「心ぐるしさ」(気の毒)は何についての判断か(常夏)〜追加あり
多くの読者にとって源氏物語は、まっさらな原文を初めて読むことなんか不可能な二次(いや三次…n次)制作物として接する。たとえ最高の専門家であってもなおさら、過去の研究成果を取り込んでいる。
書き上げたのをかっさらって最初の読者(道長?)になるのと同じ経験はありえない。現在の源氏物語読者は、まったく何も知らないとしても、真の源氏物語というより、作り上げられた本文を読む。
とすれば、さまざまな見解のジャングルを探りながら読み進むことになる。たとえば玉鬘について読みながらその人となりを読者はつくりあげている。
玉鬘は、自身の望まぬ環境へ放りこまれては脱出するのを繰り返してきた。幼い時に母夕顔が父頭中将の下を去って以来、そうなのだ。幼少時に筑紫まで流れ着いて育つが、京出身の美女として男たち(明らかに劣等文化の体現者)がまとわりつくので脱出を余儀なくされ、紆余曲折を経て源氏の保護(庇護)を今は受けている。
源氏は玉鬘を、実の娘と偽って実父内大臣、さらに高貴な女を求める男たちを弄ぶための駒であり、帝に后としてさしだす駒であり、みずからの構想に即して使う駒として扱っている。
しかも「(言い寄って、玉鬘に)不快な思いをさせるのは気の毒だったが」(源氏物語4、299注12)など思うのか。
「姫君も、はじめこそむくつけくうたてとも思ひ給ひしか、かくてもなだらかに、うしろめたき御心はあらざりけりとやうやう目馴れて、いとしも疎みきこえ給はず、さるべき御いらへも、馴れ馴れしからぬほどに聞こえかはしなどして、見るまゝにいと愛敬づき、かをりまさり給へれば、なほさてもえ過ぐしやるまじくおぼし返す」(298)
玉鬘が軟化したので源氏は「やはり(玉鬘を)そのまま放っておくことはできそうもなくあらためてお思いになる」(299注10)。
風向きの変化を察知して源氏は玉鬘を放置しないと思い直した。
【玉鬘について悩む】
現代語訳を三つに区切って番号を添える。
円地文子訳(源氏物語、巻五50-51)
1「やはりこのままここに住まわせておいて婿を取り、大事にお世話をしながら、それらしい折々にそっと忍び逢い、はかない語らいに心を慰めもしようか。」
2「このように男を知らない乙女であるうちは、言い寄るのもいとおしくてとためらわれるが、」
3「いったん夫を持って人の情けを知るようになれば、どのように相手がやかましかろうと、こちらも可哀そうなと気兼ねなどせず、思いのたけを語ることも出来ようし、人目はどうあろうとも、思いがとげられぬでもあるまい」
瀬戸内寂聴訳(源氏物語、巻五46-47)
1「それならいっそ、このまま、六条の院でお世話しつづけて婿を取り、ここに通わせて、適当な機会には人目をしのんでこっそり忍び逢い、せつない気持を訴えて、心を慰めることにしようか。」
2「今のようにまだ男を知らない娘のうちこそ、靡かせるのはなかなかで、可哀そうでもあった。」
3「しかし、いったん結婚してしまえば、たとえ夫という関守が厳しく見張っていても、女も自然男女の情が分りはじめてくれば、こちらでも痛々しがらずにすみ、自分の恋心を思う存分訴えて、相手にそれが通じたなら、どんなに人目が多くても忍び逢うのに支障はないだろう」
[大塚ひかり訳(源氏物語3、217)
1「ならばいっそ、このままここに大事に置いて、適当な折々にちょっと忍びこんで、話でもして思いを慰めようか。」
2「こうしてまだ男を知らないうちは、口説き落とすのも面倒だし可哀想だが、」
3「結婚してしまえば、夫という関守が強く守っていても、女も男女の情愛がしぜんと分かってきて、気の毒に思う必要もなく熱心に口説くことができる。そうすれば人目についたところで差し支えあるまい」
ひかりナビ(詳しい解説)に「『やはりここに置いたまま結婚させよう。処女でなくなれば犯しても可哀想に思う必要もないし』と不埒な考えに至ります」(218)、さらに「髭黒は…源氏を最後まで拒み通して処女を守ったことにも感激します。源氏と玉鬘の関係は内大臣をはじめ、誰もが疑うところでした。源氏のような大貴族が妙齢の女を養女にすれば、セックスして当然というのが当時の見方だったのです。それだけにそうでないと分かった髭黒の感激もひとしお」(372)としては、処女の意味合いの当否はさておき、苦し紛れに見える。]
角田光代訳(日本文学全集05、109)
1「それならそれでこの邸に住まわせて今まで通りだいじに世話をし、夫を通わせ、機会をうかがってさりげなく忍びこみ、話などすることで気持ちをなぐさめようか。」
2「こんなふうに彼女がまだ男女のことを何も知らないうちに契りを結ぶのは面倒だし、気の毒でもあるが、」
3「結婚すれば、夫の厳しい目があっても、男女の情も次第にわかってくるだろう。そうすればこちらも不憫に思うこともないし、またこちらいよいよ本気になったら、たとえ人目が多くても何とか逢い続けられるだろう……。」
岩波文庫の注にある現代語の説明(源氏物語4、299)
1「そういうことならまた、今まで通り(玉鬘を)六条院に住ま[わ]せて(結婚させ)大切に世話をして、適当なときに、さりげなく密会し」(注11)
2「(玉鬘が)まだ男女の仲を知らないうちに言い寄って、(玉鬘に)不快な思いをさせるのは気の毒だったが」(注12)
