「正しさ」ではなく「手続き」が人を動かす -アニメ『響け! ユーフォニアム3』
「自習で大騒ぎしてたら担任にバレた笑」という動画がある。「学校あるある」系のネタとして共感を呼び、YouTubeやTikTokでバズっている。
ここで着目したいのは、キレッキレのダンスを踊る「築山」が踊り出すまでのプロセスだ。築山はいきなり踊り出したわけではない。司会者風の生徒から「じゃあもう築山いく?」と振られることにより、築山のパフォーマンスは始まる。
築山のキレッキレのダンスがクラスを盛り上げたことは間違いない。だが、静寂の自習時間の中いきなり築山が踊り出しても、このストーリーは成り立たない。同級生たちからムードメーカとして認知・支持された司会者から芸を振られる、という「手続き」があってこそ、築山はクラスのヒーローになれた。
人は「正しさ」に説得されるのではない。「手続き」に納得するのだ。
こうした〈政策〉と〈政治〉の力学は、人と人が関わるあらゆる場所に浸透している。例えば、高校の吹奏楽部にも。
この記事では、アニメ『響け! ユーフォニアム3』、特に部内オーディションをめぐる混乱とその打開策について、「正しさ」と「手続き」という側面から論じたい。
『響け! ユーフォニアム』シリーズは、武田綾乃の同名小説を原作とし、京都アニメーションがアニメ化した物語である。京都府立高校の吹奏楽部を舞台に、部員たちの音楽にかける想い、人間関係における葛藤などが描かれる。この春から始まったアニメ3期では、主人公・黄前久美子が3年生となり、最後のコンクールに挑む怒涛の日々が描かれている。
北宇治高校吹奏楽部(以下「北宇治」)が掲げる「正しさ」は、実力主義だ。コンクールで勝ち上がるためには、演奏力の高い部員をコンクールメンバーに選ぶ必要がある。そのため、コンクールメンバーを決めるオーディションでは、活動歴の長さや人望などに関係なく、実力のある部員が選ばれる。これが北宇治の「正しさ」(実力主義)の論理である。
元々、北宇治の「正しさ」は「手続き」により決まったものだった。久美子世代の入学と同時に北宇治の顧問・指揮者となった滝昇(音楽教師)は、部員たちにある提案をする。部の目標を決めよ、私はそれに合わせた指導をする、というものだ。その結果、北宇治は部員の多数決で「全国大会出場」を活動目標にする。この「手続き」を経て、滝は厳しい演奏指導、実力主義に基づくオーディションを推し進める。そして部員が不満を口にするたび、滝はこう言う。「みなさんが決めたことですよ」
「正しさ」はあくまで相対的なものだ。全国大会に出るために厳しい練習に耐えるのも、大会で勝つのは諦めて楽しい思い出づくりをするのも、高校の部活としてはどちらもありうる考え方だ。しかし北宇治は、複数の選択肢の中から実力主義という「正しさ」を選んだ。部員の多数決という、民主的な「手続き」を経て。
部員たちは「正しさ」に感化されたのではない。反論の余地がない「手続き」が、特定の「正しさ」に従わざるを得ない状況を生んだのだ。
そして北宇治は、指導以前の(低)レベルから強豪へと変貌していく。変化には軋轢がつきものだ。上手い下級生と人望の厚い上級生との対立(1期)、演奏技術に劣る上級生への下級生の忖度(劇場版『誓いのフィナーレ』)、といった「ギスギス」を乗り越え、この部は実力主義を内面化してきた。
その過程で、上級生からソロを奪い取ろうとする麗奈を支持し、オーディションで手抜きをしようとした久石奏を説得したのは、久美子だった。そして久美子は部長となり、北宇治を率いる存在となる。
しかし、最後のコンクールに向かう日々の中で、北宇治の「正しさ」は行き詰まる。
久美子たちが3年生となった春。新入部員を迎えた北宇治は、恒例となった「手続き」を行う。部員の多数決で、1年の活動目標を決める。強豪しぐさをすっかり身につけた北宇治は、部員の総意で、全国大会金賞を目標とする。
しかし、久美子(部長)・塚本秀一(副部長)・麗奈(ドラムメジャー)は、ある重大な決定を「手続き」を経ずに行う。コンクールメンバーを選考するオーディションを、大会ごとに行うことだ。全国大会まで勝ち進んだ場合、都合3回(京都府大会、関西大会、全国大会)のオーディションが行われる。関西大会ダメ金に終わった先代の結果を踏まえ、部内の競争心と緊張感を持続させる意図があった。この策は、幹部から顧問に提案するという形をとられ、部員の採決はとられなかった。この決定が、北宇治を大きく揺るがすことになる。
