病気と共に歩いてきた一年
皆さん、こんにちは。
とびこです。
私がバセドウ病を発症してから、ちょうど丸一年が経ちました。
たぶんこれ以上月日が経ってしまうと、あの時のことを鮮明に思い出すことが出来なくなってしまうと思うので、ここにその時の記録を残そうと思います。
感じ始めた違和感
一番最初に自分の違和感を感じたのは、去年の11月頭頃でした。
まず初めに手が震えてることに気がつきました。
ちょうどその時期引っ越しをして何度も重い物を持ったりしたので、筋肉痛が出たのかなと思いました。
数日経てば治るだろうと軽い気持ちで考えて、普通に仕事に行ったり日常生活を行っていました。
その他には食欲が止まらずに毎日結構な量を食べていたにも関わらず、体重が増えるどころか痩せていきました。
自分では痩せていってることに全く気づかなかったのですが、叔母が美容師をしていて髪を切ってもらいに行くたびに
「とびこちゃん、痩せた?」
と聞かれていたのです。
私は全く痩せている自覚がなかったので
「えー、そんなことないよ〜!だってめっちゃ食べてるし!」
といった感じで返していたと思います。
当時「食べ過ぎだしダイエットしなきゃなぁ」と思い込んでいたことで、自分の明らかな変化に気づかなかったんだと思います。
その後は次々に症状が現れ始めました。
冬で職場の暖房がついているのですが、自分だけが暑くて暑くて暖房の設定温度を下げたり、異常に喉が渇いて10〜15分置きくらいに水を飲まないとカラカラで仕事ができなくなったり。
更には手の震えが悪化して、仕事で書く書類の文字がガタガタになったり線が真っ直ぐ引けなかったり、歯科助手をしていたのですがドクターに道具を手渡す時も一発で物の受け渡しができずに3回くらい失敗してようやく成功するなど。
普段から自分が不器用なことは自覚していましたが、それでも働き始めたばかりの時でさえこんなことは起こらなかったので、明らかにおかしいと思い始めました。
そして以前から健康診断で空腹時血糖が高かったこともあり、ネットで調べて自分で糖尿病の症状が出ているのではないかと早合点し、糖尿病の専門医がいるクリニックを受診することにしました。
予約の電話をした際に受付の方から、「健康診断の結果表を持ってきてください」と言われたので、受診日の前日にドクターから自分の健康診断の結果表を借りて、次の日の午後初めてクリニックを受診しました。
気軽に行ったクリニックで
クリニックに着くとまず初めに看護師さんの簡単な問診があり、その中で血圧や酸素濃度・心拍数を測ったりしました。
その流れで体重を測ることになり、その時初めて自分が通常の体重よりも3kgも痩せていることに気付きました。
毎日あんなに暴食のように食べていたのに、体重が増えるどころか想像を超えるほど痩せていて正直かなりびっくりしました。
その後先生の診察になり、色々と問診をされながら聴診や触診・簡単な検査などをしました。
その時先生に言われて、初めて気づいたこともありました。
・通常より脈が早いこと
・疲れやすくなっていること
自分では自覚していないことが、先生の質問によって次々と明らかになっていきました。
「健康診断の結果を見てみてもこの数値では糖尿病には該当しませんし、このような症状は出ませんよ。」
「とびこさんの症状を見る限り、甲状腺機能に問題が出ている可能性が高いです。すぐに採血をしましょう。」
「採血の結果が出るのは早くても明日の朝になるんですが、その時点で数値が悪ければすぐにでも治療を開始した方がいいので、その時は明日の朝私からお電話します。」
その後採血をして様々な説明を受けて、次回の診察の予約し、その日は帰宅しました。
家に帰ってきた後、家族に自分の状況を説明しました。
今まで違和感があったことも全く何も言ってなかったので、母からは
「なんでもっと早く言わないの」
と言われてしまいました。
別に心配させたくなかったという訳ではなく自分でもこんなに大事になるとは思ってなかっただけなのですが、それが逆に家族に心配させることに繋がってしまったので少し反省しました。
正直自分の見立てでは
「糖尿病予備軍だから生活習慣を整えてくださいね〜」
ぐらいに言われるだろうとしか思っていなかったので、予想外の展開にかなり戸惑っていました。
実際家に帰ってきてから目に見えるぐらい手の震えが酷くなり、スマホを持ちながら説明する手もガタガタと大きく震え出しました。
突然悪化した症状
そして次の日の朝、私は普通に出勤しようと朝ご飯を食べたり身支度をしていました。
そして歯磨きを終えて、化粧をし始めた時でした。
ベースメイクを終えたあたりのところで、だんだんと体から力が抜けていく感覚がしました。
言葉で説明するのも難しいのですが、体の上から下に向かって血の気が引いていく感じ・体温が下がっていくような感じになりました。
力を入れたり立っているのが辛く、倒れそうなところをなんとか耐えているようなギリギリの状態になり、
