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カンニング行為について

16年前の10月に書いた記事。その10年後に大幅に改稿し、『親子の手帖』(鳥影社)に収録されることになります。

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日ごろ子どもたちにテストを受けさせていると、ちらちらと隣を見る子がいて気になることがあります。

子どもたちに伝えたいのは、カンニングは本人がいくらバレないと思っていても、実際にはきっと9割以上の確率でバレていますよ、ということです。

注意されない=バレていない、と思ったら大間違い。こちらは「あっ、いま明らかにカンニングした!」と気づいても、なかなか面と向かって「お前いまカンニングしたやろ!」とは言わないのです。これは、単に「カンニングに対して甘い」のではなくて、考えるところがあってのことです。

すぐに注意しない理由としては、まず1つ目の理由として、カンニングはその行為を100%実証することが難しい、ということがあります。罪が実証できなければ、子どもからすればただ冤罪をなすりつけられたということにもなりかねず、そうすると、子どもとの間の信頼関係はガタガタになってしまいます。

2つ目の理由として、カンニング行為について、大勢のクラスの中で個人を断罪することは、その子にとって心の傷になることがある、ということがあります。大勢の前で「カンニングをした人」「ウソつき」というレッテルを貼られることが、その子にとって良いことであるわけがなく、「どうせ私はカンニングするような人間ですから」と開き直った子になってしまうとどうしようもありませんし、反省しすぎて卑屈になってもいけない。それをきっかけにクラスに居づらくなるのもぜったいに避けたいところ。ですから、カンニング行為への注意は否応なしに慎重になります。


さきほど「実証が難しい」と言いましたが、逆に言えば実証が難しいだけで、カンニング行為をしている子を見つけることはむしろ簡単です。

その子がカンニングをしているかを確認するためには、実はいくつかの方法があります。

その方法を例えばひとつ挙げると、試験監督が教室内を動いているときの子どもの様子を観察する、というのがあります。試験監督が前にいるときにはカンニングをする子どもは警戒してちらちらとするだけですが、試験監督が自分の視界から消える=後ろの方に行き始める、とそのとたん堂々とカンニングをします。
子どもは試験監督が自分の視野から消えたことで、もう試験監督は後ろの方に行きはじめたから進行方向(またはその周辺)を向いていて自分の方は見ていない、と思っています。だからその瞬間子どもは大胆にカンニングをすることが多い。でも、実際には、わたしはちょっと遠くにいるカンニングをしているその子を見ながら移動しています。後ろから見ると、カンニングをしているその子は、カンニングをするその瞬間だけ私に横顔を見せます。

こちらが教室の後ろに静止している状況を続けると、子どもは逆にカンニングをしなくなります。視界から消えた状態が続くことは、子どもの警戒心を増幅させるからです。ですから、教室を前から後ろに移動するとき、このときがカンニングを見分けやすいタイミングになります。

これは一例ですが、他にもいくつか方法はあります。
ただ、これらの方法はいくらやっても実証に結びつきません。

実証するためには、例えば解答で絶対ありえない同じ答えを共通して隣り合った2名(以上)がいくつも書いていた、こういう場合でないと難しいです。また、カンニングの現行犯逮捕は、その子がカンニングペーパーでも持っていない限り難しいです。

でも、カンニングを繰り返す子にはそれなりの指導をしなければなりません。

以前こういうことがありました。

ある模試の試験監督ときに、突然ある子の不穏な目の動きに目が止まりました。
私のなかで、その子がカンニングをするということ自体があまりに意外なことだったので、自分の目を疑いました。しかし、その子はその後も何度もカンニングを続けました。(その子のカンニングは、じーっと観察していないとわからないような巧みなものでした。) あまりに繰り返すので私はこのことを実証する必要があると思い、隣の子との解答を比べました。そうすると、案の定、ありえない共通の解答がありました。これは間違いない、と確信しました。

