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「優秀でなければならない」という呪縛

皆さん、こんにちは。
とびこです。

今日は私が長年囚われてきた「優秀でなければならないという呪縛」について書いていきたいと思います。


家族全員が優秀な家庭に生まれついた

私は両親や祖父母が学歴も職業も立派な家庭に生まれついたと、自分では感じています。
このご時世に何が優秀で何が優秀でないかなんてそもそもその議論すら、人それぞれで偏見も甚だしいと思われるかもしれません。
でもこれは田舎で育った人間の一個人の意見であり、皆さんの意見を否定しようという気がさらさらないことだけはご理解いただき、読んでくだされば幸いです。

高学歴で公務員や教職など安定した立派な職業に就く、私は彼ら・彼女らのような生き方を暗に目指して生きてきてしまったような節があります。

生まれてからずっと

○○先生のお孫さん」
○○先生の娘さん」

という風に呼ばれ、周りの人は誰も

「私を私自身として見てくれない」

と思いながら生きてきました。

今思えば自意識過剰だよなと、思えるのですが当時は本当にそう思い込んでいました。

周りからの圧力

家族から具体的に、

「こういう学校に行きなさい」
「こういう職業に就きなさい」

と面と向かって言われたことはありません。
ですが、実際私が初めて職業を選択する時に母から

「公務員試験を受けてみたら?」

とか、祖母から

「とびこちゃんの亡くなったおじいちゃんは、とびこちゃんに先生になってほしかったって言ってたよ。」

などと言われた経験もあり、無意識に

「そういう方向を目指さないといけないのかな」

と考えていました。

自身に課してしまった圧力

そういう経験をするうちに

「優秀でいなきゃ」
「立派な人間にならなきゃ」
「真面目に生きていかなきゃ」

というプレッシャーを自分自身にかけ続けて、人生を歩んできました。

実際は優秀な学歴も立派な職歴もなく、失敗や挫折をする度に

「あぁ、私はダメな人間だ。」
「生きていく資格がない」
「なんで両親のように優秀な人間になれないんだろう」

と自分を責め続けて、勝手に自己肯定感を下げ続けていました。

本当は家族や親と私は違う人間なのだから、同じ結果や成果を出せる訳がないのに

「私も頑張れば、いつかそこに手が届く」

と思っていたかったんですね。
まだ努力が足りないだけだ、本気で頑張れば私もいつか何かを物にできる日が来ると。

でも、ある日頑張りきれない時がきました。

私を「私自身」として見てくれる人

前職で働いている時、突然体調を崩して働けなくなりました。
やっと3年半程同じ職場で働くことが出来て、ようやく少しだけ自分を認めてあげられるようになってきたかなって思い始めたばかりでした。

あぁ、またかって思いました。

「せっかく続けられたのに」
「やっと自分を認められそうだったのに」
「またダメだった」

病気になって、突然症状が悪化して、有給を使って2週間休職させてもらいましたがそんな短期間で体調が回復することがなく、結局退職することを選択しました。

ゆっくり自宅で療養する時間が出来て、今まで出来なかったこととか会えなかった人達に会える時間ができました。
幼稚園からの幼馴染・中学時代の友達・高校の部活の仲間、自分の心を許せる友達に会って病気のことを聞いてもらいました。

私は昔から、働いてない期間に友達に会うのは何故か罪悪感がありました。
たぶん皆は一生懸命働いてるのに、私は何も出来ていないって思ってしまっていたからだと思います。
そういう時って、自分の話がし辛いんですよね。

「友達は働いていて私なんかより疲れてるのに、自分の弱音を吐くのは申し訳ない。」

という意識が発動して、友達と会う時はほとんど聞き役にまわっていました。

でも今回、病気になってみてちゃんと友達に向き合ってみて感じたんです。

「友達は私が働いてなくても私を私として扱ってくれるんだ。」
「いるだけでも、肯定してくれるんだ。」
「何かの役に立ってなくても、いていいんだ。」

もしかしたら何を当たり前なことを言ってるんだって思った方もいらっしゃるかもしれませんが、これがきっと私が小さい頃から欲しかったものだと思うんです。

存在の肯定・自己受容・ダメな自分を受け入れてくれること

出来の悪い娘でも受け入れてほしかった。
可哀想な目で見ないでほしかった。
何かを成し遂げなくても居てもいいって思ってほしかった。

「自分でそう思いたかった」

それを今回改めて友達と向き合うことで、自分の中で受け入れられたし、理解できたし、いい意味で優秀さへの執着を手放すことができたんだと思います。

私を「私自身」として見てくれる人の存在が、私を縛り付けていた頑強な思考の糸から解き放ってくれました。

もう優秀な人間になろうと足掻くのはやめよう

だからもう私は、家族のように優秀な人間を目指すことを手放すことにしました。
私は私であって、他の人になれる訳じゃない。

自分のペースで、自分のできる範囲で、自分のできることをやろう。

こんな単純なことを、体で覚えるのに何十年も時間をかけてしまったけど、それが私のペースなんだと思います。

何かを考えることも、行動することも、スローでマイペースだけど、それでもいいって思えただけで、病気になった価値があるのかなって思います。

すごくまとまりがなくて、何を言いたいのかわからない文章になってしまってすみません。

でも自分の思ってることを書けたので、すごく満足してます。

お付き合いいただき、ありがとうございました。
今日も皆さんの一日が健やかでありますように。

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