【読後想】『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』★★★★★
夏休みの宿題で読書感想文が苦手だったけれど、感想でも書評でもなく、想ったことを勝手に書き留めるだけなら出来そうだということで記録する読後想。
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以前の記事でタイムパフォーマンス、タイパについて書いて以降、私の中では若者世代がどうして動画視聴にタイパを求めるのか気になり続けていた。
そこで今回私が選んだのはこちらの本だ。
稲田豊史(著)、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)
タイパを実践している中心世代が若者たちであるには違いないが、どうやら他の世代にもかなり広がっているらしい。
時間効率を意識した動画視聴に人々は何を求めているのか。著者は視聴者や制作者へのインタビューを踏まえ、その要因を炙り出す。
そこから見えてきたのは、単に時間を節約するという事ではなかった。単純に消費すべきコンテンツ量が増えたということ以外にも、タイパを意識せざるを得ない事情があることが浮かび上がってくる。
それは、快適な生活を求めて自然から離れて都市や街を造り出し、ネットとデジタルで武装した現在の私達の帰着点に重なって見える。つまりそこでは、予測不可能な事の存在は嫌悪され、予め意図が説明されていないようなあらゆる文化的活動も許されない世界だ。
本書では、そうした世界の中で人々が何を目的に動画コンテンツを「消費」し、どういう観点で楽しみを得て、それによってコンテンツ側がどう変化して行っているのかが描かれている。
という訳で私の評は★★★★★。
星5つだ。
恐らくこれは読む人を選ぶ本だろう。題名となっているような映画を早送りで観る人たちにとっては星ひとつの評価も得られないかもしれない。一見すると平易な題材だが、時折内容は社会学的に重要とも思われる議論に立ち寄る。
文化・芸術の観点でも無視して通れない現代の現象にクローズアップしたことは、私たちがデジタルツールに飼いならされるうちに知らずに陥っている人工的な領域が既に大きく変質していることに気付かされる。自然と人の対立の中に浮かび上がるはずの芸術というものが、新たな方向性を持つ可能性が秘められているのか。それとも、芸術が滅びるほどに人が進化(もしくは退化)しているのか。
結構、いろいろと考えさせられた。
おわり
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