昨日紹介した記事の中で、言葉を話す事で将来という不確実な妄想をしてしまう・・・という内容があって興味を持ったので調べてみました。
仕事しないで一日中本を読んでいたい今日この頃ですが、たぶん時間に余裕があればあったで、結局何もしないまま一日を過ごしてしまいそうなので、こうして仕事でも忙しくしながら限られた時間であれこれ調べたりする方が集中できるような気がします。
人類の文化って、ただ普通に生活を繰り返している中で始まって発展してきたものだと思っていましたが、想像の産物をほかのだれかに伝えることができたときが幕開けだったのか・・・と思うと、普段何気なく想像している事を誰かに伝えるというのはとても重大な事なんではなかろうか、と思いました。
60万年前には話せる人類の祖先がいたけど、文化的な痕跡は7万年前以前には発見されていないという事で空白の50万年、という事ですが・・・。
50万年って・・・途方もない時間をかけて、僕たちは想像する事や文化を手に入れてきたという事になりますね。
メンタル統合というのは初耳ですし、単語のイメージなど、もっと単純に考えていたので、犬は猫よりも賢い、という文章を読んで、どちらが賢いのかわからなくなる事自体がちょっとよくわからないのですが、そういう理解をする処理を脳が全自動で行っていて、そこに障害があると、そういう事ができなくなってしまう、という事ですよね。
認知症の症状も脳の障害によるものですので、たとえばこういう単語の意味や文章のつながり自体がわからなくなってしまっている、という事はよくあるので、特に外側前頭前野に障害がある方については、こういう能力がそもそも失われているという前提で対応する必要がありますね。
再帰言語というのは、たぶん普通の日常会話とかだと思います。
そういう会話やコミュニケーションをとれるような環境を5歳までにしっかりと整えてあげる事で、メンタル統合スキルが鍛えられるという事で、そういう環境下で育たなかった子供たちは、緑の箱を青い箱に入れるという指示をこなすことができないという状態だったようです。
前頭前皮質遅延という事自体知りませんでしたが、そういう脳の発達遅延があったからこそ、言葉を話し想像するという能力が獲得できたのだとしたら、一見自然界で生き残るには弱点になりそうな事でも進化の過程では重要な要素であるという事ですよね。
弱肉強食の自然の中で、本来は自然の環境に対して弱いはずの人間が生き残れて繁栄できたのは、こういった脳の発達遅延が大きな役割をもっているとすると、そういうハンデを全員がもっている事になるし、そういうハンデを互いに支えあいながら社会を維持している事になるので、やっぱりみんなで支えあって生きていくという事自体は、間違ってないな、と思えます。
そして、そういう生存率が低いとてつもない確率の中で、そういった僕らの先祖になる脳の発達に遅延がある子供たちが成長して大人になって、どんどんと社会や文化をつくっていって、今ではそういう脳に遅延がある人が普通な状況になっているというのは、すごいな、と思いました。
こういう民族ってアフリカのマサイ族とかが最後かと思ってましたが、すごい民族がまだいたんですね。
ちょっと僕には理解できないのですが、数や左右、色彩、性差の概念がないというのは、どういう事なんでしょうか・・・。
数の概念がないという事は、数を数えない・・・という事ですよね。
ということは、通貨とか年齢とかも存在しないという事でしょうか。
今日は何日とか時間も存在しない?朝昼夕とか、そういう時間はあるのかもしれませんね。
左右がないというのも・・・全然想像できないですね、左右とかではなく方角で位置を知らせたりはあるのでしょうか。
色彩がないというのもさっぱりわかりません、色は見えていると思うんですけど、赤い色を赤という手段がないという事でしょうか。
性差の概念がないというのは、多様性を認めていく流れの中では最先端じゃないでしょうか?男と女も関係なく人間だ、という事なんでしょうか。
実際に見聞きしたことしか話さない、架空の話はしない・・・、これは報連相は最高に上手そうですね。
今しか生きていない、というのはすごく難しそうな気がしますが、未来への不安や過去の後悔もない、というのはどういう事でしょうか。
未来への不安がないというのは、まぁ今しか生きてないので不確定な先の事など考えない、という事で理解はできそうな気もしますが、過去の後悔もない、というのはなかなか難しいです。
記憶自体を失うわけではないはずなので、そういう経験はあったけれど後悔はしない、という事だとすると、後悔するような考え方をしないというか、そもそも後悔するという事自体が存在しない生き方なのかもしれませんね。
どうなったらそうなるのかはわかりませんけど、今だけを生きるという事をすれば、そういう境地に至るのかもしれません。
脳の構造自体は同じだけど、そういう生活環境や文化で育てば、そういう風に育つというのは本当に面白いですね。
自分たちを真っ直ぐな民と呼び、僕らをひねくれ頭と呼ぶというのも正直な感じでいい感じですね。
彼らからすると、いろいろと考えすぎなんでしょうね。
なにはともあれですよ、やはり言語的であっても非言語的であってもだれかとコミュニケーションをとるというのは、人間らしい生活にやはり不可欠な要素ですよね。
QOLを高める事が目的である介護の仕事では、しっかりとコミュニケーションを取る事が必要最低限のハードルなんだろうな、と思いました。