新妻東一
日本ベトナム友好協会機関紙「日本とベトナム」に掲載された記事をウェブに再録。
自己紹介 氏名:新妻東一(にいづまとういち) 生年月日:1962年5月19日 出身地:日本国東京都 経歴:1988年、東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科ベトナム語専攻卒。1986年、三進交易株式会社(貿易業)入社。2004年、同社ベトナム駐在所長。2010年、三進ベトナム株式会社(旅行業)をハノイに設立。テレビの取材コーディネート、ウェブ記事のライティングも手掛ける。 資格:旅行業取扱主任者資格 ベトナム語のビジネス会話通訳・ビジネス文書翻訳。ベトナムの近現代史、鉄道
戦国時代から江戸初期に活躍した京都の豪商、角倉。朱印船貿易で主にトンキン(現在のベトナム北部)との交易、それもフェアトレードに徹した貿易商社であり、同時に流通インフラである河川の土木工事を手掛けたゼネコンであもあった。その知られざる姿をご紹介しよう。 「天竺徳兵衛」は角倉船にのってインドシナ半島、アユタヤを訪れた それまで泣かず飛ばずだった脚本家・4代目鶴屋南北が書き下ろし、齢50歳にして70日連続公演の大ヒットをよんだ歌舞伎「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくば
ハノイも12月に入るとぐっと寒くなる。朝晩は15度程度。日中も曇りだと20度を少し超える程度で、11月は30度近くまで気温が高かったことを考えると甚だ寒い。もちろんハノイはこのまま冬に向けて寒くなるとは限らない。再び30度近くまで気温が上昇し、夏が戻ってきたような暑さがぶり返すこともある。 ベトナム北部には四季があると言われる。南部には雨季と乾季があるのみだ。南部では冬といっても最低気温が20度を下ることはまれだ。しかしハノイは冬ともなると5度程度まで気温が下がることも
ベトナムには日本と共通する年中行事がある。たとえば、今の季節なら「お盆」だ。 多くは中国由来、あるいは中国由来の行事にベトナムの土着的な信仰が習合したものなどがあり、ベトナムと日本との文化の共通性と相違に気付かされる。 ベトナムでは旧暦7月15日をLễ Vu Lanとし、祖先の霊を供養する日とされている。盂蘭盆(うらぼんえ)のことで、日本では「お盆」として知られている。日本ではお盆休みとなり、都会に住む子どもたちは父母を訪ねて帰省する。ベトナムでも正月の次に大切な行
三井住友信託銀行『国連「世界人口推計」からみえる未来』という論文を読んだ。21世紀末世界人口はピークに達し、以後世界は人口減少へと向かう、という推計を国連が発表し、その統計に論評を加えたものだ。 日本の「失われた30年」とは、バブルがはじけ、高度経済成長から低成長の時代となった長い低迷期のことを指す。バブルがはじけた1990年当時の日本の年齢中央値は36.9歳。『「37歳」という年齢中央値を長期成長局面から長期停滞局面に転換する「閾値」と仮に置くならば、韓国は201
6月11日、ベトナム中部高原ダクラク省の2つの村の役場が武装集団に襲われ、村役場の幹部、警察官、民間人など9名が殺害され、2名が受傷する事件が発生した。 村は封鎖され、現場の状況もわからない状態が続いた。その後70〜80名が逮捕されたという。 公表された逮捕者名は皆ダクラク省に住む少数民族の人たちの名前だった。 この地域ではエデ族など少数民族が1964年被制圧諸民族闘争統一戦線(FULRO)を結成し、南ベトナム政府に対して自治独立闘争を開始した。南ベトナム政権と
半年ぶりにハノイから東京を訪れた。ある会議に参加するためだ。 日本に来たら食べたいものは駅前のそばやうどん、ラーメンなど、サラリーマン時代に仕事の合間に小腹を満たすために食べていたチープな食事。海外に長期に住んでいると妙に懐かしく、つい食べてしまう。 ラーメンチェーンの日高屋で醤油ラーメンを食べる。注文はタブレット画面にタッチするだけで終了する。そこは先進的ではあるが、驚いたのはその価格だ。ラーメン一杯390円。現在のレートでベトナムドンに換算すると約6.5万ドン。
今年は南部解放記念日である4月30日、メーデーの5月1日に加え、毎年旧暦3月10日のフン(雄)王命日が4月29日であったため、土日の振替休日を含めてベトナムでは珍しい5連休となった。 ベトナムの独立記念日は1945年にホー・チ・ミンが独立宣言を読み上げた9月2日。ただベトナム民族の始祖はベトナム民族初の国家であるヴァンラン(文郎)国のキンズオン(涇陽)王から数えて18代におよぶフン王であるとされている。旧暦3月10日はフン王最後の18代目の命日であると阮朝カイディン