テストがもうすぐ終わるとき、わたしはどうしたもんだろう、と考えました。私とその子との間には、それまでの2年間の指導で培われた信頼の気持ちが育っていました。私はそれまでの2年間の指導の間に、その子に対して「君の人間性を信頼している」ということを何度も表現してきていましたし、その子もそういう私の態度を見て安心して学習していました。

その子は生真面目なところがあり、今回の模試で点数が取れなかったら自分が親や大人たち(そこには「塾の先生」である私も含まれます)から責めを負うことになるだろうことに対して大きなプレッシャーを抱えていました。
いかなる理由があってもカンニング行為は許されません。しかし、目の前にいる繊細なひとりの子を見たときに、彼が私の正面からの断罪に耐えられるとは思えませんでした。ですから私は注意の仕方を変えよう、と思いました。

私はテスト終了後に全員の前で次のようなことを言いました。

「僕はいま、英語のテスト中にカンニングをしている子がいることに気づきました。その子はとても信頼している子だったのでびっくりしました。でも事実その子はカンニングをしていました。カンニングというのは、人を裏切る行為です。模試にかかわった人たち、先生、親、カンニングをした相手、を裏切る行為です。そして自分を裏切る行為です。カンニングをした模試の結果を見て、合格判定を見て、納得できますか? その結果や判定は正確なものではありません。そんな結果に騙されて、自分を騙したままで、そして受験に向かい、そしてこんなはずじゃなかった、そうなってしまったらどうするのですか? 
僕は普段もカンニングに気づくことがあります。カンニングというのは自分ではバレていないと思っていても、ほとんどの場合バレてるんですよ。先生たちは注意しないだけなんです。なぜかというと、それはその子が自分でカンニング行為のむなしさバカらしさに気づいてほしいという気持ちからです。
いま胸に手をあてて自分のことかもしれない、と思っている人、僕はその人のことをこれからも信頼していくよう努めます。今日、僕はその子の弱さを知りました。でもその子のよさもたくさん知っているので信頼していくよう努めます。自分のことだと思った人は、少しだけ失われた信頼を取り戻すようこれから努力してください。カンニング行為を続けることで、少しずつ信頼を失っていくとしたら、とても悲しいことです。だから、自分で今回のことをよく考えてください。もう一度言うけど、僕はその人のことをもう一度信頼します。だからもう裏切らないでください。」

その子はこの話の間、青い顔で硬直していました。周囲の子たちも他人ごとではないというかんじで緊張した面持ちで聞いていました。その後、その子のカンニング行為はなくなりました。お互いの信頼関係もその後深く傷つくことはなく、卒業していきました。この話をしたことで、その子の弱さ自体がなくなったわけではないでしょう。しかし、自身で何かを考える契機を与えることはできたと思っています。

自分のカンニング行為を目の前で断罪されることは、そういうことに慣れていない子にとっては耐え難いことでしょう。しかしカンニングを放置はできません。
このときに集団に向けて話をしたことの有効性は、子どもに次のような印象を与えるところにあります。「先生が僕に向けて話したのかどうかはわからない。僕かもしれないけども、もしかしたら別の人かもしれない。でもいまの話は僕にとって自分の問題だ。」と。

(実際は「あなた」という個人に話を差し向けながらも)集団に向けて話すことで、個人を断罪することを避け、自分で考えさせる余地を残しつつ、伝えたいことを伝える。そのためには、このような方法しかありませんでした。

カンニングに対する処置については今後もいろいろと考えていくことになるだろうと思います。

(2008年10月)

『親子の手帖』
第2章 親はこうして、子をコントロールする

1 成功体験は危ない⁉
2 ある母と娘との電話
3 親はこうして子をコントロールする
4 カンニングをする子どもたち ←全面改稿後にこちらに収録
5 幻想の共同体、母と娘
6 親は子どもの「好き」を殺してしまうかもしれない
7 なぜ偏差値の高い学校を目指すのか
8 小中学受験と親
9 葛藤との向き合い方
10 受験直前の子どもとの付き合い方

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