太陽の子
灰谷健次郎の『太陽の子』を読んだ。
主人公のふうちゃんが、周りの大人の過去を知り、沖縄を知り、悲惨な歴史を知っていくその流れが丁寧に書かれていて、
ともすれば作者の主張の押し付けになりそうなところをふうちゃんの気付きとして上手にえがいていた。
子どもに読ませたい本、読み終わってまずそう思った。
自分の生はたくさんの死に連なっていて、
それを忘れてしまうのでは日本人の堕落だと言う。
歴史を学ぶ意義もそこにある気がする。
今自分が生きている時代は、
死んでいった人が喉から手が出るほど欲しかったものに満ちた時代だ。
自由に仕事を選べる。
住む場所も自由。
数時間で国内どこでも行ける。
お金はかかるが海外にも行ける。
家にいながら買い物ができる。
あれもできるこれもできる。
あれもでき、
これもできるからこそ
ぶちあたる壁もある。
自由という不自由もある。
それは今の問題として、
昔の人は私達が生きる今を望んでいた。
その望みの上に、
わたしたちの生活があり、
わたしがある。
そういうことを灰谷健次郎はふうちゃんの眼を通して、みんなに見てほしかったのだと思う。
作中、
「本は買って読め。家は借りて住め」
という言葉が急に出てきた。
本を買うお金を惜しんで、早く家を買おうとケチケチお金を貯めるような人間にはなるなという意味だそうだが、
まさにこの『太陽の子』を図書館で借りて読んでいる私は、すみません、と思った。