コロナの3年間は仕事がない、という悩みだったが、コロナが明けてからは、仕事が次々とやってきて、目が回る忙しさ。受けた仕事をすべてこなせるかどうかという悩み。仕事をすれば色々トラブルもあるし、それを一つ一つ解決するのもたいへんだが、これも仕事がない、という悩みよりは悩みの質が違う。ありがたい悩みだと思えば、どうということもない。 一時は会社の閉鎖も考えたが、「蓄え」と有機野菜のネット通販やら、物書きをするなど、旅行業以外の仕事をして食いつないできたことは、次になにがおきて
2月24日、ハノイのザーラム機関車工場。国労はじめ全交運労組がベトナムの南北統一を記念して寄贈した機関車DD11が日越友好の証として保存のために修復され、そのお披露目式が催された。 ベトナム側はベトナム国鉄労組副委員長、ザーラム機関車工場労組委員長、日本側は友好協会・東日本鉄道支部の藤野支部長を団長とする一行に加え、協会事務局長の柳さん、国労の松川委員長が参加した。 機関車DD11の修復のための募金活動がはじまってから8年が経過しての修復完成だから当事者の方の感慨も
旧正月を今年も妻の実家があるタイニン省で過ごした。朝晩は20度程度と肌寒いが、日中は30度を超える。ハンモックに横たわって昼寝をするのにも心地よい気候だ。 旧正月ともなると連日、朝から晩まで隣近所のカラオケの騒音がひどい。歌がうまいならまだしも、音痴が歌っているといたたまれない。当初は騒音妨害だと怒鳴りこもうかと思うほどだが、次第に慣れてしまい、旧正月も終われば静けさも戻るだろうとあきらめる。 最近はキャンプ場やビーチにカラオケマシンを持ち込んで盛り上がる人たちもい
ベトナムではプロの写真家に撮影してもらう機会が多い。結婚式、子どもの誕生日、学校の卒業式、あるいは会社のイベントとして社員全員の撮影会もある。女性ならば新しいアオザイを新調して街や花畑にくりだし、プロのカメラマンに撮影してもらう。撮影費用はカメラマン、メイク、アシスタント込みで一人当たり220万ベトナムドン、約1.2万円ほどなので、結構な金額だ。遠出をすれば、さらに車両費がかかる。ちょっとした出費だが、それでも写真撮影好きな中年女性は、季節ごとにアオザイを新調して年4回も写
ベトナムではコロナをめぐる二つの大汚職事件で、逮捕者が数多くでている。 一つはPCR検査機械の導入にあたっての汚職だ。こちらは機械の納入業者が保健省本省や地方の保健局や病院などへの贈収賄事件である。 もう一つは海外に暮らすベトナム人がコロナによる航空便の停止によって帰国できなかった人に対する特別便を巡り、不当に高い料金を設定し、交通運輸省や外務省・在外公館関係者がそこから賄賂を受け取っていた事件である。 後者では在日大使館大使や大阪、福岡の総領事まで同時に帰国命
毎年10月下旬はハノイでもハロウィンで賑わう。特に子どもたちは好みのヒーロー、ヒロインになりきった仮装ができるので大喜びだ。 ハロウィンには私の末娘が通う小学校では思いおもいの服装で学校に通うことが許される。ハリーポッターや魔女、スパイダーマン、「鬼滅の刃」の禰󠄀豆子など、好みのキャラクターのコスチュームを身にまとい、クラスでのハロウィン・イベントを楽しんだようだ。 ハロウィンは死者を弔う古代ケルトの風習であったものがキリスト教と結びついて発展し、ジャガイモ飢饉によ
円安である。ベトナムドンは日本円に対して恐ろしいほど高いものになってしまった。日本円1円に対して160ベトナムドンだ。 ついこの間まで1円はおよそ200ドンだった。2万ドンは約100円。タクシーの初乗りが2万ドン、100円。観光地でボトル入りの水を購入すれば1万ドン、50円。 ベトナムドンの価格からゼロを二つとって2で割ればおおよその円価格が暗算できた。それが今や1米ドル=145円だ。1円200ドンの時代からしたら日本円は2割もの減価だ。 ドンとドルはペッグ制(
旧暦8月15日は中秋節である。今年は新暦9月10日。中秋節の1ヶ月前からバインチュントゥー、月餅の販売所がハノイの街の各所に臨時で設けられる。私の住むマンションの近所にも5、6軒並んでいる。 90年代、この時期にハノイに仕事で出張するとお土産にこのバインチュントゥーをいただいた。米粉・小麦粉で作られた皮の中に緑豆、ハスの実、ナッツ類、卵の黄身や豚の脂身などが入っていて、一片が20cmほどもある大きなものだった。一口食べるとお腹がいっぱいになるハイカロリーなお菓子だ。外国