3「(結婚すれば)自然と夫が厳しく守るとしても、(玉鬘は)男女の機微を察するようになり、(玉鬘が源氏を)いやに思う気持も薄らいで」(注13)「自分の気持も(玉鬘に)熱中すれば、人目は多くても障害になるまいよ」(注14)
岩波文庫の本文(源氏物語4、298‐300)
1「さはまた、さてこゝながらかしづき据ゑて、さるべきをりをりに、はかなくうち忍び、ものをも聞こえて慰みならむや、」
2「かくまだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ、」
3「おのづから関守強くとも、ものの心知りそめ、いとほしき思ひなくて、わが心も思ひ入りなば、しげくとも障らじかし」
【現代人の理解を較べる】
簡単にまとめておこう。
(1)玉鬘を六条院に今のまま住まわせておけば(結婚をさせる)、忍んで行ける
(2)玉鬘が処女であるため、「気の毒な」事態が生じている
(3)結婚すれば、処女ゆえの拒否がなくなり、夫の通いの隙を見て訪ねることができる
(1)物語内でも結婚形態は明瞭である。
妻は実家に住まい(父親の庇護下にある)、夫は通う(六条御息所や明石君など愛人の場合もやはり通うから、夫は妻の邸に常住しない)。
妻を夫の邸におく例外として、後宮を有する帝、葵上亡きあと六条院を造営して女たちを住まわせる源氏、「実家」から玉鬘を拉致した鬚黒がある(物語内で結婚形態に変化が兆しているかは明瞭でない)。
玉鬘を「こゝながらかしづき据ゑて」(源氏物語4、298)をことさら「結婚させる」なくても六条院に住まわせているから、娘の処遇を述べたと理解できる。内大臣が雲居雁のところへ赴くのを父親による保護権行使とすれば、源氏も「うち忍」ぶべき理由はありえない。
たとえば胡蝶「御手をとらへたまへれば、女、かやうにもならひ給はざりつるを、いとううたておぼゆれど」(源氏物語4、208、「(源氏に手をとられ)ほんとうにいやな気分になるが」209注2)、「姫君も、はじめこそむくつけくうたても思ひ給ひしか」(4、298、「玉鬘も、初めのうちは気味悪く不快にも思っていらしたが」(299注8)とある。
源氏は、禁忌ぎりぎりの行為を玉鬘にしかけてきた。両者が一線を越えないのは、玉鬘が男女の情を知らないゆえ拒否するのにとどまらず、源氏にも忌避感があるからと想像できる。源氏が藤壺中宮にいいよるのをやめたのは出家ののちだから、単純に女たらしでいいつくせない。
「はかなくうち忍」ぶのはこうした禁忌との関連をほのめかすように見える。帝の妃との密通は物語の中でさまざまに語られる(女和宮と柏木によって疑似反復されることにもなる)。「実の娘」との姦淫は、実行の手前までしか書かれていないのでないか。
(3)夫ができて関守よろしく監視するとしても、六条院で源氏が玉鬘訪問を「しげくとも障らじかし」とは何を意味するか。夫に知られる可能性が少ないとか、女房に口止めしておけば情報が漏れないなどの事情は書かれていないから、玉鬘の結婚で生ずる事態を想像している、と見るべきである。
源氏を拒む玉鬘の気持がゆるみ、源氏が通うというタブーも娘から人妻に置き換えて解消できる、と解せるのでないか。
【疑問を変更する】
(2)に関しては現代読者の間で理解が微妙に異なっている。
円地「言い寄るのもいとおしくてとためらわれる」
瀬戸内「靡かせるのはなかなかで、可哀そう」
角田「契りを結ぶのは面倒だし、気の毒でもある」
岩波文庫「言い寄って、(玉鬘に)不快な思いをさせるのは気の毒だった」
「わづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ」という本文の特徴はまず、「一 形容詞・形容動詞の語幹、また、これに準ずる助動詞に付いて名詞をつくる。
①その性質、状態の程度。その様子」(日本国語大辞典「さ」)という「さ」によって抽象化した叙述である点であろう。だから読者への親切として具体化したくなるのは想像できる。
しかしこれは「心ぐるしくはありけれ」の対象であり、慎重な取り扱いが必要であろう。
三人の女性作家は、担当の男性研究者より、源氏の加害を明瞭にしているように読めた。
「わづらはしさ」に対するありうる感情のうちで「心ぐるし」(「①心に苦痛を感ずる。胸が痛い」日本国語大辞典)を係助詞「は」によって取り上げ、「②すでに気づいていることであるが、なぜ起こっているのか分かっていないことについて、こういう条件があれば、そうなるのが道理であるという筋道を見いだして、納得することを表わす。さとりを表わす。それで…ていたのだな。そういう訳で…たのだな」(日本国語大辞典「けり」)と確認している箇所なのだ。
もともと源氏という人物が他人に対して「気の毒」と思うものであろうかという疑問から、一連の箇所を考えてきた。だから「気の毒」という判断が、玉鬘自身に関してか源氏みずからについてかとして問題化してきた。
ここに至って、気の毒というべき事態が生じているのだなという漠然とした理解で充分に思える。この事態をどう解消するか、というのが源氏の思いであると読めるのに気づいたからだ。
だからこそ玉鬘の結婚は関守が登場することになる、と想像できる。さらにそうなったからといって、源氏の玉鬘訪問の障害になるものか。
要するに源氏は、玉鬘を六条院においておく現状を考え、処女であるからと推量し、結婚すれば万事解決すると構想した。これは現代語訳や注解にある補足なしに導き出せる。根拠を示さずには補足・変改しないという出発点に戻れば事足りる。