとは進まず。求人票を見ながら、精神障害をオープンで働くのかクローズにするのかでも迷っていました。
ハローワークの、障害者雇用フェア的なイベントにも応募してみました。

就活での私の希望条件は、「子供の発熱で急に休める」「家から近い」「負担が重すぎない」こと。
でもふと、やっぱり諦められなくて「馬」で検索。そして出てきた求人がすごく気になり、障害者フェアをキャンセルして、ダメ元で応募しました。

夫は、いい意味でも悪い意味でも私の進路に口出しをしないところがあります。馬の求人に応募しようか相談した時も「どうしてもやりたいならいいんじゃない?」という感じ。モヤモヤしたのは正直なところ。
双極性障害だから、自分の「やりたい」には慎重にならなければならない。でもだからといって何でもいいかというとそうではないはず。ああ、精神病じゃなかったらよかったのに…!

応募した馬関係の仕事の書類選考の連絡は、求人票にあった『〇〇日以内』を過ぎても一向に来ませんでした。
「もうダメだったんだ…」と思いつつ、「ダメならダメとはっきりさせて次の就活に切り替えたい」と、勇気を出して確認の電話をかけました。
すると、まさかの「面接します」とのこと!
そんなことあるんですね〜。

ケセランパサラン?をつかまえた小さな手。



11月

波の上にピンクのマーカーをした部分はわずかに躁っぽいですが、この日仕事の採用連絡がありました。「上がりすぎないように」意識しながら喜ぶ、ということができました。

食事について、過食嘔吐がない期間がもう何ヶ月も続いていました
相変わらず食べる量は多かったですが、農業バイトの日は特に「たくさん動いたからたくさん食べていい」と気楽になれたのが良かったんだと思います。

月後半の鬱っぽい波は、おそらく寒くなってきたからかな…?

カリカリの落ち葉は、踏むのが楽しい。



12月

新しい仕事が始まりました。
仕事が終わって夜になるとイライラしたり鬱っぽくがちでした。
特に、黄色でマーカーした日は、水道を叩き割ってしまいました。

ちなみに詳細:
育児仕事家事ほぼ全てを私がやっていた日で、私が夕食後に茶碗を洗っている傍ら、夫がギターを弾いていたりするのがとても不満に感じていました(けど言う気力がない)。夫が「イライラしてる?」的なことを訊いてきたのですが適当に返し、夫がバイトに出たその瞬間、カッとなって水道の蛇口を殴ってしまいました。息子はおもちゃの部屋にいたので、現場を見られたり泣いたりしなかったのは幸いでした。新しい水栓に換え、損害額は1万2千円ほど。夫は「家計から出していいよ」と言ってくれましたが申し訳ないのでお小遣いから5千円くらい出しました。

限界になったらもうどうしようもないのは、この障害と付き合ってきていい加減分かってる。
いかに『疲れすぎないように生活する』かが、私に必要なことです。

波に水色でマーカーしたところは鬱っぽかったときですが、ひとつ目の日は、ちょうど水道を叩き割った日から1週間。木曜日は鬼門ですね…。

クリスマスの夜ご飯。アトピーな息子へ配慮したい気持ちとの葛藤の結果、こんな感じに。


ふたつ目の落ちたところは、主治医から「職務運転はダメ」と言われた日です。

詳細:
3ヶ月ぶりのいつもの診察で新しい仕事に就いたことを話し、運転について今まで曖昧だったので念のため確認してみました。「職務運転(仕事での運転)はダメ。長距離とか。」と言われ、その場ではすぐ聞き返せませんでした。
家に帰ってから、ぐるぐると頭がいっぱいになってしまいました。新しい職場に私が精神障害者であることをカミングアウトすることになるんだ…面接で「運転できます」と伝えたのは虚偽の申告をしたことになるんだ、私は嘘つき者として扱われてしまうだろう…。そんな感じに。
仕事中のちょっとした運転もダメなのだろうか?確認するため次の日、再び受診しました。すると「全然運転して大丈夫。職場にも言わなくていい。」とのこと。前日に言われた運転ダメという理由は、『眠気』だそうです。でもラミクタールは眠気が起こらないから大丈夫だということでした。
帰り道で号泣している自分がいました。相当ホッとしたんだと思います。
仕事で運転もOKなままで、良かった、良かった。
(今回の一件は、主治医をどう評価するのが正常なのだろう…?よくあることなのかな?)

運転、して大丈夫ならダメって言われたないでくれたらよかったのに〜😂
(診察代0円だったのから許す…!)





まとめ

今年も、振り返るととても濃い一年でした。
いろいろありすぎた…。

ちなみに32歳、前厄でした。
入院したのも、何かそれと関係あったのでしょうか?

でも、いいこともたくさんありましたから、あんまり気にし過ぎずこれからもやっていきたいです。(でも、お守りでも買いに行こうかな…。)

とりあえず無事一年を生き抜くことができ、年末を迎えられたことに感謝しながら年末を過ごしています。

それでは、最後までお読みくださりありがとうございました。
読んでくださった方に、私の経験が何か参考になれたら嬉しいです。


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