夏合宿の最中、関西大会に向けたオーディションが行われる。低音パートの編成変更に伴う、2年生・久石奏(ユーフォニアム)の落選と1年生・釜屋すずめ(チューバ)の加入。そしてユーフォニアムのソロが久美子から3年生・黒江真由(強豪校からの転入生)に交代。演奏する曲は府大会と同じなのに、なぜこのような変更を行うのか。部員たちは動揺し、オーディション結果への不満を口々に述べるようになる。部の空気は悪くなり、練習や演奏にも影響が出始める。対応を迫られる幹部も、考え方の違いから一枚岩になれない。
麗奈はあくまで「正しさ」を主張する。全国大会で金賞を取るためには、演奏力の高い奏者を選び、曲に対し部員の力を最大限発揮する編成を組むことが必要だ。顧問は曲と部の全体を見て判断を下したのだから、顧問の判断(オーディション結果)に異を唱えてはならない。そこに異を唱えることを許せば、全てが崩壊する。麗奈はそう信じて譲らない。オーディション結果への不満をこぼした部員を説教し、やる気のない部員は放置すればいいとパートリーダー会議で言い放ち、ついには部員たちの不満と自らのソロ落選とで動揺する久美子に「部長失格」と言い放つ。
折れない麗奈に、久美子の心は折れてしまった。
手詰まりになった久美子は、元副部長の先輩に相談するなどして、打開策を見出す。それは「手続き」で部員たちを納得させることだった。
久美子のとった「手続き」は3つ。①幹部の支持を取りつける、②部員の心をまとめる、③民主的な「手続き」で「正しさ」を再度部員の総意にする、だ。
①幹部の支持を取りつける
合宿でのオーディション以降の部内不和について、久美子は自らの心情を幹部ノート(3幹部間の交換日記的なもの)に綴る。麗奈と秀一は、久美子部長を支える旨のコメントを返す。
②部員の心をまとめる
関西大会本番直前、久美子は部員を前に「演説」をする。オーディション回数の変更を幹部の独断で行ったことを謝罪し、秀一と麗奈も頭を下げる。そして、北宇治の「正しさ」(実力主義)が好きだ、そして北宇治の部員が好きだ、と語る。熱っぽく語るうちに着地点を見失い、入学時からの親友である川島緑輝(コントラバス)、加藤葉月(チューバ)などに助けられ、鬨の声で締める。そして北宇治は関西大会を突破する。
①②は、人望と熱意はあるけれどちょっと抜けたところもある部長をみんなで支える、という空気を作り出す「手続き」だった。そして部員の心をまとめた久美子は、最後の問題に決着をつける。
全国大会に向けたオーディション。滝はユーフォニアムのソロについて、部員全員の投票により決める、という決定を下した。久美子はこのオーディションの形式について、滝にある提案をする。
③民主的な「手続き」で「正しさ」を再度部員の総意にする
久美子が提案したのは、オーディションの奏者を幕で隠し、部員たちはソロにふさわしい奏者を「音」のみで判断する、という形式だった。部員の票は同じ数で割れる。最後の1票を投じる高坂麗奈。選ばれたのは、黒江麻由だった。
戸惑いを見せる部員たち。その迷いを断ち切るように、久美子が声を響かせる。これが北宇治のベストメンバーだ、このメンバーで必ず全国金を取ろう、と。奏は久美子が選ばれなかったことを怒りながら悔しがり、麗奈は久美子を選ばなかったことを涙にまみれて詫びる。しかし、表立って不満を述べる者は誰もいなかった。北宇治は結束し、全国大会金賞を獲得する。
③は、一度は部を空中分解させかけた「正しさ」を、部員たちに納得させるための「手続き」だった。学年や部での活動歴に関係なく、実力ある者が奏者に選ばれる。北宇治は部の総意として、多数決という民主的な「手続き」で、黒江麻由をユーフォニアムのソリに選んだ。その「正しさ」を、落選した側の部長が改めて主張する。全国大会金賞という、部の正当な「手続き」で決めた目標のために。
関西大会に向けたオーディションをきっかけに空中分解しかけた北宇治は、全国大会では結束して演奏していた。それは久美子が「手続き」を行ったからだ。麗奈が貫こうとする「正しさ」を、久美子は「手続き」により守った。
「正しさ」は、それを主張するだけでは支持されない。「正しさ」は所詮、他の行動や思考の選択肢もありうる、相対的なものだからだ。「正しさ」で人を動かすためには、その決め方なら受け入れよう、と納得できるような「手続き」が必要だ。
実力主義という「正しさ」を貫き、全国大会金賞という悲願を達成する。その〈政策〉を達成させるために久美子は、「手続き」により「正しさ」を納得させる、という〈政治〉を行った。
一見「青春」という言葉に回収されそうな、高校の吹奏楽部の物語。このような若い年代にも、このような身近な場所にも、〈政治〉と〈政策〉の関係は潜んでいる。
人は「正しさ」に説得されるのではない。「手続き」に納得するのだ。そんな社会が「正しい」かは、別として。