「あ、これはやばい……」
と本能的に命の危機を感じました。
その数分後、スマホにクリニックの先生から電話がかかってきました。
「昨日の採血の結果が悪かったので、すぐに治療を始めましょう。今からクリニックに来てください。」
その電話を受けて慌ててスマホでドクターに電話をして、休みを取らせてもらいました。
その後なんとか階段を降りてダイニングで朝食を食べていたばあちゃんの所まで行き、自分の状況を説明し、母に電話してクリニックに連れて行ってもらうことになりました。
その時人生で初めて自分が死ぬんじゃないかと怖くなり、涙が溢れて止まりませんでした。
あまりにも体調が急激に悪化して不安になったことも大きいと思います。
その後クリニックに着いて、先生に検査結果を説明してもらいました。
診断結果は甲状腺中毒症でした。
先生からは昨日の今日では採血の結果も甲状腺中毒症という結果しか出せず、バセドウ病かそうでないかはあと2週間くらい経たないと診断が出ないと言われたので、その日から薬を服用して療養することになりました。
仕事も最低でも2週間は休んでくださいと言われたので、薬をもらったその足で職場に直行して院長に説明し休職ということで対応してもらいました。
そこから私の療養生活が始まりました。
2週間の療養生活
そこから家での療養生活ではショックなことがいろいろありました。
まずいきなり筋肉が落ちて、重い物が持てなくなりました。
力が強いのが自慢だったのに、お湯を沸かそうと思って小さな片手鍋に水を入れただけのものが重くて持ち上げるのが大変でした。
家の中を移動するにも体が怠く、階段もゆっくりとしか降りられなくなり体の衰えを感じました。
起きて立っていること自体が辛く、ほとんどの時間を布団の中で過ごしました。
なので常に疲れていてエネルギーが不足し、お風呂に入れない日々が何日も続きました。
だんだん起きていられる時間が長くなってくると、今度は食欲が制御できなくなりました。
食事の時間になるとすごいスピードで食べ始めて、母には「もっとゆっくり食べなさい」と言われるほど。
生理前の食欲とは比べられないほどに食べる量が増え、スピードが加速しました。
治療前は食べても食べても痩せていきましたが、今度は逆にすごいスピードで体重が増えていきました。
飲んでいる薬の関係でいつ眩暈がするかわからなかったので、車の運転も1ヶ月くらいはできませんでした。
2週間の休職期間も終わりに近づきましたが、一向に体調が良くなる気配もなく次の診察日になりました。
先生からこの時はっきり「バセドウ病です」と告知されました。
2週間今後の仕事をどうするか悩みましたが、体調も一向に回復する兆しもなく元々いつかは辞めようと思っていたこともあり、このタイミングで退職することを決めました。
そして退職の手続きをしに書類を持って職場に挨拶をしに行った時には、もう私の代わりの新しい人が入っていて
「なんだ、私がいなくても職場はちゃんと回るんだな。」
と、当たり前のことなのですがそこでようやく腑に落ち、安心して闘病生活を送ることに専念できました。
始まった闘病生活
最初は1日にバセドウ病の薬を3錠と心臓の薬を1錠飲むことからスタートしました。
2週間に1回採血をして結果を見ながら、徐々に薬の量を減らしていくという治療です。
今では薬の量もバセドウ病の薬を2日に1回1錠までに減り、通院間隔も2ヶ月に一度になり落ち着いて日常生活を送れるようになりました。
会う人会う人がいつも体調のことを気遣ってくれて、本当にありがたい限りです。
私の治療内容としては、今の服薬量であと3年程は様子を見ながら付き合っていかなきゃならないようです。
先生からは
「バセドウ病は一生付き合っていく病気」
だと教えていただきました。
バセドウ病に完治という考え方はなく、良くなって薬を飲まなくて良い状態になることを
「寛解」というのだそうです。
それにまたいつ症状が悪化したり、再発したりしてもおかしくないので病気と付き合っていくということを念頭において、これからの人生を生きていきたいと思います。
最後に
人生において初めて病気になって、大変なこともたくさんありましたが良いこともたくさんありました。
・健康で生きられることの尊さ
・人生の有限性
・自分の人生の舵を自分で取ると決めたこと
・強さだけが全てじゃないこと
これらはもし病気にならなければ、一生気づくことはなかったかもしれません。
限りある人生をなんとなく生きていっていたかもしれません。
たとえ他の人と同じように生きられなくても、私は私なりのやり方で私のペースで自分の人生を歩いていこうと思います。
こうやって色々なことに気づけたのは、ある意味病気になれたおかげです。
これからも自分が生きれることに感謝して、日々を生きていきます。
とても長い記事をここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
今日も皆さんの一日が健やかでありますように。