LGBT法案 拙速な議論は理解を遠ざける・・・という記事の紹介と、個人的な意見など。
ちょっと前ですが、どこかの介護施設で職員トイレと更衣室がジェンダーレスになって退職者が相次いでいる・・・なんてTwitterを見かけて、どういうこと???と思ってたのですが、それは実は捏造だったようで事実ではなかったようです。
聞いた時は信じられない思いもありましたが、もしかしたらやりかねない施設もありかもな・・・と思って妙に納得してしまったのも事実でした。
ですので、捏造でよかったです。
ジェンダーレスというと『男らしさ』とか『女らしさ』とかを共用しない・させない社会にしましょうよ、という取り組みの事だと思っていたので、それでなんで男子トイレや女子トイレがなくなっていく方向になるのか意味がわかりませんでした。
むかし洋ドラの”アリーマイラブ”で確か共用トイレが描かれていたと思うのですが、正直男子トイレの中ですら個室に入って用を足そうとするときはできるだけ気配を消している僕ですのであんな開放的なトイレは考えられませんでしたが、海外ではあれが普通のなのか?と衝撃を受けたのも事実でした。
多様性を認めましょう、という世の中の流れで言ってもジェンダーフリーやジェンダーレスという言葉があるようですが、こういう事を認める事は大切と思いますけど、それはいろんな人が生活する中で互いに互いを配慮した上で、互いの違いを認め合いましょう、という事だと思います。
けして他人にそれらを強要する事ではないはずです。
生物学的な性と別の多義的な概念がジェンダーという事のようです。
たしかに多様性を認めるのであれば、生物学的な性をいちいち意識する事についてはあまり意味がないような気もします。
相手を見る際にも、生物学的な性を気にするのではなく、”その人”を見ればそれでいいだけ、という事なんだろうと思いました。
ジェンダーレスというのは、社会的性別の性差がないという意味との事で日本独自の用語みたいですね。
ジェンダーフリーは、男女が平等に自らの能力を生かして自由に行動・生活できる事のようで、こちらも和製英語のようですね。
本来的な意味としては、”「社会的性別にこだわらない」という程度の平易な意味である”と示されていますので、日本で問題になっている騒動は実は本質をついていない問題であるようにも思います。2006年にはこの言葉(ジェンダーフリー)は使わないようにしましょう、という事にもなっているそうです。
個人的には、”男だから””女だから”という感覚をなくしていくくらいの感じでいいんじゃないかなぁと思っています。
そういう見た目や性別で”その人自身”を判断してしまわないようにする事は大切だと思いますし、我々介護職としては、”年を取ったから””認知症だから”高齢者だから”というレッテル貼りもやめて、”その人”にちゃんとフォーカスした対応ができれば、もっといいケアが提供できるのだろうと思っています。
もう一つ、この記事を書いている時に思ったのは、男女共学の頃の思い出話ですが、女の子が髪を切ったりメイクが変わったりすると男子はいち早く気が付いて褒めないと個人の評価が下がるという謎ルールがあってゲンナリしてた事を思い出しました。
そういうの気が付かないタイプなので正直めんどくさかったんですよね、おかげ様でモテませんでしたが。
どのような行為が差別になるのか具体的に示さないと法律として成り立たなくないですか?
今後検討するなら、検討して具体化できてから法律にすればよいと思います。
これ問題になってますよね。
こんなの悩むまでもない問題だと思うのですが、既に女性専用トイレがない公衆トイレが出来たり意味不明な事がまかり通ってます。
性自認が生物学的な性と違ったとしても、生物学的な性のトイレを使用すべきです。たとえばどうしても性自認の性別のトイレに入りたいのであれば性転換手術を受けて戸籍を性自認の性に変更してからの話だと思います。
性差別をなくするという事は、そういう意見や訴えを認めるという事だと思います。認めた上で、自分なりの意見を言えるというのが平等な立場で差別がない状態と言えるのではないでしょうか。
多様性を認めるわけですから、そういう性自認が生物学的な性別と違う人がいる事を認めた上で、そういう事自体を理解できない人がいる事も認めなくてはなりません。そこには互いに理解をする努力は必要ですけど、それを相手に強要する事は許されないはずです。
ですので、女性トイレには生物学的に女性の人しか入れないのは当然の事だと思いますし、そこに自分が性自認が女性だから女性トイレに入りたい、というのは訴えるくらいなら良いかもしれませんが、それは社会として認めるわけにはいかないんじゃないかと思います。
ルールが作れませんよね、性自認は個人の感覚で証明のしようがないじゃないですか。そんな個別性が高すぎる内容はルールとか法律が作れませんし、もしそんな事を許してしまったら、いろんな問題が発生するのは目に見えてますし、多くの女性の安心や安全を脅かす事になりますし、心を傷つける事にもなりますから、到底そんなルールや法律ができる事はあり得ないと思うのです。
自分たちの権利を主張する事は悪い事じゃないですけど、その意見が一方で誰かの権利を侵害したり傷つけたりしていないか、という視点をもたないとダメだと思います。
スポーツの問題も大きな問題だと思います。
心は女性だけど身体機能は男性の方が、女性スポーツ競技に女性として出場したらどうなるかはわかりますよね。
基本的に筋骨格は男性の身体機能の方が優位ですよね。
こういうのは生物学的な性別できっちりと区別すべきで、そこに自認の多様性を認める余地はないと思います。
医療だってそうですよね、女性と男性で薬とか治療方法とか違ったりしますよね。
生物学的な性と自認の性は別で論じられるべきだと思います。
自認の話でいくと、すごくびっくりしたのが年齢自認という事が存在していたという衝撃です。
詳細は記事を読んでもらえればいいと思いますけど、こんなトランスエイジまで認めてしまったら世の中おかしな事になってしまいます。
こういうのも生物学的な年齢と自認の年齢は区別して扱うべきだと思いますし、生物学的な年齢と自認の年齢に大きな差がある場合は、ちょっと検査なりして疾病を疑うべきなんじゃないかと・・・。適切な治療や訓練を受ける事でなんとかなりそうな気もします。
繰り返しになりますが、多様性を認める事は重要ですが、その価値観を認めた上で適切な対応は必要と思います。
なんでもかんでも権利を認めてしまっていては、別の多くの方が生きにくい世の中になってしまいます。社会って、より多数の人が幸福でいられるための制度だと思うので、なんでもかんでも個人の意見が全て認められる社会というのは、まだ実現できないんじゃないかな、と思います。
さて、元の記事に戻りましょう。
サミットに間に合わせるために法案を急いだみたいですね・・・。
まさに多様性を認める、というのはそういう事ですよね。
こういうの政治家でちゃんと言ってる人いるのかなぁ・・・。
急ぐ必要はないと思います。
歴史や文化、人種が違うわけですので、海外を参考にしつつ、日本独自での方法や選択もあるはずです。もっと時間をかければいいですし、とりあえずジェンダーレスのトイレはいったん廃止した方がよいと思います。
・・・なんで実施する前に想像できなかったのかと何時間でも問い詰めたい気持